失楽園index > 43
「失楽園」
- 第五部...1
-
- サンクキングダムについての状況は、外に出ることなくネルフに伝わった。
外部の無線や報道機関などを使ってデータ収集を行った結果である。
『突如デンマークから発生した謎の現象は続いてロシア大陸を横断、現在も広がりつつある模様です。関係者はこれらを地殻変動の一種により起こるものではないかと……』
『サンクキングダムを中心として被害は拡大、上空写真によれば謎の現象を受けた場所には何も残っておらず、中にはハリケーン、エルニーニョ現象による異常気象を示唆する専門家もいます。平和主義国家に対する爆破攻撃によるものではないかと危惧する人間も多い中、ロームフェラ財団その他はこれらの一切を否定、以前現れたモビルスーツ“ガンダム”などの攻撃を懸念して捜査に当たっている模様』
「好き勝手言ってんなあ。また俺達が原因かよ」
ネルフのテレビから流れる報道番組を見つめていたデュオは、だるそうに机の上に身を投げ出したまま深い溜め息をついた。
ヒイロが、だらしないぞ、と言わんばかりに睨んだものの、この場……視聴覚室にいる人間がデュオと同じ思いだったろう。
絶対出入り禁止を言い渡されたサンクキングダム側の面々は、この情報入手以降それぞれの行動を取っている。
ネルフの人間に混じり原因調査に乗り出した者、勝手にコンピュータをちょろまかして独自に使徒についての分析を行う者、多々。
現在視聴覚室に集まったそれぞれパイロットの子供達とリリーナは、調査などにひと区切りつけて休憩する為に自然ここに顔を出した面子なのである。
「今までに聞いた話と言いこの報道と言い、よっぽど信頼されてないのねあんた達って」
「仕方ない。俺達の動きは独断によるものとされている。ただの戦争犯罪者に過ぎない」
「……いいえ。皆不安なのです。でもいつか必ず貴方達の戦いのことを知って、真実を知ろうとしてくれる筈」
アスカとトロワのやり取りにリリーナが毅然と答える。
サンクキングダムに異変が見られてから二日、ずっと眠っていない筈の彼女に顔には疲れの陰が微塵もない。恐らく強い精神力で堪えているのだろう。
「僕達、これからどうなっちゃうんだろ……」
「シンジ。あんたね、そう言う情け無いこと言わないでくれる? 皆が必死でやってる時にどーなっちゃうんだろってコトはないでしょーがっ」
「だってあの時の使徒のことだって全然分からないし、第一サンプルも何も残ってないんだし、あっちこっち消えていく原因だって分からないままなんだよ? この分じゃいつジオフロントまで被害を受けるか分からないじゃないか」
「〜っ、ほんっとにカッチーンってくるわねアンタのその性格! 男でしょ、もっとこれからどうしようとか考える気力もないの? それにファーストっ! 何が腹たつって一人で何事もなかったよーにいつもと同じ顔して何考えてんのか分からないままのアンタッ。少しはアンタも状況考えて行動したらどうっ?」
突如アスカの苛立ち光線を向けられたレイは、姿勢を正して座ったまま読んでいた本から顔を上げた。
やっぱり表情は変わらず、ただじっとアスカを見つめたまま喋らない。
「……何か言えば?」
「やつあたりに付き合う程、退屈してないから」
「何ですってぇっ!?」
「ちょっと待て二人共、んなトコで喧嘩してる場合かよっ!」
「……くだらないことで騒ぎ立てる。だから女は嫌だと言うんだ」
「五飛も喧嘩売るなって、ただでさえ売り買い激しいこの状況でっ」
シンジがへたり、カトルも連日の内務で疲れを隠せない状態なので、こうなるとまとめ役はデュオしか居ない。
デュオも様々な情報処理作業に狩り出されているので疲れていない筈がないのだが、それでもフォローに回らずにはいられない辺り、損な性格である。
「とにかく、もっと落ち着いて状況考えないとな。打てる手は全部打ってる。それでも何も出て来ないんだから粘るのと同時に別の可能性も当たらないと……」
「別のって何よ。何かあるならとっくの昔にミサト達が調査してるでしょ?」
