感謝祭(カーニバル)index > 23

「感謝祭(カーニバル)」

【22】
 幼い頃、両親を亡くした男の子がベアブリスの家に引き取られて来た。
 従兄弟に当たるその少年は無口で無愛想で、年上なのに自分の癇癪も堪えられない様な子供だった。
 これでは自分の方が余程大人だと、ひどく呆れてしまったことを覚えている。
 それでも成長するごとに自分の欠点を克服していった彼は、それなりの社交性を身につけた後、寡黙で優秀な軍部学生となった。
 やがてベアブリスの父が亡くなり、続けて母も亡くなると、ベアブリスと義兄とはたった二人きりの兄妹となったのだ。
 十五の成人の儀式を終えたベアブリスが静寂の神殿の門をくぐる頃、軍部学校を卒業した義兄もまた、王宮に使える近衛兵となって独立した。
 ベアブリスが神殿の試練を乗り越えてからはそれ程会う機会もなくなり、たまに再会しても、互いの仕事の関係上から近況を語り合うこともなくなっていたのだ。
 ……その義兄の名を、ガゼル、と言う。



「こんな所で呑気にしてる場合じゃない。こっちの動きは連中に筒抜けなんだぞ」
「だろうな。ヘルストックが殺られたのだ……恐らくは諜報員も数名死んでいるはず」
「俺も何とか逃げ出して来たクチだけどな。毒針がさらしの上に刺さったお陰で、こうして報告にはせ参じられたってわけさ」
「伝令を出そう、決起時刻を早める様に。このままでは武器を取る前に皆殺しになる」
 慌ただしく駆け回る男達の間で、やはりベアブリスは呆然と、突如現れた義兄の姿を見上げていた。
 こんな場所で会う筈のない人物、それはここに来てもう何度も抱いた感想だったが、彼こそが真実その思いに当てはまる人物だった。
「何故、義兄さんが」
「やっぱりシニョンに来ていたんだな、ベアブリス。お前のことだから、この機会を逃す筈はないと思っていた」
 苦しそうに吐息すると、ガゼルはゆっくり義妹の前にしゃがみ込んだ。
 ぷん、と血の匂いが鼻について、目の前に居る義兄が思った以上の深手を負っていることにベアブリスは気付く。
 同時にぱらぱらとさらしに挟まっていた毒針が、幾本か折れた状態で床に落ちた。
「ミケェヌ女王の企み通りになったな……あの女、反逆者の集うシニョンにマイヨを送り込んで町ごと叩くついでに、マイヨを狙って国家に反抗的な刺客が集うことまで計算してたのさ。いずれは自分の命を狙う厄介な存在になると考えて、刺客達もマイヨと共に葬り去るつもりだった。嫌な女だ」
「義兄さんは、その『嫌な女』に仕えていたんでしょう」
「俺は初めから右宰相に仕えてたんだよ。お前がマイヨの側に居たことも、その顔の傷のことも、全部知っていた。だけどこんな場所で再会するとはなあ」
「……今のマイヨの話は本当なの? 女王陛下が戦を始めるつもりだと言うのは」
「船を幾漕も作らせているのは確かだな。オラクシャーンが幾度となくミネルバを狙って動いていたことはお前も知っていただろう、王が変わるたびに和平条約も更新されてきたが、ミケェヌ女王の代になってからはそれがない。向こうでも、女王の真意に気付き始めている頃だろうさ」
「ミネルバに勝ち目なんてないわ」
「勝算はあるのかも知れない。どのみちミネルバは無事では済まないだろうが」
「そう……」
 義兄の淡々とした説明に、ベアブリスの驚きが潮の様に引いて行く。
 勿論、驚く必要などなかったのだ。
 ミケェヌ女王が即位する間際に、不吉な予言を残して処刑された占師が居た、と言う話は有名だし、その彼女が告げたミケェヌ女王の御代の血生臭さについても、女王自身が箝口令をしかなかったこともあって良く広まっていた。
 だからこそ民衆はミケェヌ女王を恐れ、敬い、ミネルバにかつてない未来を引き寄せようとする彼女の危険性についても声高に非難出来なかったのだ。
 その巨大過ぎる歴史のうねりとも言うべき彼女の存在に、逆らうことさえ思いつかなかった。
 そうして、その彼女に初めて逆らおうとしているのがマイヨなのだった。
 彼の持つ「理由」がミネルバの平和のためであるとは到底思い難いが、少なくとも、彼の反乱が成功すればミネルバはおぞましい戦乱の恐怖から逃れることが出来る。そうなれば、自然と民衆の目も変わるだろう。
 陰惨な事件を振りまいてきたマイヨの存在は一転して人々の希望となり、倒された女王陛下が民衆の憎しみを集めることによって、過去の罪は自然に浄化される。
(愚かな)
 本当に、マイヨはそんなことを信じているのだろうか。民衆の目が逸れても、過去の罪が消える訳はないのに。
