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「神殿」

リディア・ノートンK
 本当は、もっと早くに気付くべきだった。
 少なくともいつもの私なら、聖地画の存在を知った時点で気付いていた筈だったのだ。
 普通では考えれない状況に置かれ、私は少なからず混乱していたのに違いない。
 ……手がかりは、エリッタから聞いた『神殿火災』にまつわる詳細。
 ルゼットス王を含め、近代の神官王の絵のほとんどが焼失したと言う話……それがもし本当なら、その失われたルゼットス王の聖地画の中には『死に場所』を示すものが確かに存在していたのではないか。
 それでは、果たしてそこに描かれていた景色は何だったのか。
 その答えこそが、全ての真実を明るみにしてくれる。
(もし祖母の残した占いの言葉が本当なら)
 そこに描かれていたのは、無念の死を遂げ、新王に王座を奪われるルゼットス王の姿なのだから。
 しかし、今となってはそれを確認する術はなく、あるとすれば焼失する以前にそれを見ていた『誰か』の存在でしかない。
 そう考えた私は、エリッタの口調から火災の話が禁忌ではないだろうことを推測し、夕食を終えた後に初めて巫女頭の部屋を訪れたのだった。
 ……巫女頭の部屋は私達の部屋から大列柱室を隔てた中庭の奥にあった。
 中央に噴水の水を通した庭、その両脇には聖堂の外壁がのび、更に奥、大列柱室の正面に巫女頭の部屋が配置されている。
 大列柱室を出、満天の星の下で輝く正面の水べりを眺めながら、私は聖堂の横の廊下を歩いた。
 そうして訪れた巫女頭の部屋の前で、僅かな緊張の後、ようやく扉をノックする。
 すぐに内側から扉が開かれ、中から巫女頭の声が掛かった。
「失礼致します」
 一礼して部屋に入ると、真っ先に巫女頭の姿が視界に入った。続いて大きな机と椅子、二人掛けの長椅子に木造の寝台。
 たっぷりと空間を保たれた部屋の天井は高く、幾本もの柱が横切っている。
 見上げるほどに高いそれらの下、私は深呼吸をすると、巫女頭に改めて向き直った。
「突然済みません。少し、お伺いしたいことがあって」
「構いませんよ。お座りなさい」
 優しい声に促され、私は長椅子に腰掛けた。
 過度の緊張は激しい感情の爆発のきっかけとなる。
 そう思うのに、今にも胸が高鳴りそうなほど落ち着かない。それは更なる動揺を招き、私はすっかり悪循環の渦の中に巻き込まれていた。
「それで、話と言うのは?」
 言葉に、ようやく背筋がぴんとする。
 私は何度目になるか知れない深呼吸の後、頭の中で話す順序を整理しながら口を開いた。
「……八年前にこちらの神殿で起きた火災のことを、教えて頂きたいのです。エリッタ様に伺ったのですが、当時神殿にいた者の中で、あの方だけが生きのびたのだと」
 巫女頭の、初老の品良い顔立ちが僅かに歪んだ。
「エリッタがその話を? 本当に困ったものね、あの人には……必要のない物事を周りに広めて楽しんでいる節があるのだから」
「その際、ルゼットス王の聖地画も燃えてしまったそうですね。火災で失われたという絵の内容を、巫女頭様はご存知ですか」
 静謐の廟に続く廊下は立ち入り禁止だが、そこに並んでいる物については講義内容に含まれていた。
 だから規律違反と咎められることもあるまい、と思って口にしたその質問は、それでも彼女の予想範疇外のものだったらしい。
 彼女は途端にいぶかしむような顔つきになって、長椅子の私の隣に腰掛けた。
「おかしなことを気にするのですね。何故、そんなことを?」
「私にとって、とても大切なことだからです」
「……そうは言われてもね、知らないのですよ、残念ながら。私は八年前に就任したばかりの巫女頭ですから、火事以前の神殿内部のことには詳しくないのです」
「八年、前?」
「エリッタから聞いていませんか? 神殿で起こった火事は、何も候補生ばかりではない、当時の常任巫女達をも死に誘ったのです。
 幾ら心を鍛えていても、火災と言う非常事態が起こったのではひとたまりもなかったのでしょうね……ある者は火にまかれ、ある者は神の生け贄となって死んだのだと聞きました。エリッタは候補生の生き残りではない、当時神殿にいた者の中での、真実ただ一人の生存者だったのです」
 背に、氷をあてがわれたような驚きが、私の中を走った。
 常任巫女達まで死んでいた……本来であれば候補生はともかく、常任巫女が神殿で命を落とすことなど、まず滅多に有り得ない。
 その惨劇が、八年前に起きたのだ。
 エリッタ一人を残して……。
「エリッタなら知っているかもしれませんよ。彼女の性格からして、候補生時代から静謐の廟の廊下に出入りしていたのだとしてもおかしくはないでしょうから……禁忌を禁忌とも思っていないのだから、本当に」
 巫女頭の親切な言葉に礼を言うと、私はいそいそと部屋を後にした。
 胸が焦げるような思いがしたが、それをあえて無視して大列柱室へと足を踏み入れる。
 わざわざ巫女頭の部屋を訪れたのは、この話をエリッタに尋ねたくなかったからだった。彼女は恐らく聖地画の内容を知っているだろう。けれど、彼女とミケェヌを見るたびにこみ上げる苛立ちと不安、焦燥が、彼女に頼ることを躊躇わせていたのだ。
 しかし。
 ……数時間後、私は結局、巫女副頭の部屋を尋ねていた。
 聖地画について聞くだけ、長居はすまい。
 何度も自分にそう言い聞かせた。
 エリッタは恐らく質問に答えてくれるだろうし、私がそれを質問することによって、何らかの害を被ることもないはずだ、と。
 しかしエリッタは留守だった。
 部屋の扉を何度もノックし、強引にこじ開けようとしながらも、私は遂に諦めて溜息をついた。
(居留守を使うような人じゃない……本当に留守なんだわ)
 もしかしたら頭を冷やす時間を持つべきだと、運命の神が忠告してくれているのかも知れない。
 それなら別に構うまい、今更焦る必要はないのだからと、私は無理に納得してエリッタの部屋から離れた。
 さて、どうしたものか。
 このまま部屋に戻って早々に眠ってしまうのが一番だろうか?