「例えば俺達はずっと今回の要因がネルフ側にあると思ってるけど、もしかして俺達側の世界に原因があるんだとしたら? それに別々の世界がこうしてひっついちまってるんだから、こんな異常現象の一つや二つ起こっても不思議はないだろうし」
ふとトロワが顔を上げる。
「空間の歪み、か?」
「ん、まー専門家じゃないから全然分かんないけどさ、そんなトコ。有り得ない話でもないと思わない?」
ようやく室内のムードが好転しかけた時、がたんと音を立ててアスカが椅子を引いた。
何となく不機嫌そうな顔のまま立ち上がったその様子に、デュオがふっと視線を移すと、
「あたし、ヒカリ達の所に行ってくるわ」
呟き、アスカは足音高く部屋を出てしまう。
ミサトの命令で何とかネルフ本部への入所を許可されたヒカリ・トウジ・ケンスケの三人は、到着してすぐに本部入口から近い空き部屋に入られていた。
重要な部屋が幾つもある奥に入れて貰えないのは仕方のない話なのだが、ようやくネルフ本部に入れる! とはしゃいでいたケンスケは、ひどくがっかりした様子だった。
とりあえずそれぞれ個室を与えられたものの、彼らは時間があれば誰かの部屋に集っているらしく、いつの間にかアスカもそれに便乗するようになっていた。
もちろん、紅一点であるヒカリが少々居辛そうだったから、というのもあるのだが……ただ一つ、ネルフ本部内にありながらネルフと無関係でいられるその部屋は、アスカにとっても大切な空間だったのだ。
とはいえそこを「逃げ場所」だと思っているわけではない。先程、休憩したくてぶらぶらするうちに、何となく皆が視聴覚室に集まっていた、というのと同じで。
(ネルフもばたばたしてるもんね。避難者達への対応とかも大変みたいだし……)
そう。
ぽっかり消えた第3新東京市への対応は当然のこと、ジオフロントに降りて来た数百人の避難者達への処置も、現ネルフ代表代理であるミサトの頭を悩ませていた。
20%だけを陸地とするその場所を検討した結果、人口池とモノレールのサブターミナルが伺える近辺に、コンテナハウスを設置する……という、つまりは簡単な仮設住宅を築いたわけだが、これも一時的なものにすぎない。
他にも、食料危機、生活難(水問題が多い。電気設備の不足も目立ったが、トイレなどの不備はかなり問題があった為だ)などなど、問題は山積みになっていたが、現在は地底湖や人口湖などを利用した排水設備を整えることで対処することになっていた。水には困らないジオフロントとはいえ、そのための設備を整えるのはネルフの仕事である。
「そう考えるとヒカリ達は正解だったわよね。ここなら水洗トイレだってあるし、食料配給もバッチリだし……」
などとぶつぶつ言いながら歩いていたアスカは、その時、ふと通路の向こうから歩いて来るネルフの制服姿の男性を認めておや、と思った。
帰るべき家を失って以降、ずっと内勤の続くネルフスタッフが、ネルフ本部内を出歩く姿はそんなに珍しいものじゃない。
ただこの近辺はスタッフの出入りする様な区画じゃないし、何より男の様子が「普通ではなかった」のだ。
……うつろに開かれた目に、近づくごとに聞こえるぶつぶつという判別不明な呟き。
不気味に思いつつも無関心を装ったまま男とすれ違いかけたアスカは、何事もなくそのまま数歩進みかけて……。
気配を感じ、振り向いた。
「……っ!」
自分の背後に、通り過ぎた筈の男が立っていた。
悲鳴を上げようとしたアスカは、けれど次の瞬間、壁に身体を叩き付けられて声を詰まらせる。
男がアスカの首を締めながら壁に押しつけたのだ。
(何……こいつっ……!)
「冗談じゃない……どうして俺達がこんな目に遭うんだ」
顔を近づけられて、男の呟きが一層はっきりとアスカの耳に届いた。
ひどく怯え切った声。でも、普通じゃないことだけは分かる。
必死にもがいてその手を振り払おうとしたのに、拘束はわずかも緩まず、むしろますます強くなっていくだけ。
相手が男だから、と言う問題ではない。これはまるで、日本で言うところの「火事場の馬鹿力」だ。
(嘘……でしょ、何だってあたしがこんな目にっ!)
