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「失楽園」

第二部....2
「……よぉ、カトルじゃねえか。こんな所でどうしたんだ?」
 ぽちょん、と音を立てて沈む餌。
 淡い色の水面下で身体を震わせて泳ぐ魚の、その鱗に反射する夕焼けの色に、目を細めていたカトルは顔を上げてテラスに現れた姿を眺めた。
「デュオ」
「もう陽が暮れちまうぜ。そろそろ冷え込んできたし、寮に戻んないか?」
 軽快な足取りで近づくその姿は、つい先日ここに来たばかりの友人のものだった。
 制服姿を見るのは初めてだけれど、そうしているととても自然に景色に溶け込んでしまっているデュオに、カトルは微笑んで立ち上がる。
「デュオの方こそ、まだ寮に戻ってなかったんですね」
「まあ俺は良いとして。お、魚がいるな。でっけー鯉!」
「あの、デュオ。トロワは……」
「トロワなら寮の部屋。そう言やヒイロと何か話してたけど、あいつらってあーゆうマメな所そっくりだよな」
「……そう」
 再び魚のもとに戻る視線。
「トロワは策士タイプだし、慎重だしね。きっと今の状況を考慮して色々考えているのかも知れない。……でも何だかおかしな気分だね」
「何が?」
「メテオのメンバーの四人までがこの学園に集まってる。僕達の存在の意味を、本当に考えなくてはならない今だからこそ、僕達はこの学園に来たのかも知れないと思うと」
「存在の意味か。お嬢さんに言わせると、俺達もここじゃただの男子生徒らしいけど。その辺りヒイロなんか絶対納得してねぇよなぁ」
「俺達はあくまで戦闘員だ。どんな場所にあってもその事実は変わらない」
 デュオのからかう様な声に、感情を含まない小さな声が届いたのは、その時だった。
 はっとして振り返るデュオの傍らで、カトルもようやく顔を上げて、寮の方角から現れたヒイロと……その背後に立つ、もう一人の姿を見遣る。
「トロワ」
 ヒイロに歩み寄り、何か言い掛けていたデュオは、カトルの震える声に足を止めた。
 彼の視線の先には、ヒイロを素通りして、ただ静かに立つトロワ・バートンへと向けられている。
 こんな状況には以前も覚えがあったし説明も受けていたから、カトルが何故こんな表情をしなければならないのかは理解している。
 それでも今ここにいることが申し訳なくさえ思えるカトルの様子に、デュオは改めてこの学園に到着した日のことを思い返した。
 ……トロワと合流したデュオが揃ってサンクキングダムに到着したのは、その近辺で起こった戦闘がようやく終わりを告げた頃だった。
 デスサイズヘルは一時的に森に隠し、後から取りに戻ることにした。本当は戦闘に加わるべきか否かを随分と迷ったのだけれど、結局サンクキングダムの主義をデータから見知っていたデュオは、おさまりつつある戦渦にガンダムを置いて行くことを決意したのだ。
 ヒイロとカトル。デュオはそのどちらとも以前行動を共にしたことがある。
 だから車の中で相変わらず口数の少ないトロワとの再会を喜びながら、あいつらどうしてるんだろうな、なんて呟いたら、トロワは少しばかり精彩を欠いた表情で俯いたままだったのだ。
 そんな彼に不審を抱かなかった訳ではなかったけれど、あえてデュオは質問を控えていた。
 彼が自分から口にしないのなら、そこにはそれだけの理由がある筈だから。
 それだけの理由。
 それは月基地で起こったこと。つまり……ウイングゼロの存在と、その存在の起こした暴走のことだ。
 デュオがそれを知ったのは、サンクキングダムに到着した後。それもカトルとトロワの少し様子のおかしい再会を見てからだった。
 嬉しさと切なさと、そして後悔の入り混じった表情。
 カトルはデュオと行動を共にしていたあの頃、コロニーがガンダムを敵と見なしたあの絶望的な状況ですらあんな顔はしなかった。
 何よりその表情は再会にはふさわしくないもので、だからいきなり自分を引きずってその場から離れたヒイロに簡単な事情を聞いてようやく理解したのだ。
 何故カトルが、そんな顔をしながらも、その名前をつぶやいたきり言葉を失ってしまったのかを。
「俺達は必要のなくなった戦士だ。だが戦う力を持つ存在として、この世にあり続ける限りは、力で左右される現状を良く見つめ直さねばな」
