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「失楽園」

第二部....5
 やっぱり食事は遠慮すれば良かったかな……。
 朝食の乗ったトレイを運んで席についたシンジは、何となく居場所の悪さ、というかいたたまれなさを感じながら、ひっそりと溜め息をついた。
 巨大な長テーブルの向かい合わせに座るのはデュオ。その隣はヒイロで、自分の隣にはカトルとトロワ。
 凄く自然な強引さを持つデュオは勢い良く食事を続けている最中で、隣のヒイロも無言で食事中。
 で、トロワは少し見えにくいけれど、隣のカトルはと言えば食事をするのが辛いみたいにどこか苦しそうな顔でパンを口に運んでいる。
 そう言えばさっきデュオが、カトルの様子がおかしいんだと話していたことを思い出した。
(確かに元気がないみたいだけど)
「食べないのか」
「え」
 急に声を掛けられて、見ればカトルの向こう、トロワが緑色の瞳でじっとこちらを凝視していた。
 食事はもう終わったのか、コーヒーの入ったカップが手の中にある。
「あ……と、食べるけど……でも驚いたな、凄く豪華なんだね、学食って」
「栄養計算も出来ている。食欲が少しでもあるのなら、無理にでも詰めた方が良いぞ」
「そ、だね」
 そう言えばトロワの声を聞くのは、名乗った時を除けば初めてだった。
 デュオ以外のメンバーは皆物静かなイメージがあったけれど、彼はその中でも特別口数が少ないんじゃないだろうか。
「あの……大変だよね、ここ、戦争中で」
 シンジも人見知りする方だけれど、このままでは気が重くなりそうで、だから何とか話をしようとすればそんな間抜けな言葉が飛び出した。
 ちょっと失礼だったかも知れないと思ったものの、話題が限られているので他に思いつくものもない。
「……おとといあったみたいな凄い戦闘、しょっちゅうあるの?」
「世界規模で言えばそうだな。ドンパチしてない場所捜すのが大変だ」
 口に放り込んだサラダを呑み込みながら答えたのはデュオ。
「そっちも大変そうじゃねーか」
「あ、僕達はそんな……使徒さえ倒せば、何とかなるみたいだし」
「そう言えば、貴方達の敵は“人”ではなかったんですね」
 それまで黙々としていたカトルが話に乗ってきてくれたので、シンジは心底ほっとしてしまう。
「使徒って言うのがどんなものかは分からないけど、確かにひと相手ではないと思う」
「そう言やぁ前から聞きたかったんだよ。その使徒ってヤツ、一体何なんだ?」
「未知の純結晶金属で構成された“もの”。動力炉は陽電子機関であり、その固有波形パターンは人のものと酷似している……99.89%」
 さらり、と言ってのけたのはヒイロ。
 隣でデュオが目を丸くしている。
「なーんだそりゃ」
「僕達にもほんとに、分からないんだ。アレが何なのか、何もかも急すぎて……」
 溜め息をついて、シンジは小さく笑う。
「でも町ごと僕達がこっちに来てる訳だし、使徒も来れないかも知れないし。今は君達の世界に来てる訳だから、もし良かったらこっちのこと、教えて貰えないかな」
「照合して話した方が分かり易いかも知れないですね。僕も個人的に少し調べさせて貰ったんですが」
 言って、カトルは自分の前にあったトレイを退けると、胸ポケットにあったペンを取り出した。ノートの代わりは紙ナフキン。
「君達の世界の歴史では、まだ人類は宇宙にまで進出していないんだよね。でも僕達は既に宇宙コロニーを建設し、その上で暮らしている。今使用されている暦のA.Cはこの時生まれたものなんだ」
 さらさらと丁寧な英語で記される文字。
 シンジはそれをじっと目を追いながら、カトルの説明を受けた。
 コロニーが沢山作られ、やがて軌道集落群が形成されたこと。
 その頃、地球では紛争が続いていて、その解決手段として作られた地球圏統一連合、と言う組織が、存続をかけて小国やコロニーに戦争を仕掛けたこと。
 長い歴史はともすれば理解しがたく、けれどカトルの説明は丁寧で分かり易かったから、ほとんど短時間でシンジの頭の中に現状が組み込まれて行く。
 やがて説明を終えたカトルに、シンジは感嘆の息をついた。
「僕達の歴史とは、全然違う……」
「どんな些細な出来事にも歴史は左右されてしまう。本来なら同じ道をたどるかも知れなかった二つの世界が、結果から見れば全く違うものになってしまっていた……と言うことは幾つもある」
 トロワの言葉は何だかいつも慎重で重い。
 年齢はシンジ達とそう変わらない筈なのに、大人びた彼の様子は尊敬に値するものだ。
「でも、おかしい……よね。君達はその、ガンダムって言うのに乗って戦ってたんでしょう。もしかしたら死ぬかも知れないのに。なのに誰も分かってくれないなんて」
「シンジ。僕達は理解してもらう為に戦ってる訳じゃない」
「じゃあ、どうして戦うの?」
 戦う理由なんて、シンジも深く考えたことがなかった。
 ただ自分しかいないから、そう言われて、勧められるままにエヴァに乗ったのだ。本当は乗りたくなかった。
 いきなり再会した父に言われた反発心もあったし、何より急に命を削る様な真似をすることなんて自分には出来る筈がないのにと分かっていた。
 でもいつの間にか。エヴァに乗れば、皆が認めてくれるから……必要としてくれたから。
 今、自分の回りにあるものは全て、エヴァに乗り出してから手にいれたものばかり。
 ミサト、レイ、アスカ、リツコ、トウジ、ケンスケ……父さん。
 エヴァに乗ったから知り合えたし、認めてもらえた。
 誰かに必要とされることがシンジには必要だったのだ。
 なのに否定されるのを覚悟して戦うなんて、シンジには理解出来ない。
「平和を……」
「え」
「平和を。誰も不条理に命を奪われず、奪うこともない世界を作る為に。今の崩れたバランスが戻って、少しでも戦いがなくなれば……そう、思って」
 苦しそうな声。見るとカトルはうっすらと額に汗を浮かべていた。
 食事を終えていたデュオと、ヒイロまでもがかすかに分かる程度に表情を歪めてカトルを見る。
 トロワも……じっと、カトルを見ていた。
「カトル」
「……ご免。今の僕には、本当はこんなことを言う資格なんてないのに」
 しぼり出した様な声に締めつけられそうになる。
 どうしてカトルがそんな態度を取るのか理解出来ないシンジでも、どうにかして話題を逸らしてあげたくなる空気があった。
「あの……」
「済みません。先に失礼します」
 かつん、とトレイを持つと、カトルは小さな呟きを残して歩いて行ってしまう。
 どうしようかとおろおろするシンジの前で、更にトロワまでもが席をたち、その後を追った。
「僕、悪いこと言ったのかな」
「俺達の事情だ。お前は関係ない」
「でも……」
「とは言え俺達にもどうしようもないコトなんだよな。後はトロワとカトルの問題、か」




