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「落ちてゆく夢の終わり」

夜伝の人々F
*****

 タカシはじっと、目の前の奇妙な生き物を眺めた。
 それは本当に不思議な光景だった。鉄色の大きなテーブルを前にして、猫と少年とがひどく真剣な顔つきで見つめ合っているのだから。
 猫の灰色の瞳が、ただじっとタカシに向けられていた。タカシもまた、緊張の余り瞬きさえ忘れている。
『全てがめちゃくちゃになるって、どう言うことなんだ?』
 やがて、重い沈黙を破ったのはタカシだった。
『俺に出来るだけのことって……つまり、戦争をやめさせれば良いのか。それともムネリの技を磨いて、また森の都にムネリが沢山出てくるようにすれば良い?』
『ああ、それは』
 猫はあえぎあえぎ言った。
『とても難しい問題なのです。何をどうすれば良いのか、そのはっきりした答えは、誰も知らないのですから。大切なのは、貴方が、いえ、貴方だけではない、皆さんが、どれだけ力を尽くしたのか、精一杯努力したのかと言うことなのです』
『……分からないなあ。努力って言っても、みんなは今でも充分に一生懸命だぞ。俺だってナナの為に、眠り病のことを調べるつもりで』
『でも違うのですよ。私達は答えを出さなくてはいけません。もしこの先、たった一度でも……』
 猫が懸命に言葉を紡ごうとしたその時、タカシはふと、異変に気付いた。
 彼の視界が段々とかすみ、そこに映る全てのものが、光を受けてぼやけ始めたのだ。
『ああ。目覚めの時が近いのですね』
 目を擦りながら何度も瞬きしていると、猫が小さく呟いた。
 その姿はもう、光の中に浮かぶ黒い輪郭でしかない。
『待てよ。俺、まだ聞きたいことが沢山あるんだ。それなのに』
『どうか急いで下さい』
 懸命に呼びかけるのに、ただ、ひどく悲しそうな猫の声だけが、タカシの意識の中に広がって行く。
『どうか、早く。時間はもうほとんど残されていません。あとほんの少しで判定が下ってしまう……ああ、忘れないで。私達は誰も、終わらせたいだなんて願ってはいないのです』

*****

 ぽたん。
 額に当たる生温い感触に、タカシはぼんやりと目を覚ました。
(……あれ……?)
 ここはどこだろう。そう意識した途端、見慣れぬ景色が視界に飛び込んできた。
 随分と高い位置にある天井と赤い鉄錆色の壁、それに、積み上げられた大きなドラム缶の山。
 辺りに音はなく、淀んだ空気にはかすかなオイルの匂いが混じっている。
(変だな)
 ふと、タカシは顔をしかめた。つい今しがたまで自分がいたあの部屋は、どこに消えてしまったのだろう。あの不思議な、沢山のカプセルの並ぶ……物言う猫のいた……。
 そこまで思い出して、タカシはかすかに首を振った。
 猫? 猫がなんだっけ。さっきから俺、何を考えてたんだ?
 必死になって掴もうとすると、夢の破片は伸ばした手の隙間からするりと流れ落ち、淡く、遠くになっていく。最後には記憶さえ曖昧になって、果たして本当に夢なんて見ていたのだろうかと言う不安だけが、タカシの中に残された。
「タカシ」
 その時、頭上から聞こえた声に、思わず身体が震えた。
 瞬きして、ようやくゆっくりそちらを見ると、
「……何だよ、お前かぁ」
 子供がいた。頑固に自らをムネリと名乗る、あの奇妙な子供が。
 光の射さない小さな高窓の代わりに、太い電灯が幾本もへばり付く天井。その屋根裏部屋みたいな三角の凹みを隠す鉄柱の間をぬって、こぼれる電灯の明かりが子供の顔を照らしている。
 深い青緑の瞳はゆらゆらと反射する光を宿し、淡い茶色の髪も、空気に溶け込む程に光の粉をまぶして、黄金色に輝くようだ。
 何をしているのかと思ったら、子供はじっと、目の前で重ねた自分の両手を見つめているのだった。どうやら水をすくって、それをタカシの頭上に掲げていたらしい。
「今のぽたぽたって、お前がやったのか?」
 言った途端に水の滴がタカシの額を濡らし、子供が嬉しそうに笑った。それからすぐに、
「ここ、ヨツテのひとたちのおうちだって」
 きらきらした瞳のまま、タカシに尋ねられるより先に口を開いた。
「みんなは、あっちがわの、もっとおおきなおうちにいるの。しごとがあるんだって」
「仕事?」
 言って、タカシは耳を澄ませる。
 そう言えば先程から、どこか遠くで耳慣れない機械音がずしんずしんと響いていたのだった。
 ここは工場なのだろうか。いかにも廃工場といったふうだが、しかし、それにしてもかなり規模が大きい。
 森の都にも確かにこうした工場はあるけれど、決してこれほど大がかりなものではなかったから、タカシはすっかり戸惑ってしまう。
 山の側面の工場では、広さにも限りがある。
 けれど平らな地面に工場を作るのなら、やはりこんな広さになるのだろうか?
 そして、もしここの他にも同じような工場があって、そこが稼動しているのなら……先程から聞こえる機械音と震動の大きさにも、納得できるというものだ。
「俺、いつからここに?」
「タカシずっとねてたよ。だからおむかえがくるまでここにねかせとこうって、ヨツテさんが」
 お迎え、言うのは多分、例のアドルス(商人)のことだろう。
「それならもう一つ聞くけど……俺達って、やっぱり湖の国に来ちゃってるのかな……?」
 声が慎重になったのは、今頃になってようやく、自分の置かれている状況が思い返されてきたからである。
 しかし、聞くまでもないことだろうか? ここに来るまでの経過を考えると、恐らくは……。
「……そう、なのか?」
「うん。ヨツテさんが、そういってた」
「やっぱり」
 すんなりと認めた子供に、はぁぁぁ、と大仰に肩を落とす。結局タカシは眠ったままで、荷馬車の旅を終えてしまったのだ。
(折角リウがチャンスをくれたのに)
 それを、少しもいかすことができなかったのか。
 歯噛みするほどの悔しさに、タカシはやるせない思いでその場に身を起こす。






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