 自分も、ウェズリも、そして数え切れない程の人々も。
 何故マイヨへの憎しみを消すことが出来るだろう。失った物は、もう戻っては来ないのだ。
「最初はガーゼイ家の人間を使ってマイヨを始末するつもりが、決起に間に合わないと知るなりシニョン総攻撃に作戦を練り変えたんだろう。どこまで抵抗出来るか……」
「義兄さんは、何故、マイヨに味方するの」
 ガゼルの瞳が、不思議そうにベアブリスを眺めた。
「何故、だと? それは俺の台詞だ。何故分からない? マイヨがどんな人間であろうと、ミケェヌ女王に表立って逆らおうとする人間は……そして、逆らえるだけの力を持つ人間は、あの男しかいないんだ。俺はそれ程情の深い人間とは言えないが、それでも祖国が戦禍に紛れて焦土と化すのを快くは思わんさ。戦さを避ける為には、マイヨの力が必要だ。だからお前にマイヨを討たせる訳にはいかないな」
「……違うわ」
 静かな呟きは、既に義兄に向けたものではなかった。
 義兄は己れのことを良く理解している。頭の回転が速く武芸にも秀でた義兄は、けれど決して憐れみ深さを持つ種の人間ではなかった。
 そうした意味では義妹である自分ととても良く似ている。
 勿論、彼の言葉は真実だろう。戦を避ける為にはそれに反対する勢力が必要だし、人々が集う為には旗頭が必要だ。
 けれど義兄がそこに見出すのは、決して愛国心などではない。
 国の中枢に立つ人材、そしてそれに着き従うだけの才を持つ人間がこれだけ揃っているのに、何故こんな簡単なことが分からないのだろうかとベアブリスは思った。
 本当に反乱が成功するとでも思っているのだろうか。その先にあるのが栄光の未来であるのだと、そんな馬鹿げた妄想を抱いているのか。
 何かを手に入れようとする人間は、自分の欲望に関してだけ、愚かになるのかも知れなかった。
 ベアブリスは全てを失い、何も得ることを望まずに居る。だからこそ、彼らの矛盾と無謀さ、その愚かしさとが、くっきりと浮き彫りの様に見えるのだろう。
「ガゼル、お前は先に手当を受けろ。夜明け前には戦いが始まるのだ、人手は少しでも多い方が良い。影ながら働くお前が必要になる局面も必ず出てくる」
「我々も移動した方が良いでしょう。右宰相殿、貴方の知人と言うこの女性も連れて行きますか? いずれにせよこれだけ内情を知られたのです、放っておく訳にもいきませんが」
「……そうだな」
 頷き、マイヨはベアブリスを振り返った。
「どうだ、ベアブリス、私と共に女王陛下の最期を看取ろうではないか。いずれ陛下の愚かな企みが広まれば、民衆もこぞって私の味方となるだろう。シニョンの外には部下を放ち、私が指示すればすぐに噂を流して民衆を扇動する様に命じてあるのだ……分かるか、ベアブリス。これは決して負け戦では、」
 ベアブリスのもとに跪き、熱を帯びた口調でマイヨがそう語り始めたその機会を、彼女は見逃さなかった。
 次の瞬間、くくりつけられた手首を何とか横にずらしながら、右宰相に向かって何か細長いものを投げつけたのだ。
 それは油断していたマイヨの足に当たり、音もなく肉の間にめり込んだ。
 はっと気付いたガゼルとレンドルとが駆け寄るが、青ざめたマイヨはその場にへたり込み、自分の足に刺さった得物を呆然と見下ろしている。
 針、だった。ガゼルが先程さらしから振り落としたイシリオンの毒針の破片を、いつの間にか足で引き寄せていたベアブリスが、眼前にまで近付いたマイヨめがけて投げつけたのだ。
 毒の先端はしっかりとマイヨの足に食いつき、するんと中に入り込んだ。爪で引っ張り出そうとしても間に合わない。
 ……ガゼルがナイフを手に義妹に近付いた時、既に彼女は絶命していた。自ら舌を噛み切り、身体を痙攣させながら窒息死したのだった。
 断末魔の苦しみに頭を壁に叩きつけ、その衝撃に弾け飛んだ白い仮面がからからと床で回っている。
 背筋が凍る様な空気の中で義妹を見下ろすガゼルに、その時、自らの足を抱え込んだマイヨの悲鳴が上がった。
「こ、これは何だ。痺れがあるぞ、毒が、毒があるのかっ!」
「ガゼル! まさかイシリオンの毒針か、何故この女がそれを持っている!」
 死への恐怖の為ばかりでない、毒の回りの早さに顔をどす黒く染めたマイヨの声とレンドルの悲鳴とに、けれどガゼルは答える言葉もない。
 仮面を失って顕になった彼女の顔には、壮絶に歪んだケロイド状の笑みが浮かんでいた。







page22page24

inserted by FC2 system