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「神殿」

ミケェヌ・シュビタA
 遊郭での下働きが二年程続いたある日のこと、ミネルバで大きな祝典があった。
 新たなミネルバ国王が即位したのである。
 先代の王が突然死した為、選定の期間は例を見ない短さとなったが、選ばれた人物は最高の成績をもって静寂の神殿を出た神童、国民達の間でも良く名を知られていたルゼットスだった。
 王宮事務官として数年の経験を重ねた彼の年齢は、即位当時にして若干二十二、王位に就くには少し若すぎるとの非難の声もあったが、その美貌と明晰さはすぐに不安の声を吹き飛ばした。
 民衆は美しく優秀な新王に歓声を上げ、わたしの住む貧しい町にさえ、新王即位を祝う浮かれたお祭り騒ぎが広まっていた。
 スンガルと言う男が遊郭に顔を出し始めたのは、確かその数ヶ月後のことだったように思う。
 浅黒い肌に整った顔立ち、そこに傲慢さを匂わせた彼は頻繁に遊郭に訪れ、驚くほどの羽振りの良さで同じ女のもとに通い詰めた。
 その女がわたしの世話していた遊女で、ある時いつものように寝間の支度を整えていたわたしは、唐突にスンガルに声を掛けられたのである。
「お前、名は何と言う?」
 わたしは困惑した。一人前の遊女として店に出るまで、客と言葉を交わすことは禁じられている。
 けれどスンガルはしつこくわたしの素性を知りたがった。
 やがて根負けしたわたしが、ミケェヌと言う名と、店に売られるまでの経緯を話すと、彼は何故だかひどく嬉しそうに、わたしに金貨を握らせてくれた。
 その後もスンガルは頻繁にわたしに話しかけてくるようになり、その度に、わたしの手の中には小さな金貨が押し込められた。
 スンガルがわたしに小金を渡していることは、すぐに店の女達の噂になった。
 あんた、気をつけなよ。
 一人の女が意地悪く言う。
 なんでも最近じゃ、あんたみたいな子供を殺して捨てちまう連中がうようよしてるそうだからね、スンガルだって裏で何を考えているか分かったもんじゃない。
 女はけらけら笑ったが、事実この当時、町のあちこちで子供が殺されると言う物騒な事件が相次いでいた。マロジばかりでなく、付近の小島や本島でさえ同様だった。
 ああ言う事件は一度起こると便乗犯が出て、同じことを何度も繰り返すもんだよ、と客引きの男が嬉しそうに話していたが、周囲の思惑をよそに、事件の犯人はいつまでたっても捕まらなかった。
 ……羽振りの良いスンガルは店の女達に好かれたが、不思議と彼の素性を誰も知らなかった。
 金を余る程持った男の噂ならすぐに町に広まる。
 それなのに彼はほとんどの時間を遊郭で過ごし、外に親しい人間を作らなかったのだ。
 まるで自分の噂が広まることを恐れでもしているかのように。
「ミケェヌ、お前、静寂の神殿を知ってるか」
「神殿?」
「ミネルバの本島にある巨大な神殿だ。人を喰らう神が棲む、恐ろしい場所さ。毎年、男と女の候補生が交互に選ばれ、中に入れられる。
 ほとんどの者は中で死ぬが、その神殿に今、俺の女が候補生として入っているのさ」
 遊郭で過ごしていれば一生知ることのなかった外の世界を、スンガルは教えてくれた。
 その話題は偏っていたが、恐らくは彼の『本当の目的』が、自然とそうさせたのだろう。
 そうしてスンガルは、必ず話の最後にこうつけ加えるのだった。
 お前、本当に身内は一人もいないんだな?
 年が明けると、スンガルは旅支度を始めた。
 やがて店主の部屋を訪れ、長い時間をかけて何事か話し合っていたが、その内容がわたしにあったのだと気付いたのは、数時間後に店主の部屋に呼び出された後のことだった。
 わたしはスンガルに買われたのだ。
 高額な値を提示されたスンガルは、交渉の後、それでも法外の金を払って、まだ店出しもされていない幼いわたしを買い取った。
 ……あの時のわたしは、雪に滲む町並をスンガルに続いて進みながら、何故自分がスンガルに買われたのかをぼんやりと考えていた。
 雪道を歩くうちに息は白く濁り、着込んだ服の中で段々と熱くなる身体と外気との温度差に、次第に頭がぼんやりしてきたことを覚えている。
 何故、彼はわたしを買った?
