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「神殿」

リディア・ノートンC
 夕食までの自由時間をどう過ごすべきか。
 他の候補生達の考えは分からなかったが、少なくとも私はこれを「有効」に使うつもりだった。
 静寂の神殿に訪れるまでの間、ほとんど睡眠を取らずに移動したので疲れてはいたが、眠るのは夜で良いと思い直して、私は部屋の外に忍び出た。
(それにしても、何て綺麗な神殿なのかしら)
 磨かれた大理石の床を進みながら、今日1日のうちに見てきた神殿の内部を思い返す。
 古さを感じさせない白々とした壁と、天井に広がる美しい細工。
 確かこの神殿には、女子禁制の神官用の部屋もある筈だから、中の広さは相当なものになるのだろう。
 ふと思いついて壁に近付くと、ただの平面な壁だと思われたそこにも、やはり細かい彫り物があった。
 真横に延々と続くそれは、自らの姿を憎んだ神と人々との関わりをあらわす絵物語だ。
(これだけの芸術的価値の高い建築物が、人喰い神のお陰で外から隔離されている訳ね。勿体ない)
 外にいた頃、静寂の神殿に関する書籍を何冊か手にしたが、そこに神殿の建築に関する記述は一切なかった。
 恐らく、この神殿が国の高官を生み出す場所として捉えられるようになって以降、内部の情報の多くが公開を禁じられたのだろう。
 しばらく廊下が続き、やがて回廊に出た。
 この神殿には回廊が多くある。だが、壁のあちこちに模様が彫り込まれているのとは対照的に、何故か足下のタイルには何の手も加えられていない。
 いや……と、私は眉をひそめる。
 完全に無地な訳ではなかった。時折、気が付いたように装飾の入ったタイルの廊下もある。
(何か意味があるのかしら)
 首を傾げながらふと視線を移すと、庭のタイルにも装飾が成されていた。
 抽象的な鳥の絵だ。
 波状の線だけで描かれたそれは、角度を変えると風になびく草のようにも見える。
(閉鎖的な神殿の中には似つかわしくないモチーフね) 
 思わず笑みがこぼれそうになり、頬を引き締める。
 そちらに気を取られていた私は、そのせいか、直前までそれに気付かなかった。
 ……前方にある、異様な気配に。
 咄嗟に正面を見た私は、思わずはっと息を飲んだ。
 眼前にあったのは、突き当たりの壁。そう、生き物ではない、ただの壁だったのだ。
 だが、そこには何種類かの家畜を混ぜたような不気味な動物の顔の壁飾りがあって、硝子玉をはめ込んだ焦げ茶の瞳が、私をじっと睨んでいる。
 どうやら回廊を隔てた別棟は、真横に続く廊下になっているらしい……そう判断した私は、今度こそ早足で回廊を進み、一段高くなった足場を登った。
 そこは、予想通りの廊下になっていた。まるで巨人の為に用意されたような、天井の高い、広々とした廊下だ。
 遥か前方に見える突き当たりは曲がっていて、ここからでは、果たしてどこに続いているのか、さっぱり分からない。
 けれど何より私の目を奪ったのは、両側の壁にびっしりと並ぶ絵の山だった。
 それもただの絵ではなく、巨大な肖像画を中心に据え、その四方に小さな風景画を飾ると言う、妙な規則性を持たせた絵の群なのだ。
 それらが幾つも連なって、左右の壁を延々と覆っている。
 絵に近付き、肖像画の額縁の下に削られた文字を確認すると、案の定それらは歴代の神官王の名だった。
 それにしても、分からないのは上下左右にある風景画だ。
(普通の風景に見えるけど……何か意味があるのかしら)
 首を傾げながらも更に奥へと進むと、やがて突き当たりにぶつかり、また進もうとした途端に、今度は『眼前にそびえ立つ』と言う表現がぴったりくるような巨大な壁にぶつかった。
 どうやら廊下はここで終わりらしい。
 溜息をついて壁に近付いた私は、けれど側面にびっしりと刻まれたある模様に気付いて、目を細めた。
 細長い生き物が這ったような、緑の紋様だった。
 大理石を彫り、そこに緑の遊色を持つ石を部分的に貼り付けた細工なのだろう。点と線、そして螺旋模様が描かれている。
 手を差し出し、貼り付けられた薄い石をなぞるように触った私は、けれどその時、
「近付くんじゃないよ、お嬢ちゃん。そこは巫女頭が言っていた『静謐の廟』。蓋を開けると化け物が飛び出す壺だよ」
 不意にかかった声に、いけないと思う間もなく、ぎょっと立ちすくんだ。
 ……けれどすぐに私は気付く。
 ここは、静寂の神殿の中なのだ。
 身動きするよりも早く、布靴の足裏を何かが這うような感覚があった。
 見下ろすと、大理石の床下を何かが泳いでいる。
 私の足下を中心にして、うごめく何かは次第に大理石を黒く染めていった。影ではない、まるで白を浸食するような染みだ。
 本能が危険を告げ、私は無理に目を閉じて平静を保とうとした。
 鼓動を押さえて何とか息を整えると、足下でうごめいていた何かは、ようやくするすると大理石の床の底に沈んでいく。
 ……ほとんど、瞬きを何度かするくらいの間に起きた出来事だった。
 ようやく落ち着いた胸を押さえると、私はその場にしゃがみ込む。
 そうして大理石の床に触れ、そこがひんやりとした堅い大理石でしかないことを確認した。
 堅い大理石の床。
 それでは、今のたわむような動きは、一体何?






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