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「落ちてゆく夢の終わり」

夜伝の人々E
*****

 ……ふと、目覚めた。
 それはまさにそんな感じだった。ぽかんと、突然夢の世界から放り出されたような、ひどく頼りない感覚。
 タカシは周囲を見渡した。
 辺りは途方もなく広い部屋の中だった。青色の闇が落ちる中、空気は耳が痛くなる程の静けさに満ちていて……いや。
 静けさだけではない、耳を澄ませばどこからか小さな音が聞こえてくるのが分かる。
 あれは、何の音だろう?
 タカシは奇妙な長方形のベッドの上に起き上がった。
 周りには同じ形のベッドが規則正しく延々と並んでいたが、よくよく見ると、それはベッドではない。透明な蓋がついていて、あちこち閉じたり空いたりしている……これは、
(カプセル……?)
 並んだそのものの中には、大勢の人間が横になっていた。
 みんな目をつむって、生きているのか死んでいるのかも分からない。
 おまけに……おまけに、タカシの側にあるカプセルの中で眠るのは、どこかで見たことのある顔ばかり。
 立ち上がるとひどく身体がふらついて、足に力が入らないまますぐその場にへたり込んでしまう。
 それでも震える手で隣のカプセルを支えに立ち上がると、タカシはじっとその中を覗き込んだ。
(と、父さんに母さん、それにナナや、おじさん達まで!)
 それだけじゃない。リウもミッジも、皆の家族も、およそタカシの知る全員がそこに眠っていた。
 そういえば……。
 と、タカシの脳裏にナナの言葉が甦る。
『ナナが起きても、みんな眠ったまんまなの。お兄ちゃんもその中にいるんだよ。とっても静かだった……』
(まさか)
 これも夢なのだろうか。タカシが見ている、夢。
 広い、広い場所だった。天井を見上げれば、ようやく暗がりに慣れた目に、太いパイプが縦横無尽に交差しているのが分かる。
 タカシの左隣には両親が、そして右隣にはナナの眠るカプセルがあった。だが……そこまで確認して、ふとタカシは眉をひそめる。
 なんだろう。ナナのカプセルだけ色がくすんで、それどころか、あちこちに粘っこいものがこびりついているのだ。
(なんで、ここだけ)
 現実味のないふわふわした意識のまま、タカシはゆっくり歩き出す。
 蓋の開いたカプセルが途中で幾つもあったが、その全部があちこちカビて、埃を四方にくっつけていた。
 灰色の雲のような埃は、開いたままのカプセルの内側にもぶ厚くぶらさがり、布ばりの部分などは、焦茶に変色して腐食してしまっている。
(ここはどこなんだろう。なんか、変な夢)
 しばらくの間、無言で歩き続けたが、カプセルの列は延々と続いていた。
 男も女も、子供も老人も、そのカプセルの中では誰もが分け隔てなく並んで眠っている。
 やがてタカシは部屋の出入口と思しき場所に辿り着いた。扉があるが、取っ手も何もないので、どうすれば開くのか皆目見当もつかない。
 ……仕方なく、そこを必死で叩いていると、やがて扉が横滑りに開いた。
『そんな馬鹿な』
 扉が開くごとに広がっていく光。
 思わず目を細めたタカシは、そこに何かが立っていることに気付いた。そして、それが震える声で呟いたことにも。
『そんな馬鹿な。まだその時ではない、その筈なのに……』
 そこに立っていたのは、綺麗な茶色と黄色の斑模様の毛並みを持つ『猫』だったのだ。

