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「失楽園」

第一部....5
“EMERGENCY”
 と、赤の点滅文字の浮かぶ通路のモニターと警報に、シンジ達ははっとする。
 場所はネルフ本部に向かう通路途中。
 とりあえず発令所に集合しているらしい皆のもとへと急ぎ足になっていた三人は、突然の非常事態警報に咄嗟に足を止めてしまった。
「何?」
「まさか、こんな時に使徒が現れたんじゃ……」
「……司令室に急ぎましょう」
 レイの呟きに、動揺していたシンジとアスカが同時に顔を見合わせた。
 すぐにむっとなるアスカ、その表情にはリーダーシップを取られた口惜しさがにじんでいる。
「あんたに言われなくても分かってるのよそんなことっ」
 ずっと走っていたから、もう司令室は目前まで迫っていた。
 見慣れた通路を急ぎ足で進むレイと、まるで競う様にこれまた駆け足になるアスカを前方に、けれどシンジは歩き出そうとしてまた足を再び止めてしまう。
 何か。
 引っ掛かるものを感じて振り返る。
 この感覚は先程ゲートを通過しようとした際に感じたものに似ているのではないか、そう確信するより早くシンジは歩き出していた。
 勿論レイ達とは逆方向に、無意識のまま進んだその先にあるのは。
(何だろうこの部屋、そう言えば僕達ってあんまり余計な部屋に入ったことないから、どこに何の部屋があるのかほとんど分かってないけど)
 シンジ達が通されるのは大抵必要な場所だけで、勿論それらはネルフ本部内でもトップクラスの機密室になる場所ばかりだったのだけれど、それでも彼は他の細かい場所については知らされていないのだ。
 アスカはともかくシンジの側は消極的にネルフと接しているから、これまで自分から進んで施設内容を調べようとしたこともない。
 なのに通路の先のいくつか並ぶ部屋の前に立つと、シンジはためらいながらもその入口を開いていた。
 機械音と共に開くそこでようやく得る実感。
 ああ、そうだ。

“僕は、ここを開けなきゃいけなかったんだ”

