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「感謝祭(カーニバル)」

【20】
 荒い息をつきながら、イシリオンは壁に背を預けて天を仰いだ。
 すぐ側には毒針を受けて倒れるガゼルの姿がある。ネイナの家から少し離れた裏通りで、互いに武器を手にしてから随分と時間が経過していた。
 瞬発力に秀でたイシリオンに対し、ガゼルは持久力に優れた刺客だった。長引く乱闘はイシリオンに不利に働いたが、それでも何とか仕留めることが出来たのは、相手が以前に受けた傷を完治させていなかった為だった。
 イシリオン自身脇から胸部にかけて深い傷を負ってはいたが、命に関わる怪我ではない。
 自信をたたえて挑んできた相手は確かに口先ばかりの刺客ではなかった……何とか息を整えて身を起こし、壁に手をついて歩き出したイシリオンは、恐らく何も知らずに自分達の身を案じているであろう少女の姿を思って嘆息した。
(散歩に行こう、なんて言ったけど)
 まさか今から家に戻り、ネイナと出掛ける訳にもいくまい。
 自嘲の笑みを浮かべて傷を押さえたイシリオンは、その時、不意に現れた気配にはっと顔を上げた。
「兄、上」
「……ヘルストック側の手の者か」
 冷ややかな視線が背後に倒れ伏すガゼルを見ていた。
 イシリオンは静かに頷き、隠しようもない血の匂いを漂わせる兄の姿を見つめる。
「そちらの首尾は?」
「ヘルストックは仕留めた。だが、マイヨの足どりは掴めていない……急がねばなるまいな。先程陛下の密使から、夜明けと共にシニョンを総攻撃する旨、連絡があった」
「総攻撃? まだ時間はあるのに」
「マイヨは祭りの開始と共に行動するつもりだ。時間はそう残っていない」
「だけど、」
「今そこで、設計士の娘と会った」
 静かなその声に、イシリオンは耳を疑った。
 僅かな沈黙ののち、ようやく頭の中で言葉が意味を持つ。
「……ネイナ、と?」
「そうだ。仕事を見られて始末した。途中で邪魔が入ったが、どのみち夜明けには総攻撃が始まるんだ、助からないだろう。それにしてもあの小僧に邪魔されるとは……」
 その台詞の半分も、イシリオンの耳には届いていなかった。
 始末、した。
 その言葉の意味を理解するのに、しばらくの時間が必要だった。
「……殺したのですか」
「そうだ。そんなことより急ぐぞ、イシリオン。マイヨに直接手を下さねば、今回の仕事は終わらない。それはお前にとっても不都合だろう」
「何故、殺したのです」
 繰り返す弟の姿を、ゼフィトスは改めて見つめた。
 不思議そうな顔で。
「イシリオン? 仕事を見られたので始末しただけのことだ、何をそう驚く?」
「しかし、何か別の方法があったのでは」
「……何を甘えたことを」
 ゼフィトスの瞳が、不意に激昂を宿した。
「情けない弱音を吐こうと、お前の腕は本物だ。そう思うからこそ見逃してきた。しかしこれだけは言っておくぞ。幾ら殺しを疎んでも、今更お前に染み込んだ血の匂いは簡単には消えはしない。どれだけ望んでもお前はこちら側から逃れられない、周りが強要するからではなく、お前自身の中にある獣の血がそうさせるのだ。俺はお前にこの仕事を最後に足を洗うことを許した。だが勘違いするな……いずれはお前自身がそれを反古にするだろう。お前は所詮、他人を殺すことで生きながらえる暗殺者に過ぎないのだからな」
「違う、僕は、」
 ゆっくりと後ずさりながら、イシリオンは呻く様に言った。
 暗殺者。そんなことは分かっている、それでも自分は……、
「イシリオン!」
 叫び声が聞こえた。けれど声の主を知覚するより早く、首のつけ根に重い痛みが走る。
 反射的に振り返るのとゼフィトスが駆け出すのとは、ほぼ同時だった。
 立ち上がり、自らの身体から引き抜いた毒針をイシリオンの首に投げたガゼルは、身体中から血を流しながら壮絶な笑みを浮かべていた。
 イシリオンの視界の中で、短刀を持ったゼフィトスがその姿へと切りかかる。新たな鮮血が飛んだが、致命傷を負う前にガゼルはゆらりと身をかわし、笑ったまま欄干を乗り越えて水路に落ちて行った。
 大きな水音と共に、ガゼルの姿が消える。
 しばらく水面を眺めていたゼフィトスは、結局彼の姿を確認出来ずに舌打ちしながらこちらを振り返る。
 その一連の光景を、イシリオンは霞む視界で認識していた。
「……イシリオン」
 声も返せなかった。
 無意識のうちに急所を避けたお陰で即死は免れたが、自力で針を引き抜いた後も身体中に回る毒に耐え切れず、その場に膝を付いてしまう。
「油断したな。何故留めをささなかった」
 イシリオンは答えなかった。青ざめた顔で、ただ静かに兄を見上げていた。
 ゼフィトスが次にどの様な行動に出るのかを、イシリオンは知っている。
 彼は手にした短刀を今度は弟に向けて、苦しまぬ様に命を断ってくれるだろう。死を目前にし、足手まといになることを避ける為に死を選んだ仲間達は大勢居る。
 そうして今度は自分の番が来たのだ。
 けれど、兄を見上げる瞳の中に宿った光……嘲笑にも似たその光に、果たしてゼフィトスは気付いていただろうか。
(どうして逃げられると思ったんだろう)
 ひたひたと忍び寄る暗い影が、イシリオンをおおい尽くそうとしていた。
 もはや逃げることも出来ない自らの無力さに、イシリオンは打ちのめされた。
(これが最後なんだ。結局は、変わらない。人を殺めた人間は、同じ様に死んで行くしかない……?)
 果たしてこの仕事を全うした時、自分は本当に自由になれたのだろうかとイシリオンは思った。
 兄の言う通り、結局は自らの意志でこの場所に戻ってきたのかも知れない。そうせざえるを得なかったのかも知れない……兄に言われるまでもなく、心の奥底で泣きながらも淡々と慣れた動作で人を殺すことの出来る自分の存在を、イシリオンは知っていた。
(だとしたら、僕が望んでいたことは何だったんだろう)
 見上げた空には星があった。
 夜が明ければ女王陛下直属の兵士達がなだれ込んで来ると言うのに、やはりシニョンの夜は静かだった。
 やがて兄の短刀が近付く中、イシリオンは静かに自らの思考を閉ざした。








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