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「失楽園」

第四部...13
 異変はサンクキングダムでも認められていた。
「そんな……どうして繋がらないの?」
 幾度もキーをいじって、それでも砂嵐を映すだけのモニターに、ドロシーは唇を噛みながら通信器の電源を強引に落とす。
「エラーが出ている訳でもコードを間違った訳でもない。じゃあ何故、トレーズ様と連絡がつかないのよ!」
 ドロシーの祖父はロームフェラ財団のデルマイユ侯、そしてトレーズにとってデルマイユ侯は叔父になる。
 そのため双方には直接の兄妹関係はなかったのだけれど、それでも彼女にとってトレーズはお気に入りの親族だった。
 何ものにも流されぬ意思を持った彼が実は祖父などには御しがたい程の存在であることにはずっと気付いていたし、だからこそ彼女はトレーズと時あらば通信の遣り取りをしていたのである。
 それは当然ながらドロシーがこのサンクキングダムに訪れてからも続いていた。
 現在そのトレーズ・クシュリナーダはロームフェラ財団と思想上の対立を見た為幽閉されており、けれどそのお陰で多忙さの為スケジュール調整が大変だった彼と、以前よりずっと気楽に通信の遣り取りが出来たのだ。
 祖父達への連絡よりもむしろこちらの方を楽しみにしていたドロシーは、けれど何故か今回全く通じなくなった通信器に向かって苛立ちを隠せないでいる。
 しばしの試案の後再び通信器の電源をオンにしたドロシーは、今度はロームフェラ財団側に連絡を取ろうとした。けれどモニターに映るのはやはり砂嵐だけで、その異常な反応に今度こそドロシーは隣にあったノートパソコンを立ち上げた。
 何かを調べる為に何度かキーを弾いていたのだけれど、突然机の上にあった電話が内線音を響かせ、慌てて取れば聞こえるのは狼狽した様子のノインの声。
『ドロシー様、緊急避難の準備をお願いします! 異常事態が発生しました、どうか二十分以内に支度を』
「何が起こったと言うのです? リリーナ様の留守中に……まさか外部からの攻撃ではないんですのね?」
『分かりません、』
 聞こえてくるノインの声は、必死で周囲の人間に恐怖感を与えない様にと焦りを押し隠している。
 それでもやはり張り詰めたその声が、事態の深刻さを伺わせている様だった。
『調査不可能、偵察隊も戻って来ません。何が起こっているのか……町がどんどん消えて行くのです!』


