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「失楽園」

第五部...3
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 一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。
 外に出て通路を見ていたら、急に悲鳴が紀聞こえて。慌てて部屋の中を見れば、そこには何もない壁におびえるように頭を抱えて震えるアスカの姿があって。
 声を掛ければ恐慌状態に陥って悲鳴を上げ、それを止めようとすれば、今度は長い髪を振り乱して首を振り、必死になってデュオの手を拒む。
「しっかりしろ! 何やってんだよお前っ」
 火事場の馬鹿力。とか何とか言う諺が日本にはあったよな……などと思い出しながら(それは偶然にも、数分前にアスカが思い出した言葉とまったく同じだったのだが)アスカを抱え込むと、それでもまだ暴れる身体を強引に抱き締める。
 むが、と押し潰された様な声が聞こえると言うことは、まだ何か叫んでいるのだろう。
(何だよ、ちょっと目を離してる隙に……何があった? 何に怯えてるんだよ)
 どこかを見て、それでこんな状態になったのだ、恐らく。それだけは分かる。
 だから自然デュオの視線は室内に向かっていた。何かあるとしたら、そこしかない。
 けれど室内にはやはり何もなく、それでも懸命に目を凝らしていたデュオはようやく、部屋の薄暗がりに何かを見た気がして目を瞬かせた。
 やがてぼんやりと歪む視界に突如映る姿。
 一瞬前までは何も見えなかったそこに、いつの間に現れたのか、人影が立っているのが分かった。
(……え?)
 アスカを抱きかかえたまま、思わず息をのむ。
 そこに居たのはデュオだった。デュオ・マックスウェル。
 つばのついた帽子の隙間から獲物を狙う様な瞳でこちらを射る視線。
「嘘だろ、おい……俺、夢見てる訳じゃないよな」
 アスカを抱く腕に力がこもる。そうしている間にも、眼前のデュオはゆっくりと銃を構えていた……自分に向かって。
 その指が静かにトリガーに掛かるのを確認してから、デュオも咄嗟に携帯していたポケットリボルバーを取り出した。
 サイズ的に携帯には便利だが、短い銃身なので精密射撃に向いていない。つまり、この状況では不利になる。
 それでもこれだけの近距離ならさほどの問題はないだろう、との判断は瞬時に終えたが、幸いにも、もう一人のデュオはトリガーを引かなかった。
 じっと小康状態が続く。嫌な空気が流れる中、腕の中のアスカがようやく静かになった。

“さすがだよなあ、お前は。そうやって何でも殺せるんだろう。任務って聞けば何人殺しても立派に言い訳が出来るもんなあ”

「……んだと?」
 幻聴かも知れない。眼前のそれが幻覚なら、声だって本当のものじゃない。でも確かにそいつはそう言ったのだ、デュオと同じ声で。

“本当は気分が良いんじゃねえのか? 腐った戦争野郎を一人ブチ殺して、復讐してるんだよなあ。俺だって戦災孤児だ。どうしようもない連中の起こした勝手な戦争のせいでこんな風になっちまってさ、ほら見ろって言いたかったんだろう。この“死神”はお前らが作ったんだってな”

「そんな言葉は戦争が終わってからゆっくり聞いてやるよ。今は! そんなこと考えて立ち止まってる場合じゃないんだ!」

“戦争が終わったら? お前本当に気付いてないのか、それとも振りをしているだけか”

 銃口は相変わらずこちらに向かっている。

“戦争はもう、とっくの昔に……”

 トリガーを引いた途端。
 ぱん。と軽い音が響いて、もう一人のデュオの姿がかき消える。片手で撃った反動でアスカごと壁に背をぶつけたデュオは、けれど目を見開いたまま煙を上げる銃を下ろせないでいた。
 今、何と言った? あの幻は。
「アスカ。おい、しっかりしろって」
 肩を掴んで引き起こすと、空を見つめた瞳が感情を失っている。思わず揺すって声を掛けたが、がくがくと首が前後するだけ……それでもしばらくしたら、アスカの瞳はようやく焦点を合わせた。
「…………あ」
「ったく、何だったんだよ今のは。まるでゼロシステムだな、あんな悪趣味なモンこんな所に来てまで見る羽目になるとは思わなかったけど」
「あた、し」
 震える手で、アスカが口もとを押さえる。
 けれど動揺しているのはデュオだって同じだった。自分と同じ顔をしたモノに告げられた言葉は、ひどく心に突き刺さって取れない。
「とにかく場所移動しちまおう。ヤバイみたいだし、ここ……は……え?」
「な、何っ!?」
 デュオの声に不吉な暗示を感じてようやくはっきりとした意識の中、アスカは見上げたその先に、デュオの血の気の引いた顔を認めてぎょっとした。
「……シャレんなってねーぞ、コレッ! いいからさっさと移動しよう、歩けないなら運んでやるっ!」
「だから何よ何ってばっ」
 強引に引っ張られて部屋から転がり出たアスカは、その寸前に首をねじって、ようやくデュオの驚愕の理由を知った。
 部屋の中がゆっくりと霞の様にぼやけて消えて行く。
 広がりつつあるそれは確かに、以前ヒカリ達が語った“虚無”だったのだ。
「消失現象っ!?」
「ここにいたら巻き込まれるだろ、幸いゆっくり広がってるみたいだし逃げるぞっ」
「逃げるってどこに!?」
「銃声がしたってのに誰も駆けつけない。ってことはこの中もほとんど正常に機能してない可能性がある。それならちょうど良い、調べたいことがあるんだ」
 アスカの手を引いて通路を駆けるデュオの言葉に、アスカはぎょっとして聞き返した。
「このごに及んで何言ってんのよっ! 調べものなんかしてる場合?」
「消失現象の理由を調べるんだよ。今、俺、変なモノ見たお陰でちょっと思い出したことがある!」







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