助けを呼ぼうにも、こんな外れの場所なんか誰も通らない。
喉が痛くて苦しいと言う感覚も危うくなってきて、アスカは目を細める。額に浮かんだ汗が、幾筋も流れおちていくのが分かった。
「どうして俺達が殺されなきゃならないんだよっ。あいつら人間じゃない、人をゴミみたいに殺しやがって……畜生、皆、皆殺されるんだ。あいつらに殺されるんだよっ」
……リアルな死が、喉からせり上がってくる。
危険信号。眼前が段々と赤くなり、薄れて行く。やがて視界が闇に浸透されてどんどん狭まる中、アスカは自分の首にかかる男の手から、抵抗の証である自らの手を離した。
(あたし死ぬんだ。こんな所で。こんな訳の分からない理由で殺されて)
……死ぬのなら、自分の意思で死にたいと昔から思っていた。他者から与えられる死はきっと突然で理不尽で全てを置き去りにしてしまうものだろうから。
ただ自殺は嫌だった。全てを投げ捨てて死ぬなんてとても卑怯な逃げ道だし、死後に納得出来なさそうな死に方なんて御免だ。
出来るなら、理想は「全てをやり尽くした後に訪れる満足な死」。力を出し尽くして、もうこれ以上動けない程の脱力感の中で死ぬのならどんなに良いだろう。
ああ、でも、それってやっぱり自分の意思の死と言うより、状況に殺されるんだから、他者から与えられる死に入るんだろうか。
そう考えると辻褄が合わないけど、もう死にかけてるこんな時にまで頭を悩ませたくない。
(にしても、あたしってホント……ドジだな)
今はこんな事が起こっても納得してしまう様な異常事態の最中なのに、油断して一人で歩いていたのはアスカのミスだ。
あたしが死んだら誰が泣くんだろう……思った途端また闇が近くなる。
誰も。泣かないかも知れないな。
それは暗い海の底に沈んでゆく意識の中で呟いた言葉。
けれど……次の瞬間、突然の衝撃と共にアスカから死をもたらす重みが離れる。
遠くで音が聞こえた。でもそれを理解する前に、急速に自分の周りを取り囲む光と空気とが甦って、アスカを激しく咳きこませた。
触れれば痛い程の感覚とノイズの入る視界。堅い壁に背を預けると強く熱を感じる。
「…………おいっ! 無事か!?」
乱暴な声とそれに相反する優しい手。抱き起こされて、アスカは焦点の合わない瞳で目に映るその人を見る。
「……デ…………オ?」
無理に声を出そうとした途端、またむせて咳き込んでしまう。様子にデュオがほっと安堵の息を洩らすのが聞こえた。
「俺が分かるな? ……ほんっと、焦ったぜ」
何故デュオがこんな所にいるんだろうか。確かまだ視聴覚室に残っていたんじゃなかったっけ?
アスカの視線だけの問いに気付いて、デュオが軽く肩をすくめた。
「いちお、ネルフ本部内でも物騒かも知れないって思ってさ、後追っかけて来たんだ。でもまさかドンピシャでこーなってるとはな」
首を回すと少し痛んで、それでも無理に斜めを見れば、視界に先程の制服姿の男が写り込んだ。アスカの首を締めていたネルフスタッフ。通路にぐでんと伸びてしまっている。
「すぐ気が付くだろうけど、その前にミサトさん達に連絡しといた方が良さそうだな」
「何か……っけほっ、……よ、様子がおかしかったんだけど、この人」
「そりゃこんな異常事態が続けば、大抵の奴はおかしくもなるだろ」
「じゃなくて、」
調子に乗って喋っていたら、また激しく咳き込んでしまった。
焦ってデュオが背中をさするのに、今では「どこ触ってんのよ、エッチ!」と叫ぶ気力もなくて、アスカは少し焦った。何だか本気で死の一歩手前まで行った感じだ。
「無理して喋んなって。このままヒカリちゃん達の部屋に行くんなら連れてってやるけど……落ち着くまでは、ちょっと休んでた方がいい」
確かに。
こんな姿を見せたら、きっとヒカリ達が怯えてしまう。ただでさえ今の状況に不安を抱いているのに。
それじゃあ、と立ち上がったデュオが、通路に備え付けられている内線電話を取り上げる。
その途端、アスカは眼前に信じられないものを見て息を呑んだ。
「何だ?」
様子に振り返ったデュオも、それを視界に入れて身を強張らせる。
……通路に寝そべっていたネルフスタッフの身体が、ゆっくりと霧の様に流れて消えて行くその様子を。
「う、そ」
瞬きする間にその男の姿は消えてしまった。後にはもう、何も残らない。
茫然としながらもデュオは内線電話にかけていた手を離した。
「……電話の必要、なくなったな」
「ど、なってんの、これ。今、消えたみたいに、見えたけど」
ずる、と強引に身を起こして立ち上がる。デュオが肩を支えてくれるのに、アスカは無意識のまま寄り掛かって目を瞬かせた。
「まさかこれ……外で第3新東京市が消えたとかって騒いでるのとは……関係ないのよ、ね?」
-
page42+page44