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「失楽園」
- 第四部...3
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- 「シンジッ! ちょっとバカシンジ、応答しなさいよっ」
通信から響いてくる絶叫に、アスカはウィンドウを開いて叫んだ。
「どうなってんのよもう、状況教えてくれないと攻撃に移れないじゃないっ。アンタあたしに戦わせないつもりっ!?」
通信回線はまだ開いている筈だ。そうでなければシンジの声が少し離れた場所に配置されている弐号機まで届く筈がない。
なのに応答が全くないことがアスカをじらせた。
見たところ初号機は使徒と近接戦闘中で、けれどそれ以外の異常は認められない。
「いいわよもう、こっちも勝手にやるんだから。弐号機、出ます!」
『待ってアスカ、状況も分からないのに無暗に攻撃しないでっ』
「ミサト? じゃあどうしろってのよ」
モニターには両手を組んでじりじりと押し問答をしている初号機と使徒の姿が映し出されている。
一見せめぎあっているだけの様に見えるが、それならシンジは悲鳴なんて上げないだろう。
何かが起こっているのだ。
「心理グラフが乱れてるってかぁ? ったく、シロートはこれだから嫌なのよね。とどのつまり、あたしみたいに選ばれた、訓練でも好成績を残す様なパイロットじゃなきゃいざって時駄目なのよ」
言い終えると同時にアスカは動いていた。ミサトの悲鳴の様な声が聞こえたけれどあえて無視、強引に使徒に向かって走り出す。
(ほんとに冗談じゃないわ。こんな奴のどこが仲間よ。結局きちんと動けるのはあたし位のものなんじゃない)
“答えは結局、自分の中にしかないんだろうし”
「あいつ……偉っそうに、知った様な口聞いちゃってさ。あたしのこの華麗な戦闘法をサンクキングダムでじっくり見てれば、自分がどれだけ見当違いなこと言ったのか良く分かるってもんよ」
でも。
使徒を確認してから慌てて迎えの車に飛び乗りサンクキングダムを出た時。
咄嗟にデュオに借りた制服の上着を、投げ付けるようにして出て来てしまったのは、ちょっと失敗だった気がする。
だって別に上着を借りたことに対してはそんなに腹を立てていなかった訳だし、どちらかと言うと、あの好意は嫌味でも何でもなかったんだし……。
(どっちみちアイツだって……あたしからネルフやエヴァの情報仕入れるつもりで来たんだろうけどさ)
でなきゃ、ほとんど初対面の相手に、あんなにしつこくおせっかいにつきまとう筈がないのだ。
こんなのは……中途半端な同情を抱かれただけのこと。
(いいわよ。どっちだって)
そんなこと位で惑わされる自分が嫌だった。ちょっとした親切。そんなもので心が揺れるなんて絶対に認めたくない。
だって自分は選ばれた人間なのだ。エヴァにも、才能にも全てにも。
必要とされた人間なんだから、何もこちらから望むことなんてない。与えられるものに依存することなんて絶対にあってはならないこと。他人の態度や行動一つに感情を揺らせて良い筈がなかった。
(……他人じゃない、どのみち)
使徒と初号機の姿が接近して来る。
零号機はミサトの命令に忠実に待機したままなのか視界に入ってこないから、そちらの方に注意する必要もないだろう。
(いいわ。シンジがいなけりゃ派手に動けるんだけど、まずは引き離すしかない)
左肩パーツを開いてプログレッシブナイフを取り出す。
流れる様な一連の動作の後、アスカはそのまま使徒に向かって繰り出していた……が。
「……うそっ!」
ナイフが、ナイフを手にした腕ごと通り抜けていた。
がくんと弐号機は不自然な姿勢を支え切れずに前のめりになった。勿論機体からして使徒を通り抜けてしまっている。
気持ち悪い感触が全身に広がる様で咄嗟に身体を逸らしたアスカは、反動で背後で使徒とせめぎ合っていた初号機と思いきりぶつかってしまった。「な、何で通り抜けちゃうのよっ」
ATフィールドの新たな活用法だろうか、それともこれがこの使徒の性質か。
問題はこちらからの攻撃的な接触が通用しないのに対し、この使徒は自由に自分から外部のものに触れることが出来ると言うことだろう。
現に自ら動かした両手は、しっかり初号機の手に絡まっている。
無性に腹が立つ。これじゃアスカはただの間抜けだ。
ムカついたまま初号機を押す様にして何とか体制を整えた弐号機は、自ら使徒の身体を通り抜けてその背後に回り込む。
とにかくどうにかしなければ……。
けれど。
使徒の中を通り抜けた途端、アスカの中に戦慄にも似た悪寒が走った。
電気の様な。
目もくらむその感覚に一瞬だけ視界がおかしくなる。
「……な…………」
何を。
“違うわ、他人じゃない! 自分で自分を誉めてあげる為よ!”
