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「神殿」

ミケェヌ・シュビタF
 ……そうしてわたしは、入殿までの日々を本島への旅に費やしたのだった。
 小屋から持ち出した小金を節約しての放浪の末、ようやく神殿の見える町に到着したのは、入殿の儀式が行われるわずか三ヶ月前のことであった。
 入殿する為には役所に申請書を提出しなければならない。
 旅の途中に誕生日を迎えていたから、申請書に記されたわたしの年齢は十四だった。
 ひと通りの手続きを終えて他の入殿候補生達と宿泊所に移動すると、後はトントン拍子に進む。
 やがて入殿の日が訪れ、わたしは驚くほど簡単に巫女候補生となった。
 神殿についての詳細をほとんど知らずにいたのはどうやらわたし一人だったらしく、入殿を待つ間、他の候補生達はみんな青ざめた顔で、神殿に棲む神の恐ろしさを噂し合っていた。
 例外はわたし一人……だと思っていたら、もう一人いた。
 金色の髪をした、とても美しい少女。
 名前をリディア・ノートンと言うらしい。
「同類同士、引き合うものでも感じたのかい? 確かにあの子は他の連中と違う理由でここに入殿しているようだがね」
 わたしの態度に苦笑しながらそう言ったのは、フィオイア・エリッタ。静寂の神殿の現巫女副頭だった。
 そして同時に、八年前、神殿で起こった火災で唯一生き残った、奇跡の女性。
 入殿後に接触をはかってきたのは彼女の方だったが、わたしもまた、彼女の顔半分を覆うケロイドを見てすぐ事情を察した。
 エリッタはわたしを自室に招くと、特別な秘密を打ち明けるような口調で(そして実際、それらは普通では語られることのない秘密だった)言ったものだ。
「お前のことは知っているよ、ミケェヌ・シュビタ。スンガルが連れて逃げていたと言う子供だろう。よくもまあ、無事に静寂の神殿に潜り込めたものだ」
「スンガルを知っているのですか」
 神殿に入ってから、わたしはキュルソーのような丁寧語を使うようになっていた。
 それがまた面白いと、エリッタは笑う。
「知っているどころか、あいつは私の婚約者だった男さ。ああ、そこまでは聞いていなかったかい? スンガルが低俗な人殺しに身をやつした理由は、神殿にいる恋人の仇の為だった、とね」
 意外な告白に、さしものわたしもぽかんとした。
 神殿にはスンガルの恋人がいた。
 それはキュルソーに聞いていたが、彼女は神殿で起こった火災に巻き込まれて死んだのではなかったのか。
 いや、仮に運良く生き延びていたのだとしても、それなら何らかの形で情報が回ってきたはずだ。
 神殿について詳しかったはずのキュルソーだって、知っていれば、すぐにわたしに教えてくれていただろうに。
「なるほど。スンガルにとって私は死人に過ぎなかったからね、お前が知らないのも無理はない。
 あの火事が起こった時、私は静謐の廟のすぐ側にいた。それで火種を持って現れた王の部下に鈍器で頭を殴られ、気を失ったのさ。男は聖地画に火を付けるとすぐに逃走し、私が気付いた時には辺りは火の海。あれには驚いたねぇ。咄嗟に静謐の廟に逃げ込んでいなければ、私は確実に死んでいただろうよ」
「何故、スンガルに連絡を取らなかったのですか」
 わたしが尋ねると、エリッタは奇妙な笑みを浮かべて、俯いた。
「……ミケェヌ。私は王がどのような人物であるかを知らない。しかし、その王が聖地画の予言を恐れて神殿に火をつけ、絵画を燃やしたことは知っている。他に残っていた聖地画の資料も、自らの物だけが燃えたことを不審がられないようにと計算し、近代の物を中心に焼失させたことをも知っている。そうして失われた聖地画の中に、お前に良く似た娘の姿があったこともね。
 聖地画に人物像が描かれるのは珍しい。恐らく神殿にいた者達も、一度でもそれを見ておれば、忘れることはなかっただろう……私同様ね。そして、それが王の御不興を招いてしまった。おぞましい予言のすべてを消し去りたいと望む王が、その一端でも知る人間がいるとなれば、どのような行動をとるか。今のお前になら、簡単に想像がつくだろう。
 だけど……ああ、こうしてお前を目の前にしていると、良く分かるよ。スンガルがお前を予言の少女だと思った理由がね」
 わたしは何も答えなかった。
 スンガルの憎しみと、キュルソーの絶望。
 わたしの中には自ら引き継いだ二人の心があったが、その中に含まれている筈のわたしに対する感情だけは、何故だか欠片も感じ取れなかった。
「わたしが……予言の少女に見える? どうして?」
「お前には分からないだろう。それは仕方がないよ、そういうものだからね。それに、そんなことは全部、スンガルや私がお前に勝手に押しつけた幻想のようなものだ。真実がどんなものであるのかは、いずれ歴史が証明してくれるだろう。
 そうして、だからこそ私はスンガルに連絡を取らなかったのさ。町の医療館に運ばれ、何とか一命を取り留めた後も、決して連絡しなかった。そうしてさえおればスンガルは憎しみに心を焦がし、もう決して王に従うまい。そう思ったからこそ、私のことは死んだままにしておいたというわけだ。
 どうやらスンガルは私の思った通りに復讐を選んだようだが、そのスンガルが、復讐のために選んだお前がこの神殿にやって来て、こうして私と話している。果たしてこれは偶然なのだろうかと、運命論者ではない私ですら、考えてしまうよ」
 わたしが予言の娘であるのかどうかは、まだ分からない。
 そう口にしながらも、やはりエリッタはスンガルやキュルソー同様、わたしと聖地画の少女とを重ね見ているのだった。
 否。
 これは切望なのだ。
 そうであれば良い、と言う希望を超越した強い願い。
 何と言うことだろう。強い感情が死を招くこの神殿に身を置きながら、エリッタもまた、わたしが憧れてやまない激情を胸うちに秘めているのだった。
 ……その後の自由時間を利用して、エリッタはわたしを静謐の廟に続く廊下へと案内してくれた。
 ところが驚いたことに、そこにはリディア・ノートンの姿があったのである。
 神の不在を知らずに静謐の廟まで足を運んだ少女の姿を、わたしは不思議な思いで眺めた。
 彼女が何事かを熱心に思い詰め、本来なら迸りそうになる筈の激情を押し込めるようにしてそこにいるのを、ひしひしと感じたからだ。
 ……人の持つ感情の一切から隔離されていた幼い頃、わたしに在るのは『寂しさ』だけだった。
 心地よい寂しさはわたしの心を埋め尽くし、それだけで満足することが出来た。
 けれど今のわたしには不思議と、強く激しい感情を抱く人間の心の片鱗がかすめ見える気がするのだ。
 そうして憧れる。
 強く、わたしにないものを持つ人達に惹かれていく。
 結局エリッタに静謐の廟を案内して貰うのは別の日に回して、その日はリディアと一緒に神殿の中を歩いた。
 彼女はまるで、神殿の光景を瞳の奥に刻み込むようにして、廊下を進んで行った。
 何故、それほどまでに強い思いを抱きながらも、それを押さえ込めるのか。
 何故、彼女は誰にも心を許さないでいるのか。
 そう疑問に思ったわたしが、実はリディアが罪人の娘で、その咎から神殿に送られた少女なのだと聞いたのは、それから数日後のことだった。






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