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「失楽園」

第四部...7
「中には入らないのですね、ヒイロ」
 しばらく前から気付いていた気配に、振り返ったヒイロは自分から少し離れた廊下の窓際に立つ少女の姿を認めて、姿勢を変える。
 かすかな旋律が響いていた音楽室から、リリーナ・ピースクラフトの立つそちらに向かって。
「……気付いていたんでしょう。貴方なら私の気配位すぐに察知する。そう分かっていたのに、少しの間、声が掛けられなかった」
「…………」
「さっきは安心しました。使徒、と呼ばれる存在が現れたあの時教室を飛び出した貴方を見て、私、てっきり貴方があのガンダムで第3新東京市に行ってしまったのだと思った。止めることが出来なかったのだと思って」
「お前にはこの学園の生徒を守る役目がある。それに完全平和主義を守る責務も」
 雨音が響いている。
 音楽室から少し距離を置いた廊下で壁にもたれる様にして立っていたヒイロが、一体何を目的にしていたのかをリリーナは知っていた。
 否、薄々感付いていた、と言うべきだろうか。
 ヒイロが特別あの綾波レイと言う少女に対して注意を向けていることには随分と前に気付いていたから。
 それでも音楽室の先客であるカトルと語り出したレイに、ヒイロはまるで護衛の様に付き添って直接彼女に詰め寄ろうとはしなかった。
 もしかしたらカトルとレイだけが居る音楽室の、流れる不思議な空気を壊したくないと思ったのだろうか……。
「安易にネルフの視察を願い出たのは何故だ」
「心配してくれるの?」
「お前がいなくなればこの脆弱な王国はすぐに崩れ去る。意思を継ぐ者が必ず現れるとお前は信じているが、今の戦況ではそんな存在は早々現れまい」
「……貴方やカトル、ガンダムのパイロット達が一緒なのですもの。私は何の心配もしていません。それに逃げ道を作らなければ先に進めない人間にはなりたくない」
 かつ、とごく僅かに靴音を立てて、リリーナはヒイロに歩み寄る。
 優雅な仕草をヒイロは無言で眺めた。
「貴方はこの王国を脆弱だと思うのね」
「俺とお前は違う方法を選んだ。お前の方法は俺には選択出来ないものだからな」
「トロワ・バートンが発見され、デュオ・マックスウェルも現れました。それでも貴方がこの学園に留まってくれている理由は、貴方の中にある筈です。ヒイロ。貴方の中にも確かに、もう一つの選択がある」
 いつでも不思議な程真っ直ぐこちらを見つめるリリーナの瞳。
 ヒイロは腕組みを解かずにそのままじろりと彼女を睨んだ。
「あのネルフと言う組織には俺も興味がある。サンクキングダムに残るのはその為だ」
「……ドロシー・カタロニアにも感じたことだけれど。惣流さんが講義の時に話した言葉には、私、咄嗟に答えに詰まってしまった。彼女の言葉は真理なのね。自分の説明がひどく理性で押し固めた、強引で理屈めいたものだと分かっていたのに、あんな言葉しか返せなかった。彼女の戦いも、彼女の世界の戦いも、とても辛いものなのでしょう」
「辛くない戦いなどない」
「完全平和主義は、そんな想いを受け止めて成長して行くものでなくては。“ネルフ”に興味を抱いているのは貴方だけではありません。私もそうなのよ、ヒイロ。あの方々の世界の戦争とそれについての想いを、私は知りたい……」
 囁く様に言って、リリーナはかすかに笑んで見せる。
「……もうすぐ時間です。貴方の準備はもう良いの?」
「準備するものなど何もない」
「……そうですか。それではトロワ・バートンとデュオ・マックスウェルは、」
「あの二人なら、」
 無表情のまま、ヒイロは人差指を地下に向けた。
「一緒に、下にいる」


