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「神殿」

リディア・ノートンH
 夕食の席での死亡者の数は十一名にのぼった。神殿に入って一週間もたたぬうちの惨劇だった。
 神に喰われた者の中にはルーナもいた。
 他にも聞いた名が幾つかあったように思われたが、いずれにせよ、私にはもうどうでも良いことだ。
 死は生々しく、どこまでも空虚だ。
 一気にがらがらになった候補生達の部屋の前で、私は深く溜息をつく。
 神殿に棲む神の恐怖は、私の想像を上回っていた。昨夜とて、ミケェヌがいなければどうなっていたか分からない。
 あの時、彼女に声をかけて貰えなかったら、私は今頃……。
(残った者が勝ちなんだわ)
 私は懸命に自分に言い聞かせた。
 どれだけ優れた人間でも、神に喰われてしまったら負け。
 状況も運も関係なく、生き残った者だけが勝者となり得るのだ。
 人喰いを直視した候補生達は、ミケェヌの言葉通り、再び当初の緊張を取り戻していた。
 近頃では全員が無口になり、一人で過ごす者も増え始めている。これは大きな変化だった。
 原因は言うまでもなく、食事の席で感情を乱した者が神を呼び寄せた時、側にいた多くの候補生達が連鎖的に喰われたことだろう。
 人喰いを見て心を乱さない者はいない。
 誰かと行動を共にすることは、その人数分、こちらが不利になることなのだ。
 惨劇から数日の後、私の部屋に赤毛のモルフィナが訪れた。
 彼女はあの人喰いを逃れた、数少ない候補生の一人だった。
「あの日のこと、ご免なさい。貴方に嫌な思いをさせてしまって」
 彼女の言葉の意味が、すぐには理解出来なかった。
 そんな私の表情を見て取ってか、
「皆でお喋りした時のことよ。貴方のおばあ様が、占術を行って罪を受けたこと……」
 ああ、その話かと、私は頷いた。
「……別に構わないわ。そんなことを気にしている状況じゃないし」
「そうね」
 モルフィナは青ざめながらも気丈に頷いた。
「その通りだわ。あの時一緒に話をしていたほとんどの候補生が神に喰われた。私は食事の前に沐浴をしていて、あの場にいなかったから……助かったけれど」
 もしその場にいたら同じことになっていたと、震える声で呟いた。
「人喰いなんて現象が、本当に起こるとは思わなかった。昔から神殿については色々な話を聞いて、準備してきたつもりだったけれど……噂なんて、半分は嘘だと思っていたのよ。神殿で消えた巫女達のほとんどは、病気や栄養失調や何かの理由で亡くなるのだとばかり」
「でも、そうじゃなかった」
「そうね……全部本当だった」
 自分に言い聞かせるような声だった。
 彼女はそれ以降も私に接触を持ったが、無邪気なまでの慣れ慣れしさはさすがになくなっていた。
 この神殿では、必要以上に他人に関わることが死に繋がることもあるのだと、彼女もようやく実感したのだろう。
 毎日が責め苦のような神殿の生活は、驚くほど静かに過ぎて行った。
 講義の最中に喰われる者まで出てくると、もはや候補生達が恐怖から解放されるのは、就寝の時間だけになっていた。
 それでも深夜、そして夜明けなどに、悲鳴が聞こえることがある。
 最初の頃は悲鳴がひとたび起こると連続して金切り声が続いたが、時がたつにつれ、それもなくなった。
 悲鳴は尾を引き、やがて恐ろしい程の沈黙にとってかわる。
 そうした翌日の朝食の席では、悲鳴の主のものであろう空席が一つ増え、私達は新たな化け物の餌が、仲間うちから消えたことを知るのだ。
 そう。
 既に候補生達は、神殿の神を神とは呼ばず、おぞましい化け物と称するようになっていた。
 ここは神殿などではない。神と呼ばれる化け物の餌小屋なのだ。
 朝夕、神殿の隅に人間の身体のごく一部が転がっていることも珍しくない日々の中で、感情を乱さずに生活するのは狂気の沙汰だ。
「……だとしたら、私達は化け物なのかも知れないわね」
 私がそうしたことを口にすると、モルフィナは決まって、青ざめた顔のまま笑うのだった。
「化け物だけがここに住むことを許される。本物の化け物は、生き残った人間そのものなのだわ」
 次第に平静を保つことが難しくなっているのは、私も同じだった。
 生々しい現実に吹き消されそうになる復讐を常に胸に甦らせ、生きることを諦めないようにしなければならなかったのだから。
 目的は拠り所となり、今を生き抜く為の力になる。
 いつかルゼットス王の胸に短剣を突きつけ、その王座は私のものだと宣言する姿を想像しては、自らを鼓舞させるのだ。
 しかしこうした日々の中で、唯一これまでと変わらない少女がいた。
 ミケェヌだ。
 彼女はいつ、何処で、誰が喰われようとも感情を乱さなかった。
 候補生が減り、自然彼女と顔を合わせる機会が多くなると、私は次第にある不安を抱くようになっていた。
 不安。
 それは、祖母の残した、あの予言の言葉。
「ねえミケェヌ、貴方、身体のどこかに傷がある?」
「六年前、川辺から足を滑らせた時についた傷が一つあります」
 言って、彼女は装束の裾を引っ張り、白く細い足を露出させた。
 そこには確かに大きく縦に走る傷があったが、他には何も見当たらなかった。
(それなら、彼女じゃないんだわ)
 四つの傷を持つ女性が、次の王座につく。
 一瞬でも自分を疑ってしまったのは、彼女の落ち着きが人外のもののように思われたからだ。
 それでも私は祖母の占師としての力を信じていた。私が知る限り、祖母の占いが外れたことはない。
「ミケェヌ、今日の自由時間の予定は?」
「エリッタ様のところに、今日の講義の質問に行きますが」
「私も一緒に行って良いかしら」
 何の躊躇もなく、ミケェヌは頷いた。
 彼女といると死の恐怖を忘れていられる、そんな私の思いには気付かぬ素振りで。






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