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「失楽園」

第二部....3
「……どうやらここもパニック状態だな」
 突如背後から聞こえた囁きに、ミサトの手から大判の資料の束がばさ、と落ちる。
 背後にあるのは壁、けれど一部ガラスのない窓があることを思い出して、振り返りながらミサトは顔を引きつらせた。
「加ぁ持ぃぃっ」
「よ、葛城」
 軽く手を上げ、窓の縁に腕を乗せながら挨拶して来たのは案の定、加持リョウジ。
 とりあえずはネルフの特殊監察部に所属している同僚、である。
 連日の徹夜と内勤にふらふらする頭を押さえて出てきたから、背後に気を回していなかった。
 油断したわ、と内心むっかりしながら、ミサトは加持を強く睨む。
「あんたね、この非常事態にどこ行ってた訳。今ここに戻って来てるってことは、第3新東京市内に居たってことでしょぉが!」
「まさかこんな事態になるとは思わなくてね。それにしても驚いたよ、司令も副司令も留守なんて珍しい時にこんなことが起きてるとは……ほら」
 と突き出されたのはまだ紙コップのコーヒー。
 最初から眼前にある自動販売機目当てで司令室を抜け出していたミサトは、まだ熱いそれを片手で受け取ると、更に眼光を強めて窓枠の向こうの加持の飄々とした顔を見る。
「……で。どこに出てた訳、今まで」
「私用さ。プライベートだから、話すのは葛城三佐じゃなく君自身に。それなら良いよ」
「ぬわぁに言ってんだか」
「それより昨日ネルフとサンクキングダムとの対談があったそうだけど、どうだった?」
「そう言うことには耳聡いんだから……簡単なデータだけだとは思うんだけど、一度向こうの人間にデータをハックされてるの。どこまで知られてるか分からないし、仕方ないからネルフのマニュアル通りに説明したわよ。あれも極秘文書だけど、どうせこのまま全てを隠し通すことも出来ないだろうし、ある程度のものは渡しておかなきゃね」
「勘繰りを避ける、か。全てを説明した訳じゃなく」
「全ても何も、私達だって真実を知ってる訳じゃないでしょう」
 じっと、ミサトの瞳が加持を射る。
 そう、ミサトも加持も、ネルフにまつわる真実を全て把握出来ないでいる。
 知っているのは表面的なことで、実際、碇ゲンドウの独裁的な組織であるネルフには今だに謎が多すぎるのだ。
「……ま、それもそうだな」
 ミサトの瞳の強さに肩をすくめると、加持は短く呟いた。
「確かにそいつは正論だ」
「加持君。貴方さっき司令と副司令が留守だって言ったけど、私は何も聞いていないの。まさか二人共こっちに来てない……なんてことないわよね?」
「俺も何も聞いていない。だけど二人がここにいないのは確かだね。こんな事態でいつまでも姿を隠している人達じゃないだろう」
「……最悪。どうしてこう言う時に消えちゃうのよ……」
 呟いて、ミサトの表情がこわばった。
 いつの間にか壁を回ってミサトの側まで近づいていた加持は、ミサトの足元の資料を拾い集めながらその顔を仰ぎ見る。
「まさかこの事態は予想されていたもの? だからあの二人は」
「いや。いくら何でもそれはないだろう。葛城、足」
「あ、ご免……どうしてそう言い切れる訳」
 足の下にあった書類を拾う姿にしゃがみ込み、並んで紙を集め出したミサトに、加持が意味ありげな視線を送ってくる。
「それが有り得ないことを知っているからさ」
 一瞬、ミサトの手の動きが止まった。
 その手に集め終えた書類を整え、渡してくる加持の顔に視線を固定させ、それでも出てくる言葉はおざなりなもの。
「何よ、それ」
「俺は多分君よりも多くのことを知っている。でもそれは当然のことで、しかもまだ君には教えられないことなんだ」
「……ふざけてるの?」
 もう一度加持を睨もうとして、ミサトは目をしかめた。
 一瞬だけ。
 ほんの瞬きの間に加持の姿が薄らいだ気がしたのだ。
 不思議な目のかすみはすぐに消えて、変わりに視界にあるのは相変わらずの見慣れた加持の姿。
「どうした?」
「いえ……何でもないわ。寝てないせいかしら」
 立ち上がり、空いた右手で窓枠に置いていたコーヒーを取るとぐい、と飲む。
 じんとした熱さが喉を通り、頭の不鮮明さを消し去ってくれる。
 けれどそれは曖昧な鮮明感を取り戻しただけで、ミサトは書類を持った左手の指で目をこすった。
「加持君」
「何だ」
「あなた……ずっとここにいたのよね?」
 加持が瞠目する。
 もっとも言った当人ですら自分の言葉に茫然としてしまったので、この反応は当然のもの。
「それは、どう言う意味に捕らえれば良いのかな?」
「あ……何でもないわ。忘れて」
 何を言ってるんだろう、私は。
 どうしてか汗のにじんだ額に背筋の寒さまで感じながら、ミサトは一人ごちる。
 やっぱり疲れているんだろう。徹夜が続けば当然のこと、そろそろリツコ達の勧めの通り仮眠を取るべきなのだ。
「しっかりしてくれよ、葛城三佐」
 にやり、と笑いながら言う加持に、ようやくミサトは自分の胸中にある不思議なものの存在に気付いた。
 今の言葉はそれ、が言わせたものなのだと。
(でもどうして)
 ……何故、加持リョウジの姿を見ていて「不安と寂しさ」を抱く必要があるのだろう。




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