*****


 格納庫には今、三体のモビルスーツが並んで収納されている。
 ガンダムウイングゼロ、サンドロック、それに到着したばかりのデスサイズヘル。
 トロワが物思いにふける様な横顔をこちらに向けて立っていのは、その中の、まさにデュオの愛機の前だった。
 黒光りするその側面に、トロワの視線はじっと向かっている。
「……よっ。何してんだ、そんなトコで」
「デュオ」
 足音を立てずに近寄ったデュオに、トロワが穏やかな瞳を返してきた。
「あり? 一人か、今。カトルは」
「俺とカトルは別にいつも行動を共にしている訳ではないからな」
「あ、そっか。悪い」
 何となく、学園に来てからのカトルとトロワの空気に、二人が共に過ごす時が多いことを自然に受け止めていたのだ。
 二人の間には他者の立ち入ることの出来ない何かがあるのだと思って……一人にしておけないカトルの側にはトロワが居て欲しかった為だろうか。
 ヒイロから聞いた話の前後からして、彼が適任だと思ったのか。
「一人で大丈夫なのか、カトルは」
「子供の話をしている訳じゃないんだぞ、デュオ。カトルなら乗り越えられる」
「……だな。んじゃまあ、遠慮なく言わせて貰うけどなトロワっ」
 がばっと突然向き直ったデュオに、少しばかり驚いた様子でトロワが顔を向けてくる。
「何だ」
「お前には再会したら絶対言っとこうと思ってたんだ。よくもまあ俺のデスサイズにあんな真似してくれたよなっ。バルジでも世話になったしよ」
 むむ、と口を引き結んだデュオの言葉は少し軽く、だからトロワにも自然に受け止めることが出来た。
 実際トロワも、彼に対して何も感じていなかった訳ではないのだ。
「済まなかった。事情が事情とは言え、お前とは余り良い思い出がなかったな」
「まあこうして俺のデスサイズも生まれ変わった訳だし、今更くどくど言ったって仕方ないけどな。いちおー言っとかないとスッキリしないからよ。出会い頭に言う筈がお前ら何かそれどころじゃないみたいだったし」
「……ああ」
 表情を押さえて、それでもにじみ出る憂いは隠しようがない。
 トロワのその様子に、デュオは少し眉をひそめて彼の隣の手摺りに背を預けた。
「ほんとのこと言うとよ」
 空を睨みながら、もらした言葉は勿論トロワに向けられたものだ。
「俺はカトルが一番ガンダムのパイロットには不向きだって思ってた。あいつは闘うんじゃなくて……何かを生み出す側の人間だってさ。前に一緒に行動してた時それがいやって程わかったよ。でもカトルのそう言う、創造主としての卓越した能力が戦争に役立つ。何でも対極にある様に見えて実は裏表なんだな」
「時代が兵士を必要としていたんだ。いや、こんな時代だから俺達は生まれたのか」
「でもさ。そう考えちゃ惜しいよな、意地でも生き残ってこんな馬鹿らしい戦争なんかじゃない、別のことに生き甲斐見つけたいって言うか。戦争が終わったらって考えると頭ん中真っ白になっちまうけど……」
 希望。
 そんな言葉がデュオの胸に生まれる様になったのはいつの頃からだったか。
 ヒイロ達を見ているといつも驚く。孤独で自分だけが汚い部分を背負って生きていくのだと思っていたのに、自分以上に自分自身を切り捨てて任務に挑む人間がいた。しかもそんな任務を受けた人間が自分以外にまだ4人も存在しただなんて。
 もしかしたらこの不思議な繋がりを、孤独と言う共通項を持った仲間の存在を知った時から、その希望は生まれたのかも知れない。
 平和への希望、幸福への希望。理解への、希望。
 一人ではないと言うことがこれ程自分に勇気を与えてくれることだなんて、デュオは知らなかったのだ。
(まあヒイロの奴にはよっぽど避けられたけどなあ)
 甘いんだろうか、なんて思った途端に浮かぶ姿がある。
 惣流・アスカ・ラングレー。
 仲間が二人居る筈なのに自分は一人で戦うんだと言っていた少女。
 気付いていないのだろうか、端で見ていたデュオにさえ伝わった自分の中の気持ちに……一人になることを、孤独を恐れる心をあんなにも露呈させておいて。
「あの使徒って奴だけど、やっぱりガンダム出しての戦闘は無理なんだろうか」
「調査の為のデータが少なすぎるからな。だが方法がない訳ではないだろう。ネルフに行けばある程度のデータが揃うし、事態が事態だ、向こうも今が出し惜しみ出来る時ではないと理解しているだろうしな」
「……お迎えが来る前にさっさと上に行っとこうか」
 言いながら手摺りから身を離したデュオに、トロワもかすかに頷く。
 しばしガンダムの無機質な姿に目を遣ると、二人はゆっくりと地上に向かって歩き出した。






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