「ああ。ガンダムの力は大きい。だが今になって表れた戦況の変わる恐れは、恐らくガンダムとは無関係の位置にある筈だな」
「それって俺達と一日違いで編入してる転校生のことか?」
 トロワとヒイロの、いやにもってまわった物言いにデュオが尋ねると、二人の小さな、けれどしっかりとした頷きが返ってくる。
 数日前、それこそ突然に現れた都市にある“ネルフ”と名乗る組織から来た編入生。
 リリーナは会談の結果“ネルフ”に信用を置き、更にそのネルフ側からの編入生をあっさりと認めてしまった。
 会談に出席していないヒイロ達にしてみれば……特にヒイロには、あまり歓迎出来ない状況になってしまっていると云って良い。
「確か正式な編入は明日、僕達に紹介して貰えるのも明日、と云うことだね」
「お嬢さんも懐大きいよな。何でもロームフェラの血縁者の留学生も受け入れてるそうだし、つまりは裏のない“完全平和主義”を示しているんだろうが、」
「理想の具現は常に難しい。戦乱の世にあって、平和主義の思想は確かに人々の心の拠になるかも知れない。だが完全な平和は成り立ちにくい」
 むしろ不可能、なのかも知れない。
 少なくとも武器を持つ存在のある中で、何も持たずして突き進むことは。
 過去に非武装を説き、その外交政策を寸前まで成功させていた人間があった。
 その指導者の名はヒイロ・ユイ。
 彼の末路がリリーナのそれと重なる様で、だからあのノインもリリーナを裏切ることになると理解していながらも防衛部隊を組織せずにはおれなかった。
 そして更に、ヒイロ達ガンダムパイロットの招集を望んだのだ。
「だけど……」
 と、カトルが何かを呟きかけて、けれど背後に起こった気配にはっとして口をつぐんでしまう。いずれも戦闘術を学び、ただ者である筈のない四人は一斉に学園側に続く階段を振り返った。
 そこにいたのは学園の制服に身を包んだ生徒。
 階段を一番に降りてくる途中、不自然なポーズで足を止めた少女と、その背後で少女を止めていた少年、更にもう一人静かに階段の一段目からヒイロ達を見下ろしてくる少女。
 何となく、しん、とした空気が辺りに流れた。
 気まずい緊迫感の中で、口を開いたのは一番階段に近い位置にいたカトルだった。
「……君達は」
「あ、あの、ご免。邪魔とかするつもりじゃなかったんだけど……っ」
「謝ることないわよバカシンジ。あたし達はただ寮に行こうとしてただけなんだから、謝ったらこっちが悪いみたいに聞こえるじゃない」
 良く通るアスカの声は当然ながらその場にいた全員に届いた。
 確かにそれは正論だったけれど、それをアスカが口にすると必要以上の非難がにじんでいる感じで、一人焦るシンジに返ってきたのは落ち着いた優しい声。
「こちらこそ済みません、別に咎めたい訳じゃなくて、まだ校舎に人が残っているとは思っていなくて……少し驚いただけなんです」
 カトルの顔に浮かぶかすかな微笑に、どうやら彼が気を悪くした様子がないこと、少なくとも不機嫌さは表れていないいないことを知り、ようやく辺りの緊張が和らいだ。
 アスカの顔からもかすかなこわばりが消えた辺り、やはり彼女の側も緊張していたのだろうと分かる。
「別に、アンタが謝る必要はないけど」
「あの……皆さん、この学園の人ですか?」
 アスカよりは少し控え目に、尋ねてきたのは彼女の後ろにいた少年……云うまでもなくシンジだった。
 かなり友好的(に見える)なシンジの笑みに、今度はすたすたと歩み寄ってきたデュオが答える。
「実は俺達、編入生なんだ。元から生徒なのはここの二人」
 指差されたのは勿論、ヒイロとカトル。
「昨日ついたばかりでさ」
「あ、僕達も今日ついたんです。良かった、編入生が多いんですね、この学園」
「多いと云うこともないんでしょうけど……と云うことは、貴方達も編入生ですか?」
「はい、あの」
 云い掛けたシンジの表情がかすかにこわばった。
 デュオとカトルの上を行き来していた瞳が、ようやく別の場所に向かって、そうして気付いたから。
 止まった視線の先にはヒイロ・ユイ。
 ネルフに侵入し、自分に銃口を向けて去った少年が、そこにいた。
「……あ」
