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「神殿」
- リディア・ノートンJ
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- 『恐ろしいことが起こるよ、リディア。大きな闇がミネルバを包み込むのが見える』
自らの言葉に怯えながらも、祖母が私に語った言葉。
運命の輪はめぐり、やがてそれをもらたすのは私となるはずだった。
だから考えたこともなかったのだ、その大きな闇の正体が何であるのかを。
……いつの間にか、何かの歯車が狂い始めている。
認めたくはないその現実を、私は少しずつ、感じ始めている。
想像の範疇を超えた恐ろしい場所で過ごすこと以上に、不吉な何かが私の周りで起こり始めている……ミケェヌに四つの傷はないが、それでも自分こそが祖母の残した占いに相応しいのだと言う思いは、次第に薄れつつあった。
「貴方、ミケェヌと仲が良いの?」
そんな中、モルフィナが尋ねてきたのは、私が雑巾で神殿の円柱を磨いていた時のことだ。
彼女はさすがに、入殿以前より神殿について学んでいただけのことはあって、今でもかろうじて正気を保ちながら、神の人喰いから免れて続けていた。
「昨日、彼女と一緒にどこかに出掛けていたでしょう。それに時々楽しそうに話しているのを見掛けるし……」
「神殿に来て、最初に話した相手なの。それだけよ」
「なら良いんだけど。私、ミケェヌって何だか怖いの。いつも無表情だし、少しもこの神殿のことを恐れていないでしょう。すごく不気味で」
モルフィナが面と向かって他人を批判するのは珍しい。
私は雑巾を絞りながら、そっと溜息をついた。
「神殿では、彼女のような態度を取ることこそが普通なのよ」
「それでも……あの、私のこと、嫌な子だって思わないでね」
「何?」
「……私、私ね、貴方に声を掛けたように、ミケェヌにも声を掛けたの。入殿のすぐ後くらいに……だけど彼女、こう言ったのよ。仲良くする必要はないと思います、だってみんな、すぐにいなくなってしまうでしょうから、って……」
「ミケェヌがそんなことを?」
私はよほど意外そうな声を出したのだろう。モルフィナは暗い声で「本当よ」と呟くと、
「ねえリディア、私は怖い。何だか自分がとんでもない場所にいる気がして……ここが静寂の神殿だからじゃないのよ、そうじゃなくて、もっと別の」
モルフィナの不安は私のそれと全く同じだった。
日々を死と隣り合わせの緊張感の中で過ごした者同士、自然、研ぎ澄まされていた感覚が、それを察知していたのだろうか。
生き残った候補生達は慎重さを学び、時が経つにつれ着実に、神の贄から免れる為の落ち着きを手に入れていた。
それでも月に一度は犠牲者が生まれ、その度に候補生の数は減っていく。
そうして候補生の数が僅か五名程になると、否が応にもミケェヌの特殊な存在感は際立つようになっていた。
感情に乏しいが故の没個性は、今や神殿に生きる者の最大の武器として輝き、もはやいずれの候補生もがミケェヌを特別視する中で、けれどミケェヌ本人だけが淡々と日々を過ごしている。
……神殿にとって、ミケェヌはどのような存在なのだろう。
神殿に意思などなく、ただ人を喰らうだけの見えない神に真意などあろう筈もないと思っていた私は、けれど次第にそんな思いを抱くようになっていた。
仮にこの神殿が王たるべき力を試す場であるのなら、誰がそれに尤も相応しいのかを決めるのは、やはり神殿とそこに棲まう神であるべきだろう。
人の激しい感情を嫌って神殿の中に隠れ棲んだと言う神。
それならば一切に感情を動かさないミケェヌは、理想的な存在の筈なのだ。
そうして今回のエリッタの態度こそが、その答えを肯定しているのではないかと、私は考えた。
エリッタは露骨なひいきをするような人ではない。
けれどミケェヌと二人で過ごす時(私がそれを見たのは二度ほどだったが)エリッタは他にはない、何か特別な空気をもって、彼女に接しているようだった。
ごく僅かな変化、それでもひいきなどと言う単純な言葉では説明出来ない根本的な部分で、エリッタはミケェヌを特別視している。
私は悩み、怯え、全ての支えだった未来像が歪むのを直視出来ずに数日を過ごし……そうして、気付いたのだ。
それを確かめる方法が、一つだけあることに。
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