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「失楽園」

第一部....2
 ヒイロが学園を出て、第3新東京市(無論リリーナ達はこの時、その名称を知らない)に向かったその直後。
 カトルは非常警戒態勢の為俄かにざわめき始めた学園地下、サンクキングダム防衛本部のコントロールルームにて、意外な報告を受けていた。
「……本当ですか、ノインさん。トロワが見つかったって」
「吉報、と言う訳だな。我々も調査の甲斐があった」
「トロワが……生きていた。トロワ……」
 茫然と繰り返すカトルの細い肩を、ノインは安堵させる様に軽く叩く。
「君が苦しんでいることは、彼も承知していたそうだ。心の整理をつけておきなさい。トロワ・バートンは今こちらに向かっているそうだ」
「ここに!? このサンクキングダムにトロワが?」
「我々にとっても、これは吉報だ。君やヒイロ以外のガンダムパイロットが来てくれると言うのなら、これ以上に心強いこともないからな」
 ノインは再びカトルを見下ろした。
 強い喜びが彼の肩を揺らしている。
 だがそれを抑制するほどの動揺がその顔色を青ざめさせていた。
「カトル」
「僕に……僕に、彼の生存を喜ぶ資格が、本当にあると思いますか」
 俯いた顔。
 ノインの瞳に映るのは、綺麗な金の髪に隠された震える輪郭。
 心の整理、と自分が口にした言葉を心中で繰り返すと、ノインは眼前の少年に向けた瞳を細くする。
 一度、彼と語ったことがあった。戦場に身を置く戦士として、人の命の重さ、それを奪うことの罪深さについて。
 その時カトルはピアノを弾いていた。悲しそうな曲だとノインは評したが、それ以上に陰ったカトルの表情が気に掛かっていた。
 トロワは僕の身代わりになってあんなことになったのだと、トロワ・バートンの話題が出る都度、カトルはやりきれない己の罪深さに押し潰されそうな顔になった。
 うまく表情の読み取れないあのヒイロ・ユイでさえ、彼なりの不器用さでカトルの様子に心を砕いていた様に思う。
 トロワが姿を現した時、カトルは抱え込んだ己の枷を振り切ることが出来るのだろうか。
(何故、こんな若者が戦場に立たねばならないのだろう。本来ならこの子供達は、未来を造って行く希望になるべき存在だったのに)
 自らの作り出した汚物の中に、彼らの希望の羽をむしり取ってまで引きずり込んだのは一体誰だったのか。
 自嘲しながらも、それでも彼らの秀でた能力はこの戦争を終わらせる為に必要なものなのだと思わずにはおれない。
 こんな今更な、偽善めいた一個人の感情の為に、失われて良いものではないのだと。
 現にノインも彼らガンダムパイロットの力を何より必要としていたのだから。
(慰めの言葉を掛ける権利など、私にある筈もない)
 ノインは今や全く違った戦地に立つ男のことを思った。
 かつては彼女の上司だった男。OZの養成所では同期生だったゼクス・マーキス……否、ミリアルド・ピースクラフト。
(貴方はこの戦場をどう思っているのか)
 様々な主義主張の入り乱れる中、本当の真実など誰にも見極められなかった。
 戦争を始める為の理由はこじつけで構わないのに、終わらせる為にはなぜこれだけこじれてしまうのか。
 それとも戦争と云う行為自体に理由など必要ないのかも知れない。あるのは様々に苦しむ犠牲者の心だけ……そう。
 このカトル・ラバーバ・ウィナーのように。



「リリーナ様。辺りがひどくざわめかしい様ですけれど。何かございましたの?」
「ドロシー」
 移動途中の廊下で突然行く手を遮る様に現れた少女に、リリーナは思わず足を止めた。
 ドロシー・カタロニア。
 ロームフェラ財団幹部の血縁者であり、リリーナの完全平和主義に真っ向から疑問をぶつけてくる編入生。
 たなびくストレートの長髪は特徴のある表情の読み取れない眉同様、淡い金の色をしている。リリーナの容姿もどちらかと言えばそうだが、このドロシーは特に、北欧の血を強く伺わせる顔立ちをしていた。
 何より、厳しい環境の中で育まれた意思の強い女性像を伺わせる様な。
「授業はどうなさったの、ドロシー。まだ休み時間ではない筈です」
「リリーナ様のいらっしゃらない学園の講義ほど、無意味なものはありません。それにあのお二人の姿までないのでは……ねえ、リリーナ様。ヒイロ・ユイが先ほどこの学園から出ていかれた様子ですけれど、まさかあの街に出向かれたのではありませんわね?」
「……あの街?」
「おとぼけにならないで。今日になって突然現れたあの都市のことです。この平和な学園の前にこんな不可思議なことが起こるなんて、一体どうしたことでしょう」
 おびえた様に話すドロシーは、けれどその瞳に溢れんばかりの期待を含ませている。
 明らかにこの状況を楽しんでいるのだ。
 リリーナは陰った顔色のまま、そっと首を振ってみせた。
「お願いですから、そんな言葉を不容易に口にしないで。一般生徒の皆さんが聞けば、どなたかが誤解して不安がるとも限りません」
「ロームフェラはあの都市とは無関係です、リリーナ様」
 ふわり、とかすめる様にドロシーの顔が近づいてきて、リリーナの耳許に短い囁きが残った。
 ほんの少し、リリーナの表情がかたくなる。
「それだけは分かって戴きたくて、私思わず授業を抜け出してきてしまいましたの」
「……勿論分かっています。この学園は戦争を厭い、平和を目指す為の思想を持つ人々の学び舎ですもの、ロームフェラがその様な介入を考える必要はどこにもありませんから」
「さすがですわ、リリーナ様。私の今の不粋で余計な言葉はお忘れになって下さいね。だけどそうなると、あの都市はどうして突然現れたりしたのかしら」
 手のひらにもう片方の肘を乗せると、ドロシーは立ったまま頬杖をつく。
「あれがただの街ならよろしいのですけれど。何だか嫌な予感が致しますわ」
「安心して頂戴、ドロシー。あの都市と連絡を取る手筈が整いました。今からすぐにあちらの事情を伺うつもりですから」
 ……すぐに連絡を取るつもりが、今までてこずったのは、どうやらあの都市と学園側との通信方法が少々異なっていた為だ。
 まるで相手が別世界の技術を持っているかの様に周波数を合わせるのにてこずってしまった。
 ヒイロが出てからもう一時間ばかり、表面では平静を装いながらも、本当はその身が案じられてたまらないリリーナなのだ。
(待っていてヒイロ。お願いだから、危険な真似はしないで)





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