*****

 タカシは最初、自分は夢を見ているのじゃないかと思った。
 けれどすぐに、ああ勿論、これは夢なのだと思い出す。
 むしろ驚いているのは二本足で立つ猫の方で、突然目の前に現れたタカシを信じられずに、まじまじと見つめている。
『貴方は、どうしてここに』
『そんなの俺が聞きたいよ。ここはどこなのか。それに、どうして猫が歩いてるのか』
『ああ……』
 何故だか安心した様子で、猫は灰色の瞳を潤ませた。
『まだ、完全に途切れた訳ではなさそうだ』
『途切れる?』
 尋ねると、猫は優雅な手つきでタカシを誘った。
『今は、僕しかいないのです。少しこちらでお話ししませんか』
 扉の向こうの部屋は、タカシが眠っていた部屋より随分と小さかった。天井が高く、それから部屋の側面には細かく格子状になった大きな窓があって、それぞれに四角い緑や青や赤の色がついている。
ボタン……モニター……パネル?
 そんな言葉が次々と浮かび、けれどすぐに、そのほとんどを占める赤色に目がいった。
 赤。ひどく胸を騒がせる、いやな色だ。
『こちらですよ。座って下さい』
 猫は壁から真横に付き出た平たい机の前で、再びこちらに手招きしている。その左右の、のっぺりした椅子の前でタカシは立ち止まった。
『……? どうかなさいましたか?』
『俺、前にもこんな場所を、見た気がする』
『そうですか。それでは貴方は、もともとそうした体質なのかも知れませんね。これまでは何事もなかったのに、最後の機会になった今、こうして我々の前に現れたのですから』
 最後の機会。
 その言葉に僅かな悲哀を感じた気がして、タカシは思わず眉をひそめる。
『ここ、どこなんだ? それにお前はなに? 猫……みたいに見えるけど』
『……私は、こうして貴方たちと直接話が出来るだなんて、夢にも思っていませんでした』
 タカシの問いには答えず、ただ、途切れ途切れに呟くと、猫はそれまで穏やかで夢見がちに潤んでいた瞳を暗くして、ひどく真剣な表情になった。
『我々は監視者であり、管理者です。もうずっと長い間、貴方達人間を見守って来ました。貴方達がどうやって生まれ、滅びるのか。その繰り返しを何度も何度も見て来たのです』
 タカシはぽかんとして、目の前の利口そうな猫を眺めた。
 監視者であり管理者。
 まさか、この猫が?
(何か本格的に変な夢見てるなぁ、俺)
『こちらにパネルがあるでしょう』
 不意に猫が言った。ピンクの肉球をこちらに向けて、小さく尖った爪が、真っ直ぐ天井に届くほど大きな画面を差している。
『これは貴方達人間を審査する為のものです。これら全てが赤くなった時、我々は貴方達を滅ぼさなくてはなりません』
『滅ぼす!?』
 今度こそ本当に驚いて、タカシは声を上げた。
『滅ぼすって……それってもしかして、湖の国の戦争だとか、眠り病が流行り出したとか、そんなふうなことで?』
『そうかも知れません。その答えは誰にも分からないのです。ただ、我々は貴方達を信じて待ち続けたのに、貴方達は何度も何度も過ちを繰り返してきた……その絶望が、終わりを生むのです』
 猫が溜め息をついた。深い、深い溜息だった。
『けれどこれは何かの暗示なのかも知れませんね。私の前に現れたのが、貴方であったと言うことは』
『俺が……俺が、現れたこと……』
『はい。貴方は我々の希望でもありましたから。つまり……貴方は、もし全てがうまく行くのなら、そのきっかけであり象徴ともなるべき存在である筈なのです』
 タカシは益々眉根を寄せた。
 猫の言葉の意味がさっぱり分からない。
『それってさあ。全然違うかも知れないけど、一応聞くな。もしかして、俺が最後のムネリだってことに関係あるのか?』
『ええ、そうです。ムネリこそ象徴なのです。ヨツテが滅びを招く名であるのと同様に』
 夜伝の名を聞いてタカシは二度驚いた。
 それは夢の外でも、確かに聞いたことのある名だったからだ。
『夜伝が滅びを招く?それじゃ霧練りは、滅びを止める力があるってこと?』
『その通りです。残念なことに、ムネリはヨツテほど直接的な効力を持つ存在ではないのですが』
『……俺、やっぱりお前が何言ってるのか、良く分かんないんだよな……でもまあ要するに、ムネリである俺が頑張れば、眠り病も戦争も何とかなるってこと?』
『勿論貴方は、自分に出来るだけのことをしなくちゃいけません』
 猫はきっぱりとそう言った。
『正直に言ってしまえば……それは本当は、公正なる審議の上では禁止されたことなのですが……貴方が思っている以上に、世界は大変なことになっているのです。しかも誰もそのことに気付いていない。このままでは、全てがめちゃくちゃになってしまうんですよ』







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