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「神殿」
- ミケェヌ・シュビタ@
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- 人に罪があるのだとすれば、それは何だろう。
奪うことだろうか、壊すことだろうか、それとも何も感じずに生きることだろうか。
そんなことを考えながら日々を過ごし続けて、気が付けばわたしは十四になっていた。
幼かった頃、冷ややかな潮風の通り抜ける岩場に、わたしは何度も通った。
岩場の向こうに広がる海はどこまでも果てしなく、暗い空の色を反射して灰色に輝いていたように思う。
時折気が向いて崖の下を覗けば白く砕ける波が見え、そこに呑み込まれる自分の姿を、わたしはいつも想像した。
そうして初めて生まれる僅かな哀しみが、ようやくわたしを満足させてくれたから。
……ミネルバ教国・カッバエラ島。
ミネルバの東端、遠くオラクシャーン大陸に続く海に囲まれた小さな島が、わたしの生まれた場所だった。
東に位置する小島の中でも比較的温暖な気候に恵まれたカッバエラで、父は植物の研究をしていた。
学者としての父を支える為に、母は毎晩遅くまで仕立物の内職をして、私と兄姉達とを育ててくれた。
早くに島を出てミネルバの本島で働いていた長兄も、海が穏やかに凪ぐ季節が訪れると、必ず手みやげを持ってわたし達のもとに帰って来たものである。
シュビタ一家は総じて家族仲が良い。
遠い船旅を経て、わざわざ実家に戻ってくる長兄の姿を見るたび、島の人々は微笑ましげに噂し合った。
そうした訳で、ジュビタ家の末娘として生まれたわたしは、両親や兄や姉の愛情をいっぱいに受けて成長したのだった。
わたしは幸せだったのだろう、と思う。
はっきりそうだと断定できないのは、その頃のわたしに、家族の愛情を知る秤がなかったからなのだが。
……自分が少し変わっていることに気付いたのは、物心ついてすぐのことだった。
喜び、怒り、悲しみ、楽しさ。
そうしたことを、わたしは言葉以上の意味では理解していなかった。
分からないのだ。人の持つ、感情というものが。
周りの子供や兄姉達が感情をあらわにした時、わたしはいつでもそれについていけず、ぽかんとしていた。
両親はそんなわたしを見るたびに「この子は少しぼんやりしたところがある」と不安がっていたが、それは違う。
わたしはぼんやりしていたのではなく、何も感じていなかったのである。
痛みや苦しみにさえ鈍感だったわたしは、ことあるごとに感情の作り方に困り、やがて他の子供達の表情を真似ることを思いついた。
逐一観察した子供達の表情はいずれもわたしの感情の見本となり、すぐにわたしは、見本の通りに作る自分の表情が「本物の感情」であると思い込むようになった。
わたしだけではなく、誰一人として、それが作りものであることに気付いていなかったのだから、それはもうほとんど本物と変わりないものなっていた。
……わたしが四つになった年のことだ。
もうすぐ寒月を迎えようと言う肌寒い季節、ぴんと張りつめた空気の中で月が煌々と輝く夜に、わたしは孤児になった。
深夜に忍んできた男が、持っていた大きな刃物で両親と兄姉達を刺殺したのである。
丁度実家に戻っていた長兄と次男、そして三人の姉と両親とが犠牲になったが、眠りの浅かったわたしは物音を聞いて咄嗟に寝台の下に隠れた為に、難を逃れた。
窓からさす月光が照らし出した男の顔を、わたしは今でも忘れることができない。
憎しみと哀しみに歪んだ例えようもない醜い顔……それはわたしが初めて見る種の『感情』だった。
後に判明したことだが、彼は長姉の元恋人だったらしい。賭博と酒に手を出し、身を滅ぼした末に姉に見捨てられ、それを苦にして犯行に及んだのだ。
町の人達はわたしを哀れみ、葬儀の支度を整えてくれた。
けれど、わたしはこの思いがけない事件が呼ぶ「表情」を作れず、ひどく困惑したのだった。何しろこれまで、家族を失った子供の顔を、一度も見たことがなかったのだから。
親兄姉を失った子供は、果たしてどんな感情を抱くのだろう。
この時になってようやく、わたしは、自分に欠落した感情が未だ失われたままであることを認識したのだった。
笑顔でも泣き顔でも怒りでもなく、空っぽの顔のままわたしは葬儀をやり過ごすしかなかった。
そうして、一切が終わった頃に迎えに来た年老いた男に連れられて、マロジ島を出ることになったのである。
何故、故郷を離れることになったのか。
どうやらわたしの預かり知らぬところで、わたしはカッバエラから遠く離れたマロジ島の遊郭に売られていたらしい。
果たして裏でどのようなやりとりが交わされていたのかは知らないが、結果としてわたしは船で数日かけて海を渡り、大好きだったあの岩場とお別れをすることになった。
わたしに理解できたのは、それだけだ。
……マロジ島に到着したのは、本格的に冬が到来した頃のこと。
正直、その地を訪れて最もこたえたのは、マロジの『寒さ』だった。
一年のうちのほぼ九割が凍える冬の季節に支配されるマロジでは、毎日が曇天で、弱々しい陽の光はほとんどまともに地上にまで届かない。
唯一の例外が恵月と呼ばれる短い春なのだが、その季節にさえ、太陽は大地に温もりを与える程の効力も持たないのだ。
わたしが勤めることになった遊郭は、寒風を遮る程度の家々がぎっしりと詰め込まれた、雑然とした町の中でも、ひときわ貧しい一角にあった。
わたしは幼かったのですぐには店に出されず、最初は遊女の一人について下働きをすることになっていた。
遊郭の女達の年齢は様々で、わたしの祖母ほどの年寄りから、まだ初潮も迎えていないような子供まで、マガキの向こうに座っていた。
わたし同様によそから売られてきた少女達は皆悲観的だったが、わたしにすれば下働きの自分などよりも、暖かい部屋を与えられている遊女達の方が余程幸せそうに見えたものだ。
いずれにせよわたしは、周りが驚くほど熱心に遊郭での下働きに勤めた。
寒さの為に体調を崩すこともたびたびあったが、病を得てそのまま亡くなる子供が幾人もいたことを考えると、わたしは良くもった方だったのだろうと思う。
何より有り難かったのは、店にわたしを気遣うような者が一人もいないことだった。
遊女達のほとんどは同じような事情を抱えてここに流れてきた者ばかり、自らを哀れむ者はいても、他人を哀れむような物好きなどいる筈がなかったのだ。
つまり仕事さえきちんとこなせば、代償に無関心を得ることが出来る。
わたしはすぐに店の勤めに慣れ、ごく当然のように遊郭で働き続けた。
今にして思えば、感情のない、人と関わることを苦手とする私にとって、必要以上の繋がりを求めない遊郭の人間関係は一番性に合っていたのかも知れない。
雪が降り、屋根の連なる町並みの一切が寒々しい白に沈むと、わたしは休憩時間を利用して狭く緩やかな坂道の石畳を走った。
目的地は以前の散歩の際に見つけた海沿いの岩場だ。
カッバエラにあったそれとは違い、マロジの岩場は身体の芯まで凍えるような寒さの中にあった。
記憶にある故郷のものより尚一層暗く寂しく、全てを寄せつけない孤高の地。
寒さは苦手である筈なのに、わたしはその岩場で、吹きすさぶ風の中に何時間も身を置き続けた。
……何故あれ程岩場を好んだのか、自分のことながら今でも良くは分からない。
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