(これは。あたし……?)
叫ぶ自分の姿が見える気がした。ひどくみじめな。気付きたくないことを知らされた自分の愚かな顔。
(何よこれ。こんなの知らない)
“他人の為に頑張ってるんだって思うこと自体、楽な生き方してるって言うのよ”
自分の声が、まるでナイフの様に心を削って行く。
覚えのない言葉。なのに分かる。これは全部本当の声。
(何でこんなこと……っ!)
走っていた。
ただ、走っていた。広い草原を。白い病院の廊下を。辛い記憶の中を。
自分が今どこにいるのか分からなくなるくらい必死で走った。扉がある。全部開けて、その都度映る嫌な自分と、嫌な過去と、嫌な記憶とぶつかった。それでも走った。
走る先にあるものを見たくなんてなかったのに。
(講義の時と同じだわ。こんなもの知らない……なのに覚えてる。やだ……!)
“いや! そんなの思い出させないで! せっかく忘れてるのに掘り起こさないで!”
得るものより失うものの方が多い生。
それじゃ何も残らないじゃない。分かってるのに。
“そんなイヤなこともういらないの! もうやめて、やめてよぉ……”
すすり泣きで、頭の中がいっぱいになった。もう何も聞こえない。見えない。
その代わり暗く沈む記憶の底で小さなアスカが泣いているのが分かる。
手には大きなぬいぐるみがあった。もう必要のないものの筈なのに……もう。
泣かないって、決めたのに。
「泣かない……泣いてなんか。ないっ……」
顔を覆った。瞳や頬が濡れていないことを確認してほっとする。
でも脳裏の嫌な光景は更に濃くなり、泣き声は大きくなっていった。
(使徒の……精神汚染? 汚染されてるの、あたし)
これが。こんなものが、この使徒の攻撃方法なのだろうか。
“私を殺さないで!”
違う。
こんな弱い私は、私じゃないのに。私じゃない!
*****
「シンジ君、アスカッ? どうなってるの」
「使徒の精神汚染が始まっています」
「精神汚染ですって!?」
狂おしいまでの警報が鳴り響き、発令所に赤い警告が点滅している。
ミサトの声に答えるオペレーター達の声も心なしか堅く、その空気に背後に控えていた五飛がかすかに身を起こす。
けれどミサトもリツコも眼前のモニターに映る使徒と初・弐号機の姿を凝視しており、その動向に気を向ける余裕はほとんどなかった。
「あの使徒からの攻撃ね? 原因を探って。動きはどうなの」
「目標、変化なし。依然エヴァ初号機と接触中、ですが唯一心部からの熱エネルギー反応が感じられます。恐らくそこからの汚染ではないかと」
「駄目です。心理グラフ限界、精神防壁の効果もありません!」
「熱エネルギー反応は使徒の心部からのものなのね。これじゃレイをうかつに動かせないか……汚染領域は」
「……広がっています。現在半円を描く形でATフィールドが拡大、その内部の汚染領域にもうすぐ零号機も取り込まれ……いえ、このままでは本部も危険です!」
「“使徒”の目的はこの組織の破壊ではないのか?」
とうとう五飛がすぐ側に立つリツコに尋ねたのも無理はない。
こんな異常な戦闘状況は、彼の世界では通常有り得ないものだったから。
リツコは冷や汗を額ににじませながら、それでもしっかりと五飛を振り返った。
「使徒の本当の望みは、誰にも分からないわ。もしかしたら、使徒自身にも」
「葛城三佐! パルス消失、使徒、ロストしました!」
「何ですって!?」
モニターには巨大な赤の“LOST”の字が幾つも点滅する。
茫然とする一同の前で、“使徒”の身体に異変が起こったのは本当に突然のことだった。
「これは……使徒の身体が、」
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