 ……否。こんな気持ちのまま眠れる訳がない。
 私の足は自然と静謐の廟へと向かっていた。禁じられた扉の前に続く、絵画の廊下へと。
 一度しか見ていなかったが、歴代の王達の聖地画は果たしてどんな物だったか、どうしても今この目で確かめたくなったのだ。
 けれど、静謐の廟には静寂の神がいる。
 そんな言葉が思い返される。
 何も知らなかった入殿の頃とは違い、今の私にとって不気味な紋様の描かれた扉の向こう、そしてその前に広がる廊下でさえ、とてつもない恐怖を伴う死の世界だった。
 それでも一度は足を踏み入れ、無事に戻ってきた場所なのだ。
 足下に現れた神の存在が生々しく記憶をなぞったが、感情さえおさえておれば、あんなことは二度と起こるまい。
 途中で誰にも見咎められないうちに回廊を抜けると、そこは記憶に違うことなく、静謐の廟の廊下だった。
 不思議な獣の壁掛けと、壁を埋める肖像画と聖地画の群れ。
 入ってすぐの場所には初代神官王ケルベルトの絵が飾ってある。
 その四方を囲む聖地画は美しい花畑と巨大な王宮、そうして古びた木造の小屋と黄色いベールのかかった寝所である。
 ケルベルトは天寿を全うし、王族の証である黄のベールがかけられた部屋で眠るように逝ったのだと伝えられている。
 その伝承が本当だとすれば、確かにこの聖地画の『死に場所』は、見事に的中していることとなる。
 次代神官王ネルートス。
 学術所らしき場所と、美しい庭園の光景、そうして裕福な家庭の寝所と、南方の景色が並んでいた。
 学術と芸術分野への投資・援助を惜しまなかったと言うネルートスは、南方の視察に出向いた際、疫病にかかって急逝している。
 客死した事実と照らし合わせてみても、この聖地画はやはり当たっていた。
 次々と広がる聖地画に、私は心を奪われて黙々と歩き続ける。
 角を曲がり、それでも眺め続けていると、やがて絵の群は唐突にぷつりと途切れた。
 我に返ると、そこは既に静謐の廟の扉の前だった。
 つまりこれより以降の絵は、全て燃えてしまった……複製画を残さず、跡形もなく消えてしまったと言うことになる。
(エリッタは、火事の原因は放火にあったのだと言っていたけど)
 しかし、神殿を燃やすことに何の意味があるのだろう。
 陰鬱に笑っていたエリッタの横顔が思い出されて、私は知らず静謐の廟の扉から目を離した。
 ここは神殿の中でも相当奥まった場所である。
 つまりこの廊下にある絵が燃えたのなら、それは内部の者の犯行か、命知らずの侵入犯の仕業と言うことになるのだ。
 だが、何故そんな真似を?
(エリッタはそれを知っている)
 彼女が自ら言った事だ。
 私は知っている、しかし犯人を恨んではいないのだと。
 あれはどう言う意味なのだろう?
 知っているのに名を口にしないのは、それが誰かの命令で動いていた末端の人間であった為か、それとも既に死んでしまった為なのか。
 考えれば考えるほど頭の中がちかちかしてきて、私は頭を振った。
 途端に眩暈を覚えて壁に手を付き、じっとこめかみを押さえる。
 ……その時だった。
 がたん、と言う物音が、私の耳を揺さぶった。
 私は反射的に足下を見る。
 けれどそこに神の姿はなく、安堵して顔を上げると、今度は間違いなく音の聞こえた静謐の廟をねめつけた。
 そう、物音は確かに静謐の廟の奥から聞こえてきたのである。
(神が、動いた?)
 思わず手を伸ばし、扉に触れる。
 ひやりとした堅い感触が掌に広がり、私はそれにおされるように深呼吸した。
 何とか自分の中にわき上がる恐怖心をやり過ごすと、そのまま扉に耳を寄せ、じっと目を閉じる。
 ……神? 確かに、誰かが中にいる。
 ぼそぼそと、扉の向こうから話し声が聞こえてくる気がした。
 話し声。
 だがそんな筈はない、と私は心中で叫ぶ。そんな筈はない。ここは神の棲むおぞましい部屋なのだから、と。
 しかし、それなら今の物音は何だったのだろう。今の話し声の正体は?
 懸命に扉を探り、どこから開くのかも分からないそれを私は熱心に調べた。
 音が洩れているのなら、洩れるべき箇所がある筈だ。
 やがて私の手は壁際にある扉の端を探り当てた。取っ手のような穴が私の胸辺りの高さについている。
 困惑し、躊躇いながらも、私は思い切って禁断の扉を開いた。
 そうして……そこに。
 私は信じられないものを見た。
 最初に視界に入ったのは蝋燭の炎。
 それに照らし出されるようにして、薄く開いた扉の向こうには二つの人影があったのだ。







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