 卑屈になっていたわけではなく、現実として、当時のわたしには自分にそれ程の価値があるとは思えなかった。
 それなのにスンガルは店主の言うままに大金をはたいてわたしを買った。これをおかしい、と思わない方が不自然だ。
 役に立ちそうなものと言えば……と、もはや自動的に同じ動きを繰り返すだけの足に歩みを任せて、わたしはますます靄がかる頭を懸命に働かせる。
 一応、男女のやりとりについてはしっかり頭に叩き込まれていたが、そんなものが本当に役立つものかは分からないし。
 何よりスンガルが大金をはたいてまで通い詰めていたのは、わたしにではなくわたしの世話する遊女に会う為だったのではなかったのか? と。
「なあミケェヌ。お前は静寂の神殿に入りたいか?」
 隣町で宿を取ったスンガルは、運ばれてきた夕食を前にして唐突にそう切り出した。
「人を喰らう神がいる恐ろしい神殿に。入りたいか」
「……スンガルがわたしを神殿に入れるの?」
「まさか。お前を神殿に入れるのは俺じゃない、運命がそうさせるのさ」
 スンガルはにやりと笑うと、だが、と言葉を続ける。
「生きたまま化け物に喰われるような神殿には行きたくないと言うのなら、俺はお前を助けてやることが出来る。どうだ?」
 分からない、とわたしは答えた。
 スンガルは舌打ちすると獰猛に瞳を光らせたが、別段わたしを殴るふうでもなく、すぐにそっぽを向いてしまった。
 翌日からスンガルは宿から一歩も動かなくなった。
 どうやら誰かからの連絡を待っていたらしく、数日後に使者が封書を手に現れた時にようやく、強ばっていた顔を和ませた。
 けれど封書の中身を見た途端、スンガルの顔色は青くなり、やがては「畜生!」と呻いて封書を床に叩きつけた。
「良いか、ミケェヌ。安心しろ。予定は変更になった。もうお前を殺しても何の意味もない。あの男、最初からそのつもりだったんだな……!」
「あの男?」
「こっちに来い!」
 怒鳴られるままに近寄ると、スンガルは荷物の中から一枚の紙片を取り出した。
 床の上にそれを広げて、こちらを見もせずに短く言う。
「この絵が何だか分かるか?」
 それは、色もついていない下絵だった。
 斜めに歪んだ視点から、広々とした建物の様子が描かれている。
 正面に豪華な椅子と、小階段。そして何者かに引きずられたのか、天井から斜めに外れたタペストリ。
 その光景の隅に、女が立っていた。
 黒髪を頭上でまとめた小柄な女だ。
 一瞥して、わたしはスンガルに首を傾げて見せた。
「分からない」
「これは、神の予言の絵だ。ルゼットス王が死ぬ間際に見る光景を描いたものさ。
 ミネルバでは、新たな王が即位すると必ずこの絵が描かれる。そして王はこれを見た……最近になって、黒髪の子供ばかりが殺されている事件を知っているな」
 あちこちで起こっていた、例の幼子連続殺人事件のことだ。
 まさか自分が遊女達に犯人扱いされてからかわれていたとは露とも知らず、スンガルは今度こそ頷いたわたしを見るなり、荒々しく絵を握り潰して、
「馬鹿な話さ。王はこの聖地画が実現されることを恐れている、いつかこの黒髪の女に謀殺されると言う未来をな。
 だから自ら違法の占術師を招き、この黒髪の女の正体を探ろうとした。生まれ歳、家族構成、女に関わることなら何でも占わせて、俺達のような根無し草に命じて始末させようとした。近い将来、王を殺す可能性のある黒髪の娘ばかりを」
「わたしも、黒髪……」
「そう。おまけに孤児、占術師が口にした条件ともぴったり合う、希な子供だ。長い時間をかけておまえを調べてそれが分かったからこそ、だから俺はお前を買った。おまえは他の子供とは違う。何かが違うと思ったから、殺さずにいたわけだ。
 だがあの男は肝心なところで約束を破った……笑っちまうよな、何が静寂の神殿で優秀な成績を修めた、だ。冷静な心が聞いて呆れる、あんな正真正銘の臆病者に国が治まるかよ!」
 聖地画。
 謀殺。
 黒髪の女の子。
 静寂の神殿。
 早口でまくしたてられるその内容は、わたしには少し難しかったが、言葉の半分も理解出来ないでいるこちらには一切構わず、スンガルはしつこく独白に近い叫びを上げ続けた。
「いいかミケェヌ。お前が予言の少女なのかどうか、それは分からない。だがその可能性が少しでもあるのなら、俺はお前を殺さないぞ。
 国王だろうが何だろうが、あいつは俺の大切なものを奪い取った。自らに下された死の予言を恐れるあまり、全てを消し去ろうとしたんだ。俺はあいつを絶対に許さない……!」
 遊郭で短気に振る舞うことの多かったスンガルだが、心底怒った彼の顔を、わたしはこの時初めて見た。
 その怒りがなんのためであったのか、当時のわたしには分からなかったけれど……それでも、わたしは何故かスンガルの怒りの中に、わたしの家族を刺し殺した男の顔を見いだしたのだった。
 怒りは人の心を燃やしながら輝く炎のようなものだ。
 わたしは恐らく、激情を顕にする人間が嫌いではないのだろう。
 そんなつまらないことを考えながら、怒りに震えるスンガルの横顔をじっと見つめ続けていた。








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