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「失楽園」

第三部...7
 サンクキングダムの基本授業はほとんど普通の学園とは変わらない。
 ただその主義は常に“完全平和”で、間違った競争心や争いを望む心、人間の持つそれらの増長を防ぐ為に偏った講義内容は避けられ、週に一度、戦争と平和について学ぶ為に時間が裂かれている。
 戦闘が各地で繰り広げられる地球上で、平和主義国のご息女として学園に入った生徒達がその将来を憂えていない筈はなく、そうして不安に揺れる彼女達に力強く平和を説くリリーナは確かにある種独特の説得力に満ちた存在だった。
 彼女が語る内容は怯える人々に安心を与えるばかりか、立ち向かう勇気をすら与えてくれるのだ。
 リリーナ・ピースクラフトはその若さで完全平和主義と言う重い枷を持ち、けれどそれを見事に克服した上、周囲の人間に対する影響力をすら持つ。
 彼女を敵に回せば十分な脅威になる。
 そう思わずにはいられない程に。
(……でも“完全”平和主義ってのは、何か)
 語るリリーナを眼前にして、アスカはそっと目を細めた。
 編入初日の授業はちょうど週に一度ある平和について語り合う時間だった。
 机のない教室で、ぽつぽつと置かれた椅子に腰掛けてリリーナの言葉に耳を傾ける女子生徒達の姿。
 シンジやレイは少し離れた場所に席を取り、更に壁際に沿ってあのヒイロやカトル、それからトロワ達が陣取っていた。
 何で端に寄るんだろうかと思ったのだけど、考えて見れば余り見ない男子生徒の制服は女子の中に混じると本気で目立っていて、確かに他生徒が講義に集中出来ない理由になるかも知れない……そう言えば、先程終わったばかりの簡単な自己紹介の時も、在校生達がひどく楽しそうに騒いでいたことを思い出す。良家のお嬢様もこう言う所はあたし達と一緒なのよね、なんて感想を抱いたりしたのだけど。

「今、この世界はあらゆる戦乱の種に蝕まれています。連合とコロニーの対立、OZの内部闘争、そして各地で繰り広げられる紛争……。心から本当に争いを望む人間などいません。けれど起こってしまった争いは憎しみを生み出し、憎しみは更なる憎しみを生んでしまう。
 誰かが行動に移さなければならないのです。誰も傷付くことのない世界、平和を心から望むのなら、祈るだけでは何も変わらないことにまず気付かなければ。そう思う自分自身からその心を形にしなければならないのだと。
 平和を望む声は日増しに高くなっています。私も微力ながらその試みの第一歩を踏み出し始めました。ですからこうして同じ思いを抱く皆様と共に学ぶことが出来ることを、私本当に嬉しく思っています」
 きっと、と。
 語るリリーナの顔を見つめながら、アスカは心中で言葉を吐く。
 この世界はきっと、自分達の居た世界より戦いに蝕まれている。
 繰り返される戦闘が大地に傷を残していく世界……確かにアスカ達の世界だって使徒の攻撃の為に平穏を失いつつ合ったけれど、まずそこに居る人間達の心が違っている。自分達の世界の方が希望を失って、ただ怠慢に滅びに向かう日々を送っているばかりだったように思う。
 それは戦う対象の違いが生み出す差なのだろうか。
 人間同士の戦いを憂える世界と、使徒と言う謎の物体と戦うこちらの世界との。
 それとも自分達の世界には、リリーナの様な人が居なかったから?
(でもあたし達はその使徒を撃退する為に戦ってる。これはエヴァに選ばれたあたし達にしか闘えない戦争なんだから。限られた戦闘になるのは仕方ないし、どうしたって一般市民は傍観者になっちゃう。シェルターに避難して、規制された中で本当のことも知らないまま……これじゃ確かに皆で一緒に頑張りましょうなんて展開にはならないわよね)
 じっと床の上を凝視してそんな結論に至ったアスカは、ふと嫌な考えに捕らわれて眉を潜める。

