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「失楽園」

第三部...9
 遠くの空を、鳥達の鳴き声が森に向かって流れて行くのが聞こえる。
 冷たい朝の気配の残るサンクキングダム・ピースクラフト学園の庭で、デュオは大きく伸びをしながら緑濃い草の上を歩いていた。
 デスサイズヘルの到着の確認と簡単な点検を済ませ、更に奇妙な物体の影を確認してから既に数十分が経とうとしている。
 例の奇妙な移動物体の方に大きな変化が見られなかった為、デュオはひとまず学園の授業の方に戻ることになっていた。
 いたずらにモビルスーツを出して一般生徒を動揺させる訳にもいかないし、第一“ガンダム”を無暗に出してはサンクキングダムの完全平和主義に反することになる。
 ロームフェラの付け入る隙を作ったのでは自分達を受け入れてくれたリリーナの誠意を無駄にすることになる、との判断の為の行動だったが、勿論デュオ達ガンダムパイロットが重要な戦力であり、ジョーカーとしての役割を持つ為だと言う理由も忘れてはならないだろう。
 結局、今は偵察隊だけを極秘裡に出して、その結果いかんですぐにデュオ達に招集をかけることにする……ノインの決定に賛成した後、すぐに動ける支度だけ整えて格納庫から地上に上がったデュオは、そのまま何となく時間的に行き場を失って広い庭をぶらぶらとしていたのだった。
(やっぱ、今頃からじゃもう教室にも入り辛いよなぁ。今はちょーどお嬢さんの講義時間なんだし)
 少し残念な気はする。あのリリーナの説く平和論を、スクリーンなどの間接的な方法ではなく当人を前にして一度聞いてみたかったから。
 それが果たしてデュオ達ガンダムパイロットにとって“捜し求めた”答えにつながるものなのかどうかは分からないが、どちらにせよマイナスにはならない筈だ。
 少なくとも、彼女はこれからの時代の流れを変える重要な存在になる人物なのだから。
(あとはあの編入生か。まあそっちはヒイロ達がチェックしてるだろうけど……お?)
 そのまま突き進みかけてデュオは足を止めた。
 学園の壁から少しはなれた木々の合間に人影が見える。
 気配からして兵士やスパイの類ではないと分かったものの、デュオは慎重にそちらに近づいて、それからようやく気付いた。
(なんだ? 噂の編入生じゃないか。惣流・アスカ・ラングレー……だったよな)
 咄嗟に腕時計を見たが、まだ講義中の時間帯のはず。
 まあ自分もこうしてぶらついているのだから余り人のことは言えないものの、それでも自分と違ってきちんと教室に出ていた筈の彼女がどうしてこんな場所にいるのだろう。不審に思ってデュオは思わず顔をしかめた。
 草むらから覗くのはブラウンの長い髪と赤い髪飾り。
 けれどまるで猫の様に身体を丸めて俯いている為肝心の顔が確認出来ない……そこまで眺めていてはっとする。
(やば……マズイところに顔出したかな、俺)
 か細い肩が、まるで寒さに堪え切れない様に小刻みに震えていたのだ。
 確かに外気温は低く決して暖かいとは言えなかったけれど……デュオは少し迷った後、そっと草をかき分けてその姿に近付いた。
 途端、物音に気付いて勢い良く上がる顔。
「…………誰ッ!?」
 鋭い声と視線にデュオはほとんど反射的にその場で動きを止める。
 こちらを睨むその顔に、涙のあとが見受けられないと気付いて何となくほっとしたのも束の間、今度はその場にすっくと立ち上がったアスカに苛立たしげに睨まれてしまった。
「……あんた、デュオ・マックスウェルだったわよね」
「わ、悪い。邪魔するつもりはなかったんだけど」
「もう用は済んだの? 友達が来てたとかで、講義に出てなかったじゃない」
「ああ、まあそっちは簡単に済んじゃってさ。何か時間にしても中途半端だろ、せめて次の授業まで時間潰そうと思って……それより冷えないか? そこ」
 言われてアスカは奇妙な表情になった。困惑と泣き顔を混ぜた様な顔。
 けれどすぐにデュオに興味を失ったのか、そっぽを向いてしゃがみ込んでしまう。
 自分に向かっていた視線が今度は虚空を睨んでいるその様子に、デュオはそのまま、彼女のうずくまった側の木に手を付いて座り込んだ。
 初対面の時からきつい印象の強かったアスカの消沈した姿には、何となく、見捨てておけない何かがある。
 すさんだ目の色が強く心に残る様な気がして。
「……何か、用な訳?」
「時間持て余しちゃってるもんでさ。それにしてもほんっと冷えるな、ここ」
「悪いんだけど、暇してるならどっかよそで時間潰してよ」
「じゃーどこで暇潰すか、今からじっくり考える」
 しゃあしゃあと答えると再び睨まれてしまう。それでもデュオは一向にくじけず、組んだ腕を頭の後ろにして斜めの空を見上げた。
 この程度のシカトだの睨みだのならまだ可愛いものだ。あのヒイロ・ユイとの中国での学園生活を思えば。
 しばらくして再び諦めたのか、アスカはまた正面に向き直ると、前方を見つめながら膝を抱えてしまった。
 ひやりとした空気にデュオですら寒いと感じるのだから、アスカだって相当寒いだろう。
 思ってデュオは制服の上着を脱ぐとアスカの肩に掛けてやった。
 ぎょっとした様に顔を上げた姿に、何となく昔の記憶が重なる気がする。
(寒さ、か)
 まだ自分がこの名の由来ともなった教会に引き取られる前のこと。初めて知る“家族”の空気を知って、ようやく寒さに凍えていた自分に気付いた頃のことだ。
