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「神殿」

ミケェヌ・シュビタG
 エリッタはわたしに様々な情報を流してくれた。
 そのほとんどは、神殿で神の目を逃れて生き延びる為の必須知識だった。
 けれどそれは候補生達が平等に試練に立ち向かう為に、本来であれば決して口外されることのない知識でもある。
 神殿で過ごすのは生き延びる為ではなく、試練を乗り越える為なのだ。
 だから抜け道などは「仮にあったのだとしても」候補生達の耳に入ってはならない……当然のことだろう。
 例えばその一つ、神殿の足下の装飾タイル。神殿に棲む神は床下に潜み、強い感情を察知して人間を足下から喰らうのだが、実はそれは無地の床に限るのだと、エリッタは言った。
「これは神殿の役職に就く人間だけに知らされることなんだが、装飾タイルは安全地帯を示す目印なのさ。
 無地の床にいる時は常に気を配る必要があるが、庭や神殿内部にごく僅かにある装飾タイルの上でなら、絶対に神は来ない」
 神を獰猛な獣のように表現したのも、やはりエリッタが最初だった。
 わたし達にとって未知の存在であるはずの静寂の神を、エリッタは「あれが神なものか」とせせら笑ったのだ。
「ご丁寧に、神殿内部の壁にまで彫り込まれている神話。あれは恐らく民衆の目をごまかす為の詭弁だよ。私は火傷の療養中に随分と多くの書物に目を通したが、その中で興味深い文献を目にしたことがある。人を喰らう化け物が、僻地の村を幾つか滅ぼしたと言う地方史のひとつなのだがね……確証はないが、恐らくはそうした未知の化け物のひとつが、この神殿に棲む神の正体なのだろうと私は思うよ。
 苦心して神殿に閉じ込めたものの、それが外に出て人を喰らわないように生き餌を与えなければならない……始末出来ないから、餌を与えてなだめている。そう考えた方が、人喰い神の伝説などよりよほど納得がゆくだろう」
 それがいつから始まった風習なのか、誰が考えたものであるかは分からないが、いずれにせよ化け物一匹の為に随分と不気味な神殿が造られたものだ。
 そう言って、エリッタは話を締めくくった。
 果たして彼女の推測が真実であるのか否かは、未だ不明のままなのだが。
 エリッタが療養中に多くの書物を求めたのは、明らかな目的があってのことだったのだろう。
 彼女が自らの持つ知識を口にするたびに、わたしにはその端々に込められた強い念を感じ取ることが出来た。
 そうしてエリッタの部屋で交わされる会話は、お互いの心を思ったより強く結びつける為の糧となっていた。
 やがてわたし達は大胆に場所を変え、静謐の廟で密議を交わし始めた。
 本来化け物を閉じ込める為に造られた神殿の中で、神が棲むどころか、唯一絶対化け物が侵入できない部屋こそがここなのだと、エリッタは言う。
「明かりが少ないので、分かりにくいだろうが……足下を良くご覧、ミケェヌ。よそに負けないほどの量の装飾タイルが広がっているだろう。恐らくは、これが化け物を寄せ付けないんだろうね」
 ……神殿での生活が続くにつれ、神に喰われる犠牲者の数も増え始めた。
 リディア・ノートンはしかし、驚くほどの気丈さでこの危機を乗り越えていた。
 そうしてわたしが彼女に興味を持ったように、あちらでも、わたしを気にし始めたようだった。
「ねえミケェヌ、貴方、身体のどこかに傷がある?」
 突然そう尋ねられて、面食らった記憶がある。
 とりあえず六年前にスンガルに切りつけられた足の傷があったので、素直にそれを見せると、彼女はひどく安心したように吐息していた。
 何故そんな質問をしたのか……不思議に思って考えたものの、どうしても理解出来ず、とりあえずエリッタに尋ねてみることにした。
 すると、予想外の返答があった。
「それはきっと、リディアの祖母が残したと言う予言のせいだよ。あの子の祖母が処刑され、あの子自身もまた、処罰を受ける為に神殿に入れられたのだと以前に話しただろう?つまりリディアは、お前が予言の娘ではないのかと疑っているのさ。
 四つの傷を持つ女が王を倒す、と言う祖母の占いを思い出して、お前にそれがあるかどうかを調べたかったんだろう」
 リディアはルゼットス王を憎んでいるはずだ、とエリッタは言う。
 祖母を処刑され、自らの運命をも歪められたが故に憎しみ、けれどその憎しみこそが皮肉にも今の彼女を支えているのだろう、と。
 彼女は神殿の試練に充分堪えているし、どんな場所でも活躍出来るだけの聡明さを持っている。
 ……だからこそわたしは、もしかしたら、と言う淡い期待を抱いてしまう。
 わたしが駄目だった時には、彼女にスンガルとキュルソーの想いを継いで貰うことは出来ないだろうか。
 彼女ならそれに値するだけの才能を持っている筈だ、と。
「聖地画に描かれていた少女が、実は正体を隠す為に髪や目の色を黒くしていた、と言う可能性はないのですか」
 そんなことを考えすぎたせいか、静謐の廟で思わず呟いてしまったわたしに、エリッタは大げさなまでにけらけらと笑った。
「馬鹿なことを言うね。そんなにリディア・ノートンを予言の娘に仕立て上げたいかい?」
 どうだろう?
 わたしにも良く分からなかった。
 何故、こんなにも彼女のことが気になるのか。
 だから私は言った。
 とりあえず、わたしに分かる「理由」を。
「……少なくとも、わたしには四つの傷なんてありません」
「傷、ねえ。それを言うならリディアだってどうだか分からないが……まあ、彼女の祖母は優れた占師だったらしいから、あながち嘘でもないのだろうね」
「リディアに傷がないのなら、やはり予言は間違っていたのかも知れない」
「おや。そんなに傷が気になるなら、私が今ここで、おまえにつけてやろうか。予言にある四つの傷を」
 楽しそうに言って、エリッタはわたしの顎に手を寄せた。
 そのまま蝋燭の炎に近づけるようにわたしの顔を軽く持ち上げると、
「巫女の奉仕期間の終わりがもうすぐそこまで近付いている。いずれにせよ、結果はすぐに出るだろうさ」
 ケロイドに歪んだ顔にまで広がる笑みをたたえて、とても愛しそうに、わたしに口づけたのだった。
 ……そうして。
 わたし達は、あの夜を迎えることとなる。







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