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「感謝祭(カーニバル)」

【4】
 ミネルバ現国王ミケェヌ・シュビタは、齢十七にして王位を継いだ。
 それも安穏な継承の儀式を経ての即位ではない、氷の神官王と呼ばれた前王ルゼットスを自らの手で殺めた後、その血にまみれた王座に婉然と座った簒奪者である。
 当然ながら、それは許される行為ではなかった。何よりミネルバ教国時代の倍はある戦乱の歴史を恐れる人々にとって、ミケェヌ女王の即位は不吉な何かの前触れの様に思われただろう……それでも血の即位以降二十年たった今なお、彼女は簒奪者として王位を追われることもなく、ミネルバ教国の王として君臨し続けている。
 王位簒奪以来、彼女が平和に国を治めている事実はともかく、人々がミケェヌ・シュビタを王座から引きずり落とす為に必要な争いをさえ恐れた結果がそれだった。
 女王即位の血生臭い真実を忘れてさえいれば、ミネルバ教国は平和なままなのだ。
 少なくとも人々はそう信じた。
 ミケェヌ女王は信頼のおける知人や能力者を招いて新たな国の柱とした。
 彼女が静寂の神殿に居た頃、巫女副頭として勤めていたフィアイオ・エリッタ。神殿の後輩でもあるバード・シュラタ。神殿出身ではないものの、他人の能力を誰よりうまく活かす能力に長けた西の小島の裁判官マイヨ・ゴレイールもまた、その一人だった。
 マイヨが右宰相に任命された時、人々は彼の正体を知らなかった。彼の優秀な頭脳の影に隠れた残虐な本性と、屋敷に置いた数々の拷問器具、それらを使って行われる違反者達の処刑を、知らなかった。
 しかしその行為がエスカレートするにつれ、誰もが彼の本性を知ることとなったのだ……皮肉なことにミケェヌ女王の王位簒奪が人々の記憶から薄れたのは、このマイヨ・ゴレイールの冷酷な所業が隠れ蓑になった為だった。
 マイヨの存在はミネルバ教国の住民にとって脅威以外の何者でもない。穏和で公正な左宰相バード・シュラタと、死と恐怖の源たる右大臣マイヨ・ゴレイール。しかしミケェヌ女王は二人の宰相を区別することなく扱い、従ってマイヨが自らの行為の為に地位を追われることはついぞなかった。
(民衆の不満は高まっている。このままいけばマイヨは女王陛下の手ではなく、民意によってその地位を退く羽目になるだろう)
 最後の署名をしてインクの乾かない便箋を放置すると、ヘルストックは目尻に寄った皺を伸ばす為に何度も指でしごいた。精悍な顔に走る額から目尻にかけての大きな傷が目を引く、壮年の男性である。
 彼はミネルバ教国領内の東にあるビュシリ島からの客人だった。
 黒い髪に黒い瞳、衣類の上から見てもはっきりと分かる逞しい身体つきで、その無駄のない動きは職業軍人を思わせる。何よりカーテンを閉め切った室内はシニョンにある建築物の中でも最高級のもので、それだけで彼がある程度の地位に立つ人物だと推定出来た。
 やがて便箋を閉じ、蝋を垂らして押印すると、ヘルストックはそれをマントルピースの時計の下に滑り込ませた。
「さて、どこまであらがえるものか。レンドルなどは楽観視している様だったが……」
 その時、扉を小さくノックする音が聞こえた。
 ヘルストックが立ち上がると、ほぼ同時に大きく丸めた紙を抱いた少女が入ってくる。
「失礼します、頼まれていた設計図をお持ちしました」
 案内してきた女中が立ち去った後、少女はこわごわとそう言った。
ヘルストックが近付くと、緊張に強ばった顔が真っ直ぐ彼へと向き直る。
「……わざわざ済まなかった。入ってくれ、ネイナ・ログワル」
 告げて、すぐにヘルストックは部屋のカーテンを開け放った。
 明かりがないと、聴覚を失ったこの少女に言葉を伝える術がない。
 ようやくヘルストックの唇の動きが読みとれる様になると、ネイナは目に見えて安堵した様だった。
「遅くなりました。思ったより、時間がかかってしまって」
「いや。君の設計図は誰より正確だ。助かるよ」
 古いマントルピースの側に立ち、ヘルストックは受け取った設計図を両手で広げた。
 しばし眺め、満足そうに頷く。
 振り返ってネイナに言葉を告げようとして、ふと扉口に立つ新たな人影に気付いた。
「おや、お邪魔でしたかね」
「レンドル」
 苦々しく呟くヘルストックに、ようやく気付いたネイナが肩をすくめて扉口を返り見た。
 そこには銀の長髪の男が、扉の内側をノックする様に手を伸ばしたままで、優雅に立っている……影に隠れて、顔ははっきりしないが。
 ネイナが遠慮して退室すると、銀髪の青年は当然の様に室内に入って扉を閉めた。
「悪いことをしましたね、慌てて出て行ってしまいましたよ。彼女がログワル家の耳なし子ですか」
「彼女は聴覚障害を負っているが、少なくともお前よりは優秀だぞ。そんなことより何故姿を見せた。彼女に顔を覚えられて困るのはお前じゃないのか」
「あんな小娘一人に遠慮せずとも……」
 薄く笑ったレンドルに、ヘルストックが顔をしかめる。
「無関係の人間にまで手を出すな。お前は遣りすぎる」
「設計図を書いた人間が無関係だと、まさか本気で思っている訳ではないでしょう。貴方が女子供に甘いことは承知していましたがね、こんな所で慈悲など見せないで下さい」
 ところで、と話をあっさり終わらせて、レンドルは向き合う相手の手の中にある設計図を覗き込んだ。
 瞳を輝かせながら口元に笑みを浮かべる。
「ま、利用価値の高い駒をすぐに切り捨てる程、私は愚かではありませんよ。設計図については上出来です、感謝祭までに少しでも計画を進めておかないとまずいですからね……ああ、ガゼルから連絡がきましたよ。相当な怪我を負ったらしくて、しばらくは使いものにならないんじゃないかと心配だったんですが」
 とん、と軽い音を立てて、先ほどまでヘルストックの座っていた椅子に腰を落とした。
「実は計画に関する資金調達が難しくなってきましてね。軍資金は少しでも多い方が良いのに、今回の件で尻込みする連中が出てきた様で……ガゼルには連中の説得を任せていたんですが、偶然、上の一人の護衛役まで引き受ける羽目になった挙げ句、大怪我を」
「ほう。あの男、それ程使えるのか」
「少なくとも、交渉役と護衛役を兼業できる程度には使えますよ。田舎に埋もれさせるには勿体ない男です、ああ言う人材があと十名は欲しいところですが」
「珍しいな。お前が他人を誉めるのも、弱音を吐くのも」
「そりゃまあ、これは戦争ですから」
 にやり、と笑ってレンドルは卓上にあったグラスを手に取った。手紙を綴りながらヘルストックが呑んでいた酒である。
 ぐっと飲み干すと、その間に時計の下に挟み込んでいた手紙を取ったヘルストックが、それを素早くレンドルに差し出した。
「届ける手間が省けた」
「しばらくは身の回りにお気をつけなさい、ヘルストック」
 不意に表情を硬くして、レンドルは素早く言った。
「貴方もまた、この計画の柱。上と下とを繋ぐ役割は、正直私一人には重過ぎますからね」






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