 どうしようもなく吐き気がした。
 何が原因とか、何が理由とか、そんなことは関係ないのだ。
 本当に何もかも嫌になってしまう程の憎悪は自分の醜さに向けられたものだから。
 ゼロを形にしてしまった弱さ。それを使って取り返しのつかない過ちを犯した自分。理由にもならない裏切り。
 自分にはガンダムを操縦する才があるのだとH教授は言った。
 その才はつまり、力に対する責任を持たなければならないことをも意味する。
 意思のない力の暴走など暴力以外のなにものでもない。
 問題はこの心にあったのだ、あの老人達が言った通り。
「……カトル」
 森の巨大な木の幹の下に、しゃがみ込んで荒い息をついていると声をかけられた。
 静かなその声は、顔を上げて確かめるまでもなくトロワ・バートンのものだった。
「僕は……自分がこんなに厚かましい人間だなんて知らなかった」
「何のことだ」
「トロワ。君が生きていると分かった時、僕は本当に嬉しかったんだ。許して貰えないかも知れないし、それで当然だけど……でも君が生きていてくれて本当に良かったって。なのに僕は、」
 俯いたまま、トロワの顔を見ることが出来ない。
 そう思っていたら、トロワは静かにカトルの前にしゃがみ込んだ。
 柔らかいダークグリーンの瞳が陽光を受けて、若葉の光の様な透明さを映している。
「俺は生きていた。何より逃げ出せる立場にありながら、俺はあそこから逃げなかったんだ、カトル。ヒイロは俺に脱出しろと言った。お前もそれを望んだ。なのにああ言う形を選んだのは俺だった。俺は俺の意思で、必要のなくなった自分を処分しようとしていたのかも知れないな」
「そんなことは……違う。違うよトロワ」
 伏せた瞳に陰を宿して、カトルは繰り返し呟く。
「違うんだ。僕は……君と再会したあの時、まるで当然の様にそれを受け止めた。分かるかい? 君を殺そうとした癖に、生きている君を見て当然だと思った。まるで最初からそうなることが決まっていたみたいに、僕は君と再会したんだ。最初から知っていたみたいに! ……許せない」
 吐き捨てる様なことははカトルらしくなく、けれどトロワははっとした様に無言になった。
 気付いてカトルがかすかに顔を上げると、その先には困惑した様な表情が映る。
「……トロワ?」
「お前もなのか、カトル。俺もそうだ。俺もこの再会を驚かなかった。サンクキングダムの迎えが来た時、そしてカトル、お前とヒイロがこの場所にいることを聞いても、驚かなかった。俺も最初からそのことを知っていたみたいに」
 今度こそ、カトルは目を見開いて立ち上がった。
 トロワも同様にして立つと、二人は茫然として視線を合わせる。
「……これは。一体どう言うことなんだ? この……違和感は」





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