「ところで一つ聞きたいんだけど」
 シンジの動揺の声を遮る様に、歯切れの良いアスカの声が庭園に響いた。
 流れで言葉を飲み込んでしまったシンジを無視して、すっと階段を降り切ってしまった彼女の顔に浮かぶのは皮肉げな笑み。
 その表情に嫌な予感を感じたシンジが更にそれを留める間も無く。
「この学園て、生徒に工作員まがいな教育してる訳? 完全平和主義がモットーだって聞いてるんだけど」
 ゆっくりと腕組みしたのは自分への自信を示したのか、それとも相手を威嚇しているのか。
 どちらかは分からなかったけれど、彼女の言動がとてつもなく物騒なものなのだと云うこと位はさすがのシンジにも理解出来た。
 さっきまでここがどこなのか考えて物を言えと説教していた人間の台詞かそれがっ、と焦るシンジの眼前で、更にアスカは言い募る。
「人に銃向けといて、謝りの言葉もないなんて非常識じゃないの。あのまま発砲してたらあんた、無意味な人殺しした最低なヤツになってたんだから」
「……ヒイロ、それじゃこの人達があの……?」
「そうよ、聞いてなかったの。あたし達がネルフから来た編入生。詳しくはそいつが全部知ってると思うんだけどっ」
「易々と敵の侵入を許す組織側にも問題があるだろう。軍事組織ならその程度の判断はつく筈だが」
 まるでアスカの神経を逆なでする様な言葉を吐いたのはやっぱりヒイロ。
 隣のデュオが冷や汗を流しながらおいおい、とそれを咎める。
「ヒイロ、お前協定結んだ相手に喧嘩売ってどうすんだよ……」
「俺が結んだ訳じゃない」
「いやだからそう言う身も蓋もない……なぁんでお前ってそー言うつっけんどんなんかねえ、お嬢さんの行動無駄にする気か?」
 ほんの少し、デュオ達ですらもしかしたら見過ごしてしまうんじゃないかと思う位淡い狼狽がヒイロの瞳に走り、けれど次の瞬間にはもう、いつものヒイロに戻っている。
 その様子にかつんとアスカが一歩踏み出して、それに焦るシンジの声が重なった。
「ちょっと待ってよ、アスカ。僕達喧嘩しに来た訳じゃない……」
 今にもヒイロに飛びかかりそうな剣幕のアスカの手を掴み、シンジはもう一度ヒイロを見た。
 どうしてこの平和主義を唱える学園に彼の様な訓練を受けた(らしい)少年がいるのか、この世界の事情を詳しくは知らないシンジには分からなかったが。
 少し恐い、と思う反面、あの時彼から漂っていた威圧感がもうないことを感じて安心した。
 分かり合えるかもなんて甘いことを言うつもりはない、でも彼がこの学園の生徒なら、明日からはクラスメイトになるのだ。こんな形で決裂したくなかった。
 どうやら相手もそう思ってくれたらしく、一番気さくな様子の三つ編の少年がこちらを向いてにっこりと笑ってくる。
「とりあえず自己紹介。俺はデュオ・マックスウェル、でもってこの仏頂面が、」
「ヒイロ・ユイ」
 ぽん、と軽く自分の肩に置かれた手がよほど気に食わなかったのか、ヒイロはデュオが紹介してしまう前に自ら名乗りを上げた。
 そうなると次にはカトルが、続いてトロワも名乗り、名前を知っていれば不思議と少しは不安が安らぐものなのだと、思いながらシンジも前に歩み出た。
「僕は、碇シンジです。よろしく」
「……惣流・アスカ・ラングレー」
 複雑な表情のまま呟きめいた紹介をしたアスカに、そちらは、と丁寧な物越しで尋ねるカトル。
 視線の先にいて、それまで沈黙を守っていたレイがようやく口を開いた。
「綾波、レイ」
 言うなりレイはゆっくりと階段を下り、更に何ごとかと見守るデュオ達の真ん中を堂々と進んで、周囲に関心すら示さずに歩き出してしまう。
 向かう先は寮らしく、彼女だけを見ているとまるで周囲には誰もいない様にすら思える……その動きはそれ程自然で、嫌味がない変わりに“何もない”様子で、だから何となく声を掛けそびれた一同に、
「気にしないで。あの子いつもああだから。別にここに来てから口数少なくなったとかじゃなくて、ほんとにあーゆーヤツなのよ」
 はあ、とおおげさな溜め息をついて答えたのはアスカ。
「あたし達とも、あんまり話さないから」





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