 自分もまた、こんな瞳をしていたのだろうか。遠い昔何もかも失ってしまった、まさか自分がこうしてガンダムパイロットになって戦う側の人間になるだなんて思いもしなかった頃の自分も。
 凍える寒さは何も身体が感じるものばかりではない。心が凍えてどうしようもなくなることもあるのだとデュオは知っている。
 だからこそ放っておけないと感じるのか……ヒイロ辺りに言わせればそれこそおせっかいなのだろうが。
「……あんたみたいなおせっかいな奴、知ってるわ。でも……ありがと」
 デュオの心中を読んだ様な言葉を呟きに振り返ると、アスカがやっぱりこちらを見ないままで膝を抱えていた。
 まるで照れ臭さを隠すみたいなその顔にデュオは笑う。
「ま、慣れない環境だしなあ。イキナリ別世界なんかに来たんじゃ、息も詰まるって」
「そんなに変わんないわよ、ここだって戦争してるじゃない。……ああ、でも違うか。ここにはリリーナ・ピースクラフトみたいな人もいるし、敵は同じ人間だし、何よりまだ和解の道だってあるかも知れないんだもんね」
「和解ねぇ。そんな殊勝な奴らばっかりなら、ここもこんなに揉めてないんだろうけど」
「……あんた達ってさ、何で戦ってるの?」
 いきなり問われて、デュオは目を丸くしてアスカを見る。
 いつの間にか顔を上げていたアスカは、そのまま視線を揺らさず真っ直ぐデュオを見つめていた。
 まるでどんな嘘も見逃さない様に、どんな言葉にもだまされない様に、必死になって自分を守る為攻撃的になっている強い視線。
「ミサトに聞いたけど、ここの戦況って最悪なんでしょう? 敵だの味方だのが入り混じっててアンタ達は戦ったって迷惑顔されるだけで……なのに戦う価値なんてある訳?」
「いや、そこまで言われると身も蓋もないって感じだけど。価値は関係ないさ、俺達はやりたいからやってるだけで、誰かに強制されて闘ってる訳じゃない。誰の理解もないってのはやっぱり寂しいけど、それは仕方ないだろ」
「バッカみたい。そのまま戦って死ねば、誰もあんた達が何してたのかなんてそれこそずーっと理解してくれないのよ。死ぬだけ損じゃない」
「……こう言うドブ臭い役は、俺みたいなのがかぶってりゃ良い」
 それは。遠い昔に決めた自分への決意、だった。
 でも本当は知っている。何かを失う辛さより自分が傷付くことの方が余程マシだから……だからデュオはそう選択せずにはおれなかったのだ。
 どんな小さなものにも宿る幸せを守って、自分の様に失う辛さに歪む顔を見ずに済むのなら。
 自分一人で守ってやったなんて自惚れるつもりはないが、それでもデュオには十分過ぎる程の“報奨”なのだから。
 けれどその思いは彼女には理解出来ないものだったらしい。
 デュオの呟きに、アスカがむっと顔を引きつらせる。
「俺“みたいなの”って、何よ! そう言う言い方やめてくれる? ……ああもう、ほんと馬鹿じゃないのあんた達。他人の幸せの為になんて今時はやんないってのにもう、どう仕様もないんだから。何でそんなにムカつくことばっかり言うわけっ?」
「こう言う奴が一人はいないと、世の中回っていかないもんなんだよ。さすがの俺も全部割り切ってる訳じゃないけど、まあ少なくとも同じ思いして戦ってる仲間がいるし」
「仲間ね。他人の力を当てにするなんて自尊心の欠落だわ」
「……何かやたらと突っかかるなぁ。じゃあアスカは一人で戦うのか? シンジ達は確か同じ仲間の筈だったよな。俺もあんまり知らないけど」
「冗談じゃない。優等生とバカシンジに頼る位なら死んだ方がマシよ。あたしはあんた達とは違う、一人で戦えるの。仲間の手なんて全然必要じゃないんだからっ」
 仲間を頼ることは本当に弱さなのだろうか。
 状況に応じて仲間の協力を望むのは任務の遂行を考えれば当然のことで、その判断もつかないのならそちらの方が問題である。
 とは思ったものの、さすがにそれを口に出す程無神経なデュオではない。ヒステリックなアスカの声に少しばかり困惑しながらも、更にその顔を覗き込んだ。
「いや、まあどっちにしろ、一番良いのはちゃんと任務を終えて、生き残ることだよな。答えは結局自分の中にしかないんだろうし」
「あたしは……」
 デュオの独白めいた言葉に、アスカが何か声を返そうとした時。
 不意に視界に入ったそれに、アスカはぎょっとして言葉を呑み込んだ。
 視界に入ったソレ……広がる森の向こうをゆっくりと、けれど着実にこちらに向かって歩いてくる巨大な人型の、影に。
 その視線を追って振り返ったデュオも愕然としている。
「な、何だありゃ……あ。あれってまさか、さっきのっ」
「さっき? 何よそれ!」
「レーダーに映ってたんだよ。偵察隊が出てる筈なんだけど……招集もかかってねーだろぉがっ。どーなってんだ?」
 ほとんど同時に立ち上がった二人は、視界に広がる不気味な人型のそれから目を離さないまま後ずさった。
 確かにこちらに向かっている。ただ、この位置からではその目的地がこのサンクキングダムなのか、それともネルフなのかが分かりかねるのだが……それでも森林破壊と振動とを従えて進んで来るそれに、アスカはぞっとしたまま叫ばずにはおれなかった。
「使徒……嘘でしょ、ここにまで現れるなんて!」





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