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「落ちてゆく夢の終わり」

霧練りの少年H
 梯子を持って駆けつけたリウと合流すると、タカシは子供の手を引いて、ようやく塔の真下に移動した。
 本来は出入口の役割を果たす筈の塔の扉。
 けれどそこはすっかり錆つき、ぐんぐん育った蔦で封印されている。
 通常ならここの手入れは見張り番の仕事なのだが、霧練りが消えた後、長老会はその為の予算を別に回してしまった。
 かくして扉は、もう何年も昔からこんな状態となり、塔に出入りする方法は失われたに等しかったのである。
「けど、この梯子があれば話は別だ」
 言って、タカシは長居は仕事を塔にたてかけた。
「これで途中まで登ると、あそこに……ほら、ちょっと浮いてる煉瓦が見えるだろ? あれを外すんだ。俺達くらいの身体の大きさなら、充分出入りできる」
「ふわぁ……」
 口を開けて塔を見上げる子供に、タカシはじろりと睨みをきかせると、
「いいか? 中の階段はかなり長いんだ、途中でへたったら置いてくぞ……って、痛っ!何すんだ、リウっ!」
「大丈夫だよ、ムネリさん。僕も一緒に登るから、辛くなったらいつでも言って」
「はぁい!」
「…………」
 背丈の三倍程もある梯子を登って煉瓦を外すと、タカシはそこから身軽に塔の内部に入り込んだ。
 すぐ真横にある階段に降り立ち、真っ暗な狭い空間をぐるりと見渡す。
 中は、大人がぎりぎり登り降りできる程度の窮屈さだった。
 螺旋を描く階段には光がなく、天井から差し込む陽光も、曲がりくねったその先までは届かない。
 真っ暗で埃臭い空気の中、タカシはズボンに挟んでいた小さな燭台を取り出すと、火打ち石で蝋燭の芯に火を付けた。
 次いで外にいる子供とリウとを呼び寄せると、タカシ、子供、リウの順番で階段を登り始める。
 そうして、ゆっくりと時間をかけて、半分ほど登った頃。
「タカシ、休憩にしよう。元々ここは一度に登り切れる階段じゃないんだから」
 子供を気遣いながら、最初にそう提案したのはリウだった。
「それに、ちょうどお前に話しておきたいことがあるんだ」
「話? なんだよ
「まあ、座れ」
 真剣な顔で言うリウに、タカシは渋々階段に腰掛けた。
 子供とリウも、続けて段をずらしてしゃがみ込む。
「実は、父さんのことなんだが……さっき僕は、ムネリさんは家に来ない方が良いって言っただろう? あれは、数ケ月前からこの付近に出入りしている湖の国の商人が原因なのさ」
 リウはそれだけ言うと、ふうと吐息して、蝋燭の灯りに揺れるタカシの顔を眺めた。
「その商人達ときたら、毎日飽きずに入れ替わり立ち替わり、それこそ人数を数えるのも億劫になるほどしつこくやって来て……是非私に塔と小屋とをお譲り下さいって、父さんの前に大金を積み上げたんだ」
 タカシはぽかんとした。
 塔と小屋を譲る? だってそんなこと、何の為に?
 森の都の頂上にある塔と見張り小屋は、代々霧練りと見張り役のものと決まっている。
 だからこそ、ホミネ一家が今でも管理しているわけだが、それに大金を出す意味が分からなかった。
 だってどう考えても、湖の国の商人などには全く意味のない場所なのだ。
「一体、なんで」
「彼らが塔とウチの小屋とを欲しがる理由は単純明解、そこがムネリに関わる場所だからさ。商人達は身の保全の為に、湖の国の王への貢ぎ物を熱心に収集していると言う噂だからな」
「身の保全って、」
「湖の国の王が乱心したと言う噂を、タカシは知らないのか? かの国の王は勇猛果敢を謳われた武人だったが、ある日を境に人が変わってしまったらしい。数年続く内乱の原因も、実はそこにあると言うぞ」
 リウが言葉を切った途端、不気味な沈黙が辺りに広がった。
「……乱心、した? 王様が?」
「そうだ。突然、些細な理由で侍女を処罰したり、大臣を死刑にしたり、国民に重税を課したりした。今の内乱だって、自分の七人の娘と結婚した、七つの領主の息子達を相手に始めたものらしいからな。
 最近じゃ、王の目は城に出入りする商人へと向かっていると聞く。それで連中は、王の機嫌を取る為に一計を案じたんだろう。湖の国の歴代の王が、どうしても手に入れることの出来なかった“霧練り”を献上すれば、きっと……とね」
「だけど、ムネリはもうどこにもいないのに」
「バカタカシ。お前もたまには自分の頭でものを考えるんだな。何も材料はムネリじゃなくとも良いのさ、何と言っても森の都には、ムネリにまつわる遺物が沢山あるんだから。
 塔だってその一つだし、タカシなんか、ムネリの直系の子孫だろう。
 しかし、肝心の王がムネリを欲しているかどうかも分からないのに、まったくもって馬鹿げた話だとは思うよ」
 リウの最後の言葉は、タカシの胸をちくりと刺した。
 自分の「最後のムネリ」としての立場を利用して、隣の国の王への目通りを願い出るつもりだったタカシ。
 けれど、本当に王はムネリに興味を持っているのだろうか。
 湖の国の王が、ムネリを欲しがっている……それは単なる伝説に基づいた、何の根拠もない「希望」なのだ。
 タカシが黒い渦に出入りするようになり、偶然ロウジ達と知り合ってから、まだ二ヶ月。それまでは何のあてもなく、ただ眠り病を完治させたという姫君の噂について、聞き回ることしかできなかった。
 だからタカシは、本当に嬉しかったのだ。
 自分と同様、湖の国に行くつもりでいるロウジ達と出会えて。
 ……例え彼らが、ムネリである自分を利用するつもりであったのだとしても。
(そうだよ。今更、迷ってる場合じゃ……)
 出発の日は近付いている。
 けれど自分は本当に、隣の国で、何か意味のある行動が取れるのだろうか?
「あれ。そう言えば妙だな、タカシの家にも商人達が来たんじゃないのか? おまえがムネリの子孫だなんてことは、調べれば簡単に分かるだろうし」
「……え?」
 リウの呟きに、タカシはいぶかしげに顔を上げた。
「何だよそれ。そんな話聞いてないぞ、おじさんもおばさんも、全然そんなこと」
 言いかけて、はっとした。
 咄嗟にリウを見ると、彼もまた、何かに気付いたように神妙に視線を伏せた。
「俺に……黙ってたって……こと?」
「その辺りの事情は、僕にも分からない」
「……そう、だよな。悪い」
「どうして、」
 その時。
 それまで黙っていた子供が、不意に可愛らしい声を上げて、タカシを見た。
「どうしてみずうみのくにには、ムネリがいないの? だってムネリは、ほんとうはたくさんいたんでしょう?」
 その声は、子供のものとは思えないほどかたく、寂しく響いた。
 思わず口ごもったタカシに代わり、リウが、曖昧に笑いながら子供の頭を撫でる。
「本当のことはもう誰にも分からないけど、ただ、森の都には古くから伝わる伝承があって、皆はそれを信じていた。その話くらいなら、僕にも出来るんだけどね」






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