 それは「契約」のような不思議な感覚。
 いつもの自分ならとても立ち入り出来ない重要そうな(ネルフ内部はどこも大抵そう見える)部屋を前にして、不思議とこの時のシンジには躊躇がなかった……或いはそれは、予感、だったのかも知れない。
 かつんと踏み出した薄暗い室内には研究用のものらしいアルミの棚が並び、無造作に機器が積んであった。
 役割の分からない機械の群れ。
 現代においてCPの恩恵に預かっていないものはないから、シンジだってある程度の知識はある。
 それでも理解出来ない機器類と言うことは、これらは何か専門的なものなのだろう。
 けれどその入り組んだ棚の奥から、暗闇の筈の室内を照らす何かがある。
 それがコンピュータのディスプレイの放つ微光だと気付た時、ようやくシンジは我に返った。
(僕、何してるんだ)
 今は緊急事態発生の時で、その為に司令室に向かっている途中。
 場合によってはすぐにでもゲイジに行ってエヴァに乗り込む必要があるかも知れないのに、理由も分からないままただ衝動でこんな場所に入っていくなんて。
(でも誰もいない筈なのに、コンピュータが立ち上げたままだなんて変だよな)
 などと思いつつ、進もうとして動けなくなる。
 音もなく眼前に突きつけられた“物”の為に。
「ちょっとバカシンジ、こんな所で何やってんのよ! こっちは急いでるんだってあんた状況分かって、」
「静かにしろ」
 背後のドアからひょこんと現れたアスカにも、その人物は鋭い眼光を向けながら低く囁く様に言った。
 驚くほど綺麗な日本語だった。
「な……」
「騒げば撃つ。ゆっくりと下がれ」
 暗闇の中から唐突に現れたその人影は、突きつけた銃を片手で支えながら再びそう告げた。
 アスカが言葉もなくゆっくり後退して、そうすればそれに合わせる様に人影も銃をシンジに突きつけてくるから、結果、シンジ自身も後退する羽目になり。
 入口からのライトがその人物を照らし出した時、シンジは今度こそ息を呑んだ。
 ……そこに立っていたのはネルフの軍服に身を包んだ、どう見てもシンジ達と年の変わらない少年だったのである。
「何なのよあんた。何でこんな所に」
「も、目的は何なんだよ、こんな真似して」
 今まで色々ひどい目に合ってきたけれど、真正面から銃を突きつけられたのはさすがに初めてだ。
 動揺してどもるシンジに、少年は落ち着いた様子で更に前進する。
「ねえ、ちょっと……っ」
「こんな所で平凡な一般市民脅してたって何にもならないと思うんだけど」
 急に後ろに立っていたアスカが落ちついた声を出したので、シンジの方も何となく、口ごもって目をきょろきょろさせてしまった。
「それとも目的はもう達成しちゃった?」
 アスカのその言葉に、シンジはようやく気付く。
 少年はだらりと下げた左手に黒く四角い何かを握っていたのだ。すぐに分かる、それは一枚のフロッピーディスク。
 だけど、とシンジは眼前の銃に怯えながら、心中で首をかしげる。
 このネルフがどれだけの秘密に覆われ、更にそれらを隠す為のガードを敷かれているのかを、シンジは知っていた。
 元来ネルフはシンジの父親である碇ゲンドウのほぼ独裁支配と呼んでもおかしくない組織であり、エヴァのパイロットであるシンジ達だってほとんど何も知らされていない状況なのだ。
 そんな中でこんな少年がデータをハックしていたと言うのだろうか。
 このネルフの。
 しかも厳重なセキュリティの網の目をかいくぐって?
(さっき感じたゲートの違和感、これだったのかな)
「真実は、いつも目に見える訳じゃないわ」
 声に、シンジに向けられた銃が束の間揺れた。
 シンジも反射的に振り返り、それから同じ様にアスカも怪訝な顔でそちらを見る。
 ……一同の視線の先には、綾波レイが静かにたたずんでいた。
「全て、初めから決まっていること。だからそこからは何も得られない」
「この組織は何の為に存在する。地下に広がるこれだけ大規模なものだ、目的がある筈」
「何言ってんの? 目的も何も、ここまで来てる人なら分かるでしょ、サードインパクト防ぐ為の国連直轄の機関、それがここよ」
「き、君、データを見てるんじゃないの?」
 恐る恐る、なるべく相手の神経を逆なでしない様にシンジがそう尋ねると、ゆっくりと少年が手の内のディスクを握る。
「このデータが本物だとすれば」
 ほとんど表情に変化のないその少年の顔に、初めてかすかな困惑が浮かび上がる。
「有り得ないことだ。第一何故こんな存在がサンクキングダムの側に現れる必要がある。これではまるで、」
「別の世界のものの様な」
 レイの呟きに、息を呑んだのは少年ばかりではない。
 シンジとアスカはきょとんとしてレイを見つめる。
「ちょっとファースト、あんた何言ってんの?」
「綾波、今のどう言う意味……」
「私達は違う世界の人」
 呟きはいつもの様に小さく、だからその場は自然に、その音の調子を一つも零さない様にと静かになる。
「そう考えればおかしくない。私達だって“サンクキングダム”を知らないもの」
「何?」
 少年が再び何かを口にしようとした時、更にけたたましい警報が通路に響き渡った。
 赤く点灯する通路サイドのモニタ画面に、アスカが表情をこわばらせる。
「ちょっと、マズイわよ」
『緊急事態発生! 第3新東京市の北々東七十キロ付近に無数の機影を発見、陸、空双方から市街地に向けて接近中。関係者はただちにケイジに集合して下さい!』
「使徒!?」
「モビルスーツか」
 ちっと舌打ち。
 と同時に少年は銃を手早く腰に挟み、ディスクを胸ポケットに仕舞い込んだ。
 そのまま事態についていきかねたまま茫然としていたシンジをアスカ達に向かって突き飛ばすと、目を見張るばかりの速さで通路を駆けて行く。
「どうなってるんだ、一体」
「……なんて言ってる場合!? データ持ち逃げされるじゃない!」
「とりあえずケイジへ。あの人のことは報告だけに留めて、他の人達に任せれば良いわ」
「っ、だからあたしも今そう思ってたのよっ」
 レイの静かな声にまたもや爆発しそうな声を上げると、アスカはほとんどやつあたり気味にシンジの襟首を掴む。
「行くわよ、バカシンジ!」
 ……後には鳴り響く警報だけが、通路に残された。





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