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「感謝祭(カーニバル)」

【8】
「誰だ」
 近くの建物の扉が薄く開いて、光が漏れていた。
 男が立っている。
 隠れているのに、まるで気配を読んだ様に真っ直ぐウェズリの方を見ながら。
「出てこい。居るんだろう」
 ウェズリは息を殺して深い闇に身を隠す。
 物音を立てたつもりはないが、それでも気付かれたのだから油断は出来ない。こちらに向かう眼光は恐らく完全に姿を捕らえている訳ではないのだろうに、恐ろしく鋭く、殺気を帯びていた。
 そう思った途端に、
「私よ、ゼフィトス。まさか貴方がここに居るとはね」
 低い声を発しながら、新たに現れた姿があった。
 今度こそウェズリは息を呑む。それはウェズリがシニョンで同居している、あの仮面の女だったのだ。
「ベアブリス、か。何故、お前がここに」
 男が戸口から動かぬまま呟く。
 女は……ベアブリスは、まるで幽鬼の様に小さな広間へとふらふら足を進めて来る。やがて、短く呟いた。
「何故か、ですって。本当に分からない?」
「……そうだったな、目的は一つしかあるまい。それにしてもこんな場所で再会するとは、驚いた。最後にあったのは王宮か」
「貴方、相変わらずエリッタ神殿長のもとで働いているのね。今回の依頼は女王陛下直々のものかしら、マイヨを守れと言う」
「お前は殺したくて仕方がない様だな。マイヨの寵愛を受けていた頃からは想像もつかない、その醜い顔で生きながらえたのはその為か」
「相変わらず失礼な男ね」
 からん、と音がした。
 ベアブリスが仮面をはぎ取り、地面に落としたのだ。
「でも、その分なら私の憎しみを理解出来るでしょう。貴方のことは敵に回したくないけれど、ここで引く気はないのよ」
 気配が動いた。光を背にした男が、口元を覆う様にして笑っている。
「別にお前をどうこうしようとは思わんさ。邪魔もしないから、安心するが良い」
「私ではマイヨを討つことは出来ないと?」
「違う。ここにはイシリオンも来ている」
 はっと息を呑む音。
 暗闇に全てが隠れされているのが悔やまれる程の状況に、ウェズリは知らず、額に汗を滲ませた。
 やがて、ベアブリスが呟いた。
「それでは、貴方達はマイヨを守る為ではなく……今回の依頼人は陛下ではないの?」
「そこまで答える義理はない。ベアブリス、俺の気が変わらぬうちに去るが良い。お前は敵ではないが、味方でもない。我々の任務の遂行の邪魔であると判断すれば即座に始末するぞ。マイヨは俺達の手でしとめる。手を引くんだ、今すぐに」
「怒りがおさまらないわ。この手であの男の命を断つまでは」
「どの方法を選んでも、お前が復讐を果たす道はない」
 ぴしゃりと言い放ち、男はベアブリスに背を向けた。
「そこに居るもう一人の連れにも忠告しておく。マイヨを本当の意味で殺せるのは俺達だけだが、それを理解する為に多くの人間が死ぬだろう。しかし、今なら間に合うぞ。命が惜しくばシニョンを離れることだ」
 ウェズリは息を呑んだ。やはり、気付かれていたのだ。
 ベアブリスがゆっくりとこちらを振り返る中、木のかしぐ音が響いて、扉は完全に閉じられた。
「……ウェズリ。隠れてないで出て来たら? そこに居るんでしょう。迷い込んだ先がゼフィトスの住まいの裏口だったなんて、貴方は相当運が悪いのね」
「俺をつけてたのか? それに、今の話はどう言うことだ」
 ようやく闇を抜け出したウェズリは、白々と転がる仮面を拾い上げているベアブリスへと近寄った。
 仮面をつけたベアブリスは感情の欠落した動作で振り返ると、
「話と言うのは、何? 今の男と私が知り合いだったこと? 私が昔王宮勤めをしていて、おまけにマイヨの寵愛を受けていたこと? ああ、それともゼフィトスがエリッタ神殿長ゆかりの者である、と言うことかしら?」
「別にあんたの過去に興味なんかない」
 堅く閉じられた扉を見やり、どちらともなく小さな広場を離れた二人は、やがて外灯の輝く水路沿いの通りに出た。空には蜜色の月が浮かんでいる。
「……イシリオンってのは?」
「さっきの男の実弟よ。ガーゼイ家の噂は耳にしたことがあるでしょう」
「ああ、一族総出で始末屋だの何だの手広くやってる連中だよな」
「彼はそこの人間なの。そしてイシリオンは中でも暗殺を専門にする、相当の使い手よ。前に水路で死んでいた男が居たと話してくれたでしょう? その死因が針だと聞いて、もしかしたらとは思っていたの。イシリオンは毒針を使うから……」
 ウェズリは眉をひそめた。
 マイヨに復讐を誓い、時には専門家についてあらゆる技を学んできたここ数年の間に、『ガーゼイ家』の名は何度も耳にしていた。彼らは血のつながりを重視せず、有望な捨て子などを選別して育てながら、それぞれに専門的な知識と技とを叩き込むのだと言う。
 さすがのウェズリも各人の名までは知らないが、先程の男が本当にガーゼイ家の人間だと言うのなら、それは確かに運の悪い出会い方をしたものだった。
「ガーゼイ家はエリッタ神殿長と繋がりを持っている。彼らが動くのは大抵が女王陛下の命令があった時よ。そして凄腕の始末屋であるイシリオンが動いているのなら、彼らの目的は護衛じゃない。殺しと言うわけ」
「女王陛下がマイヨを?」
 今度こそ立ち止まると、ウェズリは後ろを歩いていたベアブリスを振り返った。
「マイヨは女王陛下の許しがあるから好き勝手してるんだろ? それなのに何で」
「私が聞きたいわよ。仮に女王陛下がマイヨを殺したいと考えているのだとしても、わざわざシニョンに舞台を移した意味が分からないんだもの……民衆の怒りをくんでの処刑なら、王宮で行った方が人々を納得させられる。それなのに何故わざわざここで、ガーゼイ家を使ってまで?」
「もう一つ可能性があるな。連中が俺達を撹乱する為に嘘をついてる」
「何の為に?」
「……だから、撹乱」
「だけど、彼には私達を殺すだけの余裕が十分にあったのに、わざわざ逃がしたわ。今回だけガーゼイ家を動かしているのがエリッタ神殿長や女王陛下ではない、と考えた方が、まだ納得出来るわよ……」
「エリッタ神殿長が直属的に使っている様な組織に命令出来る人間て、女王陛下以外に誰が居るんだよ」
 ベアブリスは押し黙った。
 何一つはっきりしない。
 ただ分かるのは、自分達が命を賭して成そうとした復讐が、別からの力によって更に困難になってしまったと言うことだけだった。






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