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「落ちてゆく夢の終わり」
- 霧練りの少年L
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- “黒い渦”で知り合ったロウジとシンは、暗い世界で生まれ育った、根っからの「地下街の人間」だ。
そのせいか、タカシの住む空のまちを、とにかく馬鹿にするきらいがある。
のんびりとして何の変化もない、退屈で死にそうな街。
二人の“空のまち”に対する評価は、まずそんなところだった。
それなのに、よりにもよってシンが空のまちを訪れた。しかもこんな頂上近い場所に……。
いぶかしむタカシの前で、シンはぞんざいにこちらを睨みつけると、
「何処をうろちょろしてやがったんだ。この俺をこんな場所まで来させて……そいつの落ち着き先がやっと決まったぜ」
「えっ」
背中まである灰褐色の髪を一つにまとめたシン。
今年で正真正銘の成人・二十歳の誕生日を迎える彼は、へらへらしているロウジとは対照的な、触れれば切れそうな暗い青の瞳をしていた。
ロウジが鞘に入ったナイフなら、シンは抜き身の刃だ。
そんなシンのことが、実はタカシは苦手だった。
時折、あからさまにタカシを馬鹿にしたような溜め息をつくし、いつもピリピリしているから。
今も震えが走るほど鋭い視線でこちらを睨みつけている
「……あのさ、そいつっていうの、やっぱりこのガキのこと?」
「他に誰がいる。相手を待たせてるんだ、ぐずぐずしないでさっさと来い」
低い声で言われて、タカシは渋々後ろにくっついている子供を振り返った。
珍しく、ひどく怯えている。
タカシが何か言おうとした途端、今度はシンの拳が飛んできた。
「あいてっ」
「うだうだやってないでついて来い。また殴るぞ」
駄目だ。交渉の余地はまるでなさそう。
既にこちらに背を向けて歩き出しているその姿に、タカシは仕方なく、とぼとぼとついていくしかない。
それにしても困ったことになった。まさかこんなに早く、子供を買いたいと言う商人が既に現れるなんて。
けれど、何かが妙な気もした。いくら黒い渦の中のこととは言え、ロウジやシンみたいな子供が、こんなにあっさり取引相手を見つけられるものだろうか。
(昨日も別に仕事が入ったって言ってたのに、その後で見つけたのかな?)
……一見して“黒い渦”の人間だと分かるシンのせいで、周りの視線をひしひしと感じる。
こんなところをコーダ夫妻に見られたら。
不安のせいで考えがまとまらず、結局タカシは、何のアイディアも出せないまま、黒い渦との境界線の鉄柵の前までたどり着いてしまった。
「シン、ロウジは下で待ってるのか?」
「ああ。大事なお得意様と一緒にな」
「……お金、沢山出して貰えたんだ」
「まとめるのに時間が掛かったが、色々引き伸ばしたお陰で値は上がったよ」
シンは奇妙な答え方をした。
地下の黒い渦に入ると、すぐに辺りは真っ暗になる。
少し心配になったタカシが歩きながら様子を伺ったが、子供は思ったより平気そうな顔をしていた。
澄んだ青緑の瞳には、黒い渦の病んだ極彩色の建物も、いかがわしい香りを漂わせる娼館も、全てが空のまちの景色と同じように映っているのかも知れない。
本当にこのまま子供を連れて行って良いのだろうか。もしシンに気付かれないように、回れ右をして元来た道を戻って行ったら……少し考えてからタカシは首を振った。
いや。すぐに捕まるに決まっている。シンは絶対にタカシの裏切りを許さない。
やがて二人は、シンに案内されるまま、一軒の店の前に立った。
いつも出入りしている“むらさき煙の店”ではなく、もっと格上の居酒屋だ。
看板には【そらまめ煙・とことんの店】とあって、店内の装飾や従業員の数を見ただけでも、ここが特別な店であることは明らかだった。
「こっちだ」
言われるままにテーブルに向かうと、そこにはロウジと、裕福な身なりをした禿げ頭の中年男の姿がある。
森の都では余り見ない類の服装や、意地の悪そうなその顔付きからして、恐らくは彼が子供を“引き取る”つもりでいる商人なのだろう。
「よお。悪い、遅くなったな」
「上まで行ったのなら早い方さ。ああ、タカシ、お前もご苦労だったな。話が急だったから驚いただろう」
ロウジはひどく上機嫌だ。よほど良い値で商談がまとまったのだろう。
「大人しくしてたか、その子供」
「そのことなんだけど……ロウジ、こいつ幾らで売れたの?」
「……耳貸せよ」
にやりと笑ったロウジは、破格の値段をタカシに耳打ちした。
森の都でなら一生遊んで暮らせるほどの大金だ。
「う、嘘だろ!?」
「今更こんな嘘ついてどうする。とにかく、これでお前も湖の国に行けるよな? 今からなら明後日には向こうにつくだろうし」
え、とタカシは瞬きした。
「今から、出発するの?」
「ああ。アドルスさんは森の都での所用をすっかり済ませてるんだ、これ以上待たせる訳にもいかないだろう」
アドルスさん、と言うのは、恐らくこの商人の名前なのだろう。
でも、やっぱり何かが気に掛かる。
じわりと滲んだ不安が次第に形を作り始めたことに気付いて、タカシは思わず反論した。
「あのさ、別にこの人と一緒に出発する必要なんてないんだろう? 便乗させて貰わなくとも、馬車の手配は出来たってロウジが」
「話が変わったんだよ」
苛立ち紛れのロウジの口調に、タカシはいよいよ確信した。
この話にはやっぱり裏がある!
「それならロウジもシンも、出発の準備は出来てるのか? 2人とも、今から旅に出るって感じじゃないけど……一緒に行くって約束だったよな? それに、やっぱり変だよ。だってあんな大金で、子供を買うなんて……」
「……一人じゃないさ。二人分だ」
「タカシっ」
ひどくせっぱ詰まった声で、名を呼ばれた。
子供の声だ。と思うのと同時に袖を引かれて、タカシは咄嗟に振り向こうとした……のだが。
それよりもわずかに早く、強い衝撃がタカシの頭を襲った。
あっと思う間もない。
タカシの視界は反転し、泣きそうに歪んだ子供の瞳の色だけが、尾を引いて流れて行く。
その色に、どこかで見たような懐かしさを感じながら、タカシは闇に引っ張られるように昏倒した。
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