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「落ちてゆく夢の終わり」

<序>
「……それでは皆さんは、先程の意見に賛同されると言うのですか?」

 暗闇の中に、浪々とした声が流れた。低い機械音だけが響く闇の底で、彼の発言はしばしの間、沈黙にかき消される。

 そこは広々とした部屋だった。

 或いは会議室と呼べたかも知れない、その巨大なテーブルの真上にあるモニターを挟んで、大勢の気配が並んでいた。
 室内に光はなく、ただモニターの放つ微光だけが、唯一彼らの顔を浮かび上がらせている。

 しかし。果たして本当にそのものを「彼ら」と称して良かったのだろうか?

 彼らは、いずれもが人間ではなかった。
 ある者は猫の顔を、ある者は犬の顔を……その他、鼠、兎、羊、と言ったありとあらゆる動物の顔が、人と並ぶ知能の持ち主である証に、苦悩に歪んだ顔を俯かせていたのだ。
 やがて、立ち上がっていた猫の顔をもつ者が言った。
「賛同で、宜しいのですね」
「待て。何も性急に事を決める必要はないだろう」
 猫の言葉に、慌てて席を立ったのは鹿の顔をした男だった。
「この決定は、結果次第で我々の数百年にも及ぶ努力を灰燼に帰すものだ。慎重な判断を下すべきではないのか」
「慎重な判断? これ以上どう慎重になれと言うのだ。慎重に考えてどうなった、それで何か少しでも変化はあったのか?」
「彼らを信じてここまで来たが、もう限界だ」
 低く、くぐもった声が静かに響く。
 それこそが、場に会した一同全員の思いでもあった。
「……我々は、何度裏切られれば良い」
 しん、とした沈黙が、今度こそ本当に彼らの口を重く塞ぐ。
 やがてモニターの明かりの届かないテーブルの隅で、小さな影が立ち上がった。
「皆さん。少なくともまだ、審判は続いています。希望が絶たれた訳ではなく、彼らの未来はまだ未知数なのです。その間、我々は課せられた使命を全うすべきでしょう?」
「しかし設備にも限界がある。かの都で蔓延する病の理由を、お前とて知っているだろう」
「それでも僕達には、信じる以外ないのです」
 小さな影が、手元にある資料を手繰り寄せた。
 そこに記された文字をそっと眺める。
「たとえその希望が……ムネリが、最後の一人になってしまったのだとしても」



*****



『そもそもむね霧練り(muneri)と言うのは、大変に変わった職業であると言えます。その名の由来は彼らが雲を手元に引き寄せ、それを練った後に様々な形にして空に浮かばせると言う点にあり、この技術はムネリからムネリへと伝えられる継承種でした。霧練り職の発祥地である森の都で、彼らは伝統職人としての尊敬を一身に受ける立場にあります。
 霧練りの住む街には、大抵高い塔が幾つかあり、彼らはその頂上から雲を引き寄せてこね、形を整えて空に放します。その活用法は様々で、例えば食料品の広告、会議・芝居の日時、避難訓練の通達など、街の様々な情報を雲を練って作った文字で知らせるのです。特に腕を磨いた霧練り達は雨雲を作ることさえ出来たので、空のカンバスに模様を描く彼らの事を、神に最も近い芸術家と呼ぶ者もありました。途切れる事なきそれらの技は、今
尚、森の都を彩り続けています。【むね霧練る】←動詞・雲を適度に固くし、形をこねる事』




 冷たい風が吹いて、古ぼけた書物の頁をぱらぱらとめくっていく。
 覗き込んでいた絵入りの頁を見損ねて、子供はしゃがみこんだまま、あどけない仕草で首を傾げた。
 柔らかそうな栗色の髪と、ほっそりした白い手足を包む乳白色の洋服が風になびき、けれど子供は相変わらず浜辺に落ちた書物を眺めている。
 やがてひときわ強く吹いた風が本をすっかり閉じてしまうと、子供はようやく身体を起こした。
 そのまま足の裏にくっついた砂をこそばゆそうに振り払い、辺りを眺める。

 そこは、弱々しい日差しの照る海辺だった。
 視界に広がる海、さらさらと足元を流れる暖かい砂。
 左手には空に届きそうな程高い崖があり、そこから一本の青々とした木が、まるで海を覗き込む旅人のように生えている。
 切りたった崖をぐるりと見渡すと、やがてなだらかな坂道になり、砂浜の奥に広がる森へと続いてゆく。

 ……終焉を迎える世界。

 暖かい緑と海の景色の最中なのに、それらを照らす頭上の太陽は疲労し、青い海でさえ、時折どんより濁った緑の光を奥底から浮かばせる。
 それらはすべて、この世界に残された時間があとわずかであることを示していた。
 砂のひとつぶまでくたびれ切った世界。
 なにもかも、子供の胸を切なくさせる光景だ。
「だけど、むねりがいるからね」
 やがて小さく呟かれたその言葉に、吹き付けていた冷たい風が束の間やんだ。
 子供は空を見上げると、にっこり微笑んで目を細める。
 その視界の向こうには遠く、天を突く程に高い大きな山が、側面に住居をひっつけながらそびえ立っていた。
 森の都。
 人々は、家々に飾られたケーキのような山を、そう呼ぶ。





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