*****


 本部に到着した避難人員の波がジオフロントに押し寄せている。
 ……町が消えたと言う意味不明な事態にすぐに調査に乗り出したネルフは、けれどすぐに、それが失敗に終わったことを知った。
 調査に向かった人間が地上に出た途端音信不通になってしまった為だ。
 現在のところの責任者である葛城ミサト三佐はすぐに非常警報を発令、とにかく第3新東京市側から入った連絡により避難者が逃げ場を失ってパニックに陥っていると知り、とりあえずの緊急処置として一般市民をジオフロントに招き入れたのだった。
「アスカ? アスカ、こっちよ、こっち!」
 迎えに出ていたアスカは避難者の中から見つけ出した懐かしい顔に、両手を上げて合図を送る。
「ヒカリ! 良かった、無事だったんだっ」
「トウジ、ケンスケも無事だったの? 怪我はっ」
 当然アスカと並んで避難者の群れの前に現れていたシンジも、ヒカリの隣に見えた友人の顔にそれまで沈んでいた表情を一変させながら駆け寄って行く。
 アスカとシンジがそうして友達との再会の喜びに浸る中、一応何かあっては心配だからとついて来ていたデュオとトロワは、少なくはないそうした避難者達の様子を見つめて表情を曇らせていた。
「……どこの世界でもおんなじだよな、こう言う時は」
「突然町が消えたと言う話だから、さすがに皆手荷物もないな。身体一つでここに逃げ込んだのだろう」
「でも町が消えたってのはどうも納得いかねえんだ。あの赤木博士は納得してたみたいだけどさ、ディラックの海だとかで……でもいきなり虚数空間が現れるってのもなぁ」
 デュオがトレードマークの三つ編みを揺らしながら辺りを見回しつつ言うのに、トロワは落ち着いた様子で腕組みをしている。
「ヒイロやカトルや五飛が被害の範囲を調べている。異変がサンクキングダムにまで及んでいないことを祈るしかないが、最悪の場合はコロニーへの影響も考えておかねばならないだろう」
「おいおいマジかよ。大体詳しい話も聞けてないんだし、イキナリ消えたって言われてもなぁ……よーし、いっちょ探ってみっか」
 何を、と尋ねる前にデュオはもう日本語で近辺の避難者に事情を聞き出している。
 素早い行動に感心しながら、トロワは深く眉間に皴を寄せた。
 当初カトルと再会した時に感じた違和感。
 それから、誰にもまだ説明したことはなかったけれど時折訪れる記憶の混乱。
 更に今回の町の消失事故……。
 頭の中で組み立てて行くと、今回の異常事態の内情はますます混乱を極め、時を経るにつれまずい方向に向かっていることが分かる。
 だがトロワには理解出来なかった。何故こんなことになってしまったのかが、どう考えても。
(始まりは何だった?)
 この第3新東京市と言う場所がサンクキングダムに現れてしまった時。
 あれが始まりだったと皆は思っているし、実際その筈だった。
 けれど……本当にそうだったのだろうか。
 もっと別に始まりはあったのではないか? 例えばこの記憶の混乱。本当に、自分はサンクキングダムに来るべくして来たのか、そこでカトルに再会しても良かったのか。
(俺は……)
 トロワには幼い頃の記憶も両親の思い出もない。物心つく前に両親や姉と死に別れ、爆発に巻き込まれた際の唯一の生き残りであることを示す様に、背には覚えのない火傷の跡があった。
 記憶を伴わないものはいつももどかしく、違和感を招き寄せる。
 今回の事件についても全てに共通するのがこの違和感だった。何かがおかしい。しかもそのおかしさの要因は自分の中にもある。
 幾ら考えても分からない癖に、ただ心だけがそれを知っていて、様々なシグナルを出しているのだ。
 トロワは本当はそれほど強い人間ではない。理論で自分の行動を押さえ込むのは、そうしていないと何か得体の知れない恐怖に押し潰されてしまいそうになるからだ。
 そんなものの為に任務を怠ったり逃げ出したりする訳にはいかないし、今までもずっとそうしてきたからこそ生きてこられた。第一、逃げて何が残ると言うのだ。自分には何もないのに……記憶も。そう、名前さえ。
 トロワ・バートンと言う名前はある男から拝借したもので、自分のものではない。
 それでも仲間たちは自分をトロワと呼ぶ。名前など何の意味もないものだと思う、ただ都合上呼び名がなければ不自由であること、ヘビーアームズのパイロットとして動くことになった時に必要だったから“トロワ”の名を使っただけで……そう、ヒイロ・ユイとてあれは本名ではないのだろう。
 ヒイロ、と言う名前を連想して、トロワは俯きを深くする。
 ヒイロ。とても自分と近い様で遠い存在。彼の行動は理屈や理論だけではなく、感情も含めた上でのものに思える。
 彼の心の中では感情と理論とかうまくマッチし、その上で任務は完全に遂行される。
 エージェントとしては“完璧な”までの存在だ。
 そう言った意味ではカトルは唯一エージェント教育を受けておらず、以前デュオが語った様に兵士には適していない様に思えた。
 それでも初めて出会った時、トロワの正体も掴めない中でガンダムを降り生身を晒したあの行動、それに今でも自分の罪と向き直ろうとする姿勢は驚く程強い。まるで嵐にしなりながらも決して折れることのない葦の様だ。
 デュオはどうだろう。
 彼についてまだそこまで詳しい訳ではないが、それでもあの前向きな姿勢は尊敬に値するものだと思う。彼はどちらかと言うと感情側に強く左右される行動を取るが、それでも何かから逃げ出したりすることはない柔軟さがそこにはある。
 他人を思いやれる余裕のある彼の態度がそれを強く暗示させた。
 五飛はやや偏った思考パターンが見られるが、それでも最後まで自分を信じて闘い抜くことの出来る人間だ。
 それは決して弱い人間に出来ることではない。信念があるからこそ自分を曲げず、それ故に傷付きやすくあっても必ず立ち直る姿はどこか、あのリリーナ・ピースクラフトと似通う何かがある気がした。
(……俺は何を考えているんだ)
 ふと我に返って動揺する。こんな状況だと言うのに、何故自分は心理分析など行っているのか。
 そう言えば異常事態が起こってからこうして自分の内面について考えることが多くなった気がする。
 それは決して、戦況の停滞が招いたものではないだろう。
(これも、まさか俺の中の異常事態なのか?)
 思いついて、笑ってしまいそうになった。
 口元に拳を当ててそれを堪えた途端、事情を聞き終えたデュオがこちらに駆け寄って来るのが見えた。







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