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「神殿」

リディア・ノートンL
 もしかしたら、私は心の何処かで予想していたのかも知れない。
 静謐の廟から話し声が洩れてきた時、扉の向こうに人がいるかも知れないと思ったその時に。
 それが誰であるのかを、薄々察知していたのかも知れない……。
 ……炎に揺れる明かりの中で、ケロイドに歪んだ横顔がうっとりと小さな姿を見下ろしていた。
 その視線の先には少女の姿。
 薄手のベールがふわりと揺れて、隠されていた顔が顕になる。
 それは、ミケェヌだった。ミケェヌ・シュビタとエリッタとが、石室の中で向かい合っているのだ。
 一体これは何なのかと、私は気を失いそうになった。
 正気じゃない。
 静謐の廟の扉を開けるなと言ったのはエリッタだ。恐ろしい化け物の飛び出す壺だからと、笑いながら教えてくれたのは、確かに彼女だった筈なのだ。
 お互いの息さえ触れそうなほどに近づいた二人の姿は、ちらちらと揺れるかぼそい蝋燭の炎の為か、それとも静謐の廟に満ちた空気の為か、ひどく淫靡に見える。
 視界に入るケロイドは僅かに歪み、こちらからは見えないエリッタの片側の美貌が、笑みを形作っていることを教えてくれた。
 やがてエリッタは跪き、ミケェヌの手に接吻する。
 けれど、あれは本当にミケェヌなのだろうか?
 それまでほとんど周りに表情を見せたことのなかった少女は、私の目の前で、ぞっとするほど蠱惑的な微笑を浮かべている。
(何故、エリッタ様が跪いているの……?)
 おぞましさに心を震わせながらも、私はその光景から目を離すことが出来なかった。
 見れば見るほど違う。
 やはりそこにいるのは私の知るミケェヌではなく、彼女の形をした化け物だった。
 周りの一切を遮断して感情を欠落させ、まるで人形のようにそこにいた、あの幼い東洋の少女は、どこかに消え失せてしまった……。
 そう。今の彼女は、まるで。
(違う。そんなはずが、ない)
 激しい思いが私を貫いた。
 エリッタがミケェヌを仰ぎ、何かを乞うように唇を薄く開く。
 ミケェヌは自らの前に跪く敬虔なしもべに対するように手を差し伸べ、エリッタの頬を優しく撫でた。
 たまらない、と私は口元を押さえた。
 こんなのは嫌だ。
 そう思いながら後ずさった私の足下で、何かが動く気配がした。
 私は、混乱していたのだ。
 だから気付かなかった、確かに覚えのある感触が、私の足下に近付いていたことに。
 広がる黒い染みが私の足裏を舐めた時、極限まで高まっていた感情が爆発した。
 私は恥も外聞もなく悲鳴を上げていた。これまで我慢していたあらゆる感情が、一気に解放されたような絶叫だった。
 喰われる、と言う恐怖にあらがうことなく私は静謐の廟の扉をこじ開け、中に転がり込む。
 咄嗟のことに判断がつかなかったからこそ、取れた行動だった。この時の私は、廟の中こそが神の棲まいなのだと、考える力さえ吹き飛んでいたのだ。
 祖母の占いが支えていた私の自信と、ルゼットス王への復讐の念、そして訪れる筈だった栄光の未来が与えてくれた勇気……それらの一切が消えていく中で、私は惨めにはいつくばり、叫び続けるしかない。
 反して、中にいた二人は、私の突然の登場にひどく驚いたようだった。
 気付けばミケェヌとエリッタの姿は、這っていた私のごく側にまで近付いていた。
「本当に面白い子だね、リディア。お前とこんな場所で会うとは思わなかったよ」
 私は涙目のまま自分の足下を見た。
 けれどそこには予想された死のあぎとは存在せず、神のもたらす死の象徴は、今や跡形もなく消え去っていた。
 信じられないことに、必要以上に感情を乱した私の足下から、神はまるで静謐の廟に広がる闇に溶け込むようにして……消えていたのだ。
「そんな……馬鹿な」
思わず、せわしなく辺りを見渡す。
 手で確認するように、何度も廟の床を撫でた。
 もしかして、この神の部屋では、神が神たる姿をもって現れ、私を喰らうのではないのか。あんな染みなどではなく。
 一度膨れ上がった恐れは簡単に消え失せはしない。
 我を失ってはいつくばる私の姿に、黙って様子を眺めていたエリッタも、すぐにその恐れの正体を理解したようだった。
「心配しなくとも、ここでなら神は現れないよ。どうやらお前は知らずに来たようだがね」
「どう……して?」
 私は呆然と言った。頭がうまく働かない。
「どうして、そんなこと」
「どうして、とは参ったね。お前は本当に、事情のかけらも知らないのかい? 何の推測もせずにこの部屋に近付いていたのなら、本当に、大した勇気だよ」
「何を……言って、」
 あえぎながら、私は言った。
 ここは神の棲まう聖なる部屋ではなかったのか。それなのに、神が現れないとはどう言う意味なのだ?
 既に自らを取り繕うすべさえ失った私に、エリッタは哀れむような瞳を向け、再びその場に跪いた。
「何故、お前は、ここに来たんだい?」
「絵を見に来たのでしょう。そうでもなければ、この部屋に近付こうとは思わない筈です」
 冷ややかな声に、私はびくりと肩を震わせた。
 見上げた先にあるミケェヌの瞳は冷え冷えと輝き、まるで炎の赤を映し込んだように美しい。
「どうして……どうして貴方達が、こんな所で」
「そんなこと、あなたは知らなくても良いんですよ」
 エリッタが立ち上がって後ろに下がると、今度はミケェヌが私の前にしゃがみ込んだ。
 私の顔をじっと見つめ、薄く、本当に薄く、目元を細めて笑ったようだった。
「知らなくても良いんです、リディア。あなたはルゼットスを憎んでいる。だからきっと、協力して頂けるのではないかと思っていたのに」
「どうして、私が王を憎んでいるって」
 占師であった祖母を処刑されたと言う身の上話が、彼女の耳にまで届いていたのだろうか。
 それともこれまでの言動に、そうと察知されるものがあった?
 けれどミケェヌは質問には答えず、ただゆっくりと首を横に振ると、
「あなたはわたしではなく、わたしもまた、あなたではない。だから手を取り合うことも出来ないのでしょう。あなたはとても有能なので、本当に残念ですが」
「分かるように説明して! 貴方達は一体何なの、どうしてこんな場所で、二人でっ」
「説明の必要はありません」
 ミケェヌは、今度こそぞっとするような笑みを浮かべた。
 私のあらがう力の一切を奪うような、高圧的で傲慢な光を宿した瞳を向けて。
 そこにあるのは、勘違いでも思い違いでもない、確かに人を傅かせる者の持つ『王気』だった。
 そうして私は悟ったのだ……祖母の占いが指し示していた真実を。

「だってリディア。あなたはすぐにいなくなってしまうのですから」






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