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「落ちてゆく夢の終わり」

夜伝の人々B
 黒光りする馬車を先頭に、途中で合流した幾つもの荷馬車が連なって森の都を離れたのは、辺りがすっかり夜の闇に包まれた後のことだった。
 馬車はもともと昼の間に移動していくもので、日が落ちれば野営して、馬を休ませるのが普通なのだが……それをあてに逃げ出す隙を狙っていたタカシは、すっかり出鼻をくじかれてがっくりした。
「多分貴方達がいるから、支度が出来次第出発、と言うことになったのじゃない?」
 出発前から荷馬車の方に居座っていた少女は、そう言ってにっこり微笑む。
「残念ね、逃げる機会を失って」
 むくれるタカシの横では、ようやく意識を取り戻した子供が、荷馬車の幌の隙間から外を覗いてきゃあきゃあ言っている。考えるまでもなく、深刻に悩んでいるのはタカシだけだった。
 幌一枚隔てた向こう側にある夜の森の気配が、少しずつ、荷馬車の中に染み込んでくる時刻。
 次第に冷え込み始めた荷馬車の中に、アドルスの使用人が食事と毛布とを持って現れた。子供とタカシは早速毛布にくるまって、温かい紅茶と白パンとチョコレートの塊、それに上等のベーコンを頬張る。
「……なんだ……んぐっ、ん、食事は上等だってロウジが言ってたけどさ。これなら……家で食べるのと、そんなに変わらない」
「その割には勢い良く食べるわねぇ。空腹時に食べる物はなんでも美味しいって言うけれど、今ならまさにそうなんじゃない?」
 きれいな彫り物のある銅色のランプの下で、寝転がったまま食事をしている二人を眺めた少女は、膝を抱えながらおかしそうに笑った。
「それにしても災難だったわねぇ、ロウジに捕まるなんて……彼は湖の国の商人の間でも有名な仲買人なのよ、どんな需要にも応える便利な商人だって。アドルスも、さすがに今回ばかりは諦め半分でムネリを指名したそうだけど、本当に貴方が来たものだから、喜んで契約の二倍のお金を払ったそうよ」
 リウが今朝、森の都の頂上で話してくれたように、湖の都の商人達は何としてでもムネリを母国に連れて帰るつもりだったのだ。
 けれどタカシの保護者であるコーダ夫妻はどんな条件を出されても首を縦には振らず、商人達が苛立ちを募らせ始めた頃に、ロウジが現れたのだった。
 思えば初めて黒い渦を訪れた時、勝手が分からずうろうろするタカシに声をかけてくれたのは、ロウジ達が先だった。
 あの時から彼らは、タカシをどうやって手懐けるか、どの商人に売りつけるかの算段で頭を一杯にしていたのだろう。
「俺、確かに湖の国に行きたかったけど……森の都に戻って来れなきゃ意味がないよ」
「ああ、聞いたわ。貴方、自分から進んで湖の国に行きたがっていたそうね。どうして?」
「……妹の病気を治したかったんだよ! 湖の国の五番目の王女様は治ったって聞いたから。だから、治す方法を王様に教えて貰おうと思って」
「眠り病のことね」
 王女の話は湖の国でも有名なのか、少女はすぐに、ナナの病の名を言い当てた。
「そうだったの……なるほどねぇ、それで」
「なのに、こんなことになるなんてさ」
 ぎゅっと、タカシは唇を噛みしめた。
 出発前にタカシ達の様子を見に来たアドルスと、あの、物を見るような目つき。思い出すだけで悔しくて情けなくて、泣きたくなってくる。
「お前は平気なのか? 俺みたいに売られていく子供が目の前にるのにさ。湖の国の連中ってみんなそうなのかよ」
「まあね。今は戦争中で、どこも人手不足なんだもの、こういうことは珍しくないわ。でも貴方はまだ良い方じゃないの。中には戦地に無理やり送られる人間だっているんだから……あらちょっと、危ないわよ」
 急に付け加えられた少女の言葉は、幌の隙間から身を乗り出している子供に向けられたものだ。
 タカシが布団のみのむし状態で近寄ろうとすると、子供は体勢を立て直して、こちらに満面の笑顔を向けてきた。
「……ほら、あの子くらいこの旅を楽しんだ方が、ずっと得よ?」
「売られて行くのに楽しめる人間なんかいる訳ないだろっ」
 そもそもこの状況は何なのだ、とタカシは頭を抱えたくなった。
 そりゃあ、この少女は故郷に戻るだけなのだから、慌てることも怯えることもないだろう。
 だけど子供まで呑気に楽しそうに過ごしているのは、絶対におかしい。
「でもねぇ、心配しなくても貴方は向こうで大切にして貰えるわよ。ムネリなんだから」
「うんっ」
 珍しく慰めるような口調で言った少女に、けれど返事は予想外の方向から聞こえてきた。
 少女は唇を引き結んで視線を巡らせ、すぐに自分を見つめる子供に気付く。
「……ムネリ?」
「うん、ムネリ!」
 誇らしげに名乗る子供に、タカシはその場に突っ伏した。
うっかり忘れていたが、このややこしい問題がまだ残っていたのだ。そういえば。
「貴方もムネリなの?」
「違うよ。こいつは、名前だけムネリっ」
「ムネリだよっ」
「ちょっと待って。私、この子が話せるってことも、今初めて知ったのよ」
 驚く少女に、タカシは唇を尖らせる。
「そいつは話せるし考えるし、普通だよ」
「そうみたいね。だけど……」
 言いかけて、少女の声はそれきり途絶えた。
 タカシ達の乗っていた荷馬車が、ひときわ大きく揺れて、止まってしまった為に。






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