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「神殿」

リディア・ノートンD
「おやおや残念、初日から神に喰われる間抜けな候補生がいるかと思ったら」
 笑いを含んだ声。
 気付いて顔を上げると、こちらを見下ろすふたつの影が目に映った。
 顔の半分をケロイドに歪ませた巫女副頭と、その背後に隠れるようにして立つ、小さな候補生の姿だ。
「……間抜け、と仰られますが、突然背後から声を掛けられれば誰でも驚きます。ましてやこのような場所なのですから」
「その通り、ここは静寂の神殿だ。しかしそうと知っていて出歩くのだから、まったくお前は面白い。どれだけ覚悟を決めていても、初日から一人で神殿の中を散歩する物好きなんぞ、滅多にいないよ」
 私はゆっくり立ち上がると、興味深げにこちらを見る巫女副頭に向き合った。
 真正面から見るフィオイア・エリッタは、やはり美しかった。
 赤く弛んだ醜いケロイドが希有な宝をなおさらに輝かせるように、彼女はたぐい稀ない美しさを、常にその身に纏っているようだ。
 そうしてその美しさを象徴するような椿色の右瞳が、真っ直ぐ私を見つめている。
「候補生。お前、名前は?」
「リディアです。リディア・ノートン」
「何故こんな所に? 散歩していて迷ったのかい?」
「探検です、エリッタ様。ここで一年も過ごすのですから、少しでも早く慣れたくて」
 今しがた遭遇した不気味な現象を脳裏から追い払って、私は微笑んだ。
 そのまま視線を移してエリッタ副頭の横に立つ少女を眺めると、視線に気付いたエリッタは、唇を歪ませながら薄く笑い、
「それならこの子もお前の同類だ。ミケェヌ・シュビタと言うのだがね、後ろの回廊で拾ったのさ。まさか神殿を探検する馬鹿が二人もいるとは思わなかったが……今年の候補生は本当に面白い」
 くつくつ、と喉の奥で笑う。
 この程度の感情の動きなら、あれを呼び出すことはないのだろうか……と、そんなことを思いつつ、私は再びミケェヌと呼ばれた少女に視線を移した。
 驚くほどの白い肌に、闇に溶け込む黒と灰色とが混じり合った、不思議な髪の色をしている。
 硝子玉のような瞳は綺麗な赤で、真っ直ぐ私を見つめていた。
 まだまだ「可愛い」と言われてもおかしくない歳に見えるのに、その顔立ちは整っていて、どこかぞっとするような「美」をのぞかせている。
「……ミケェヌ・シュビタ?」
「はい、そうです。こんばんは、リディア・ノートン」
「ミケェヌと言う名は珍しいのね。貴方、東の方から来たの?」
「出身はカッバエラ島で、育ったのはマロジ島です」
 ミケェヌが口にしたのは、いずれもミネルバ教国の東に位置する孤島の名だ。
 ミネルバ教国はもともと、独自の文化を持つ異民族の島の連なりを領土としているので、その人の容姿を見れば、大抵の出身地は判明するのである。
「あなたは本島の方ですね」
 金の髪に紫の瞳。私の容姿もまた、ミネルバの本島リゼラの民であることを表していた。
 私は頷き、感情の起伏を欠いた彼女の顔を改めて眺める。
 マロジ島で育ったと言うが、それがこんな南にまで来るのだから、余程の事情があったのだろう。
「丁度ミケェヌに中を案内してやっていたんだがね、お前も良ければ来るといいよ。一人も二人も案内するのに違いはないし、奥は造りがややこしいから、帰りが厄介だ」
「有り難うございます。あの……エリッタ様、この廊下には絵が沢山ありますが、肖像画の周りにある風景画は、一体何なのでしょうか」
 私が何気なく尋ねると、今にも廊下を戻り掛けようとしていたエリッタは、わざわざ足を止めて教えてくれた。
「ああ。そう言えばお前達は、まだ神学を受けていないんだったね。どのみちすぐに教わるだろうが……これは『四つの聖地』さ」
「聖地?」
「ミネルバの宗教用語で、人に与えられた四つの運命の地、を意味する。生まれた場所、神殿に入る前に見る場所、神殿から出た後に見る場所、死ぬ場所。最初と最後はともかく、神殿に出入りする際に見た景色は、その人物の運命を左右する重要な場所が描かれるのだと言うがね。
 ここにあるものはいずれも、神官王が即位した際、神託によって描かれたものさ」
「でも、」
 と、私は眉を潜めながら言った。
「現ルゼットス王の物はないのですね。別の場所に保管されているのですか?」
「いいや。ルゼットス王の物だけじゃない、近代の王の肖像画と聖地画は、いずれも八年前に起こった火災で焼失してしまっている。ここに残っているのは、奇跡的に火災を免れた複製画を元に作成されたものなのさ。
 神官王が即位した当初は、複製画の作成が義務付けられていたからね。近代の絵にはそれだけの手間をかけなくなっていたが、それが仇になったな」
 火災。
 神殿で火災が起こったと言う話は、初耳だった。
 私が驚いてエリッタの顔を見つめると、彼女はケロイドに歪んだ顔を更に歪めて笑った。
「その通り。この火傷も、八年前の火災で負ったものさ。尤もその当時の私はまだ候補生で、巫女副頭などと言う大層な役職には就いていなかったのだがね」
「火事と言うお話は初めて伺います」
 ふと、奇妙な違和感を覚えた。
 火事……火傷、そして生き残り。
 けれどそれが形になるより早くに、エリッタは私を斜めに見ると、
「神殿のことは、ほとんど外部に知らされないからね。大切なのは候補生が何人生き残ったか、どんな人間が王宮に入るのかと言うことだけだ」
「……神には、過去も、未来さえも見通せるのですか」
 唐突な呟きに、私は開きかけた口を慌ててつぐむ。ミケェヌだ。それまで黙っていたのに、まるで空気にとけ込むような自然さで、その言葉を口にした。
 彼女の感情を欠いたその声に、そうだなあ、とエリッタは頷いて、
「まあ、それが真実かどうかはともかく、教典にはそう書いてあるな。即位した神官王達は何より聖地画を重要視するし、これまでの神官王達の生涯を見ると、確かに、聖地画のいずれもが的中していた。
 ミネルバの法では、未来を支配するのは静寂の神だけだと言うがね。生憎と私は神に会ったことがないので、良く分からんな」
 聖職者にあるまじき返答を残して、歩き出した。
 火事で焼けた神官王と聖地の絵、そうして八年前、候補生としてその災難にぶつかったエリッタ。
 彼女が巫女副頭と言う役職についたのには、もしかしたらそこに理由があるのかも知れない。
 そんなことを思いながら肖像画の並ぶ廊下を抜けると、回廊の庭園から覗く外界は、既に濃い夜闇に包まれていた。





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