 果たして“終わり”に近いのは、一体どちらの戦争世界の方なのか。なんて。

「リリーナ様。本当に人々は平和を望んでいるのでしょうか。私その意見については少し異論がございますわ」
 不意に高く上がる声。振り返らずとも朝、食堂でずっと一緒に話していたアスカにはそれが誰のものなのかすぐに分かった。
 周囲の女子生徒達のざわめく気配が穏やかな波になって耳に届いてくる。
「……ドロシー」
「人は本当に心から、平和を望む事の出来る生物なのでしょうか。だって利害や計算だけが戦争の理由ではありません、そこには戦争を望む人の心も強く反映されている。だからこそ、この戦いには終わりがないのです。
 こうした現実そのものが明白な結果なのではありませんか? つまり、戦いは人を極限まで引き立たせることが出来る、戦争こそが人類を進化させ、歴史を変革させて行くものなのでは? 戦う心を失った人々に、未来を築く権利はないんじゃないかしら」
「ドロシー。貴方のその考えは新たな戦いを生むものです。それはとても悲しいことよ。戦う心は確かに必要です。でもそれは決して、弱者が虐げられる理不尽な戦いを差して言う言葉ではない筈。どんな存在も自由に自己を確立出来る、その上でこそ人の心は正しくあることができるのですから」
「あら、そんなのつまらないわ、リリーナ様。それじゃ私、納得出来ない。戦う心を持つ人間が不要だというなら、そのリリーナ様の説く平和を守る為に生まれた争いはどうなるんでしょう。そんなものは存在しない、なんておっしゃらないで下さいね? だって戦力のない存在は余りにも脆いもの、結局は生き残ることが出来ないんですもの。少なくともこの戦乱の世の中では」
「ですが、戦う人間の中にも平和を望む声はあります。リリーナさんはそんな人達の代弁者であり、支えであり、そして道標でもある……僕はそう思います」
 ドロシーの追い詰める様な言葉に、いたたまれなくなったのは毅然と立つリリーナではなく、カトルだった。
 リリーナが平和を望む人間達の代表であるのなら、立ち上がって慎重に意見を述べた彼もまた、戦う人間達の代表なのかも知れなかった。
 けれどドロシーは一向にひるまない。
「そう。ではお尋ねしますわ、皆様は本当に何者かに対する憎しみを抱いたことはありません? 戦いの原因となる悪意の念を、本当に今まで一度も抱いたことがないとおっしゃりますの? でもそんな人間はいないわ、だから戦争もなくならないの」
 束の間。カトルが言葉を失った理由を、アスカ達は知らない。
 リリーナですら少しばかり困惑した様に眉を潜めたけれど、それは決して意見を翻す前兆ではなかった。
「……そうですね。確かに私も憎しみの心を抱いたことがあります。父を失った時、私は必要以上の敵愾心を相手に向けました。でもだからこそ言えることもあるのです。戦う心は決して何も生み出さない。大切なのはこれからもう二度とそんな悲しいことが起こらない様に行動すること。そんな世界を作って行くことなのだと、そうは思いませんか」
 再び、周囲のざわめき。
 リリーナの予想だにしていなかった告白は、平和を望む良家の子女達の動揺を呼ぶのに十分なもので、けれど彼女の真摯な態度に、皆殊更な感慨を受けたのは明らかだった。
 ……そう、例外もここにいたけれど。
 アスカは無意識のまま唇を噛む。
 確かにリリーナ・ピースクラフトは正しいかも知れない。けれど……何故か。
 胸の中でむくむくと大きくなる不快感。理由をきちんと形にすることが出来なかったけれど、それは違う、と言う思いだけが膨らんで、次の瞬間アスカはほとんど無意識のまま声を上げていた。
「確かにそれはそうかも知れない。正しいことかも知れないけど……でも皆が皆、そんな風に考えることが出来るものなの?
 誰だって自分の大切なものを守るのに必死だわ。確かに世界が平穏無事にってのも大切かも知れない。でも一番は自分の守りたい人たちの存在でしょう? 大切なものを失えば憎まずにはおれない、それって理屈じゃないし、理性で歯止めのきくものでもない。自分でもコントロールできないくらい強い感情を持つ人を、否定する権利なんて誰にもないと思う」
 思いがけない場所からの異議に、リリーナは驚いて振り返った。見ればシンジ達もアスカがこんな発言をするとは思ってもみなかったらしく(何より目立つ行動を控えろと言ったのはアスカなのだ)こちらを凝視するその顔は発言者のアスカ当人よりビビっている。
「……惣流さん。それでもどこかで終止符を打たなければ堂々巡りになってしまうわ」
「そうね。でもそうやって思い切るには凄い精神力が必要だし、誰もがそんなに強い訳じゃない。それって理想論すぎるわよ。
 難癖つける訳じゃないけど、皆が貴方みたいにくじけないで平和の為に突き進んで行けると思う? 少なくとも非暴力なんて思想、戦いの前じゃ無力よ。あっちから戦争仕掛けてきて、沢山人が死んで、そんな時に役立つのは平和主義じゃない、戦う力だし、相手を退けられるだけの軍事力じゃないの? 相手も同じ価値感にならなきゃ対等に向かい合うことだって無理よ。
 平和主義は良いとしても、完全平和はやっぱり難しい。何でも平和で片付く問題じゃない、だから戦争って終わらないもんなんだし、本当はここだっていつ敵にやられるか分かんないんでしょう? 敵にやられるやられないは当人の問題、でも貴方みたいに大勢の人間の命を抱え込んでる指導者が脆弱な思想を掲げてるままじゃ、すぐにやられちゃうわよ」
 うわ、言っちゃった……。
 巡らせた視界の隅で、そんな言葉の伺える表情でいるシンジを認める。
 でも意見を口にするのは当然のことだし、こう言う時黙って聞き流す日本人気質の方がアスカには理解できなかった。
 自己主張は当然の世界でアスカは育っている、自分の意見を飲み込んだままだなんて消化不良な真似は絶対に出来ないのだ。
 多分死ぬまでこの考え方は変わらないだろう。




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