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「落ちてゆく夢の終わり」

夜伝の人々G
 ここは、どうやら休憩所のような場所らしかった。大きな工場の隅に、鉄の板で囲いだけして作られた殺風景な部屋だ。
 中には古びた机と、水場と、タカシが横になっていたソファと同じ形の物がもう一つ。
 滴を垂らす蛇口は赤茶色に錆び、その真横にある窓の向こうは、どうやら外に繋がっているらしい。
(扉があるけど、まさか鍵は開いてない、よな)
 2人の手足の戒めは既に解かれていたので、タカシはソファから滑り降りると扉のドアノブをがちゃがちゃ回した。
 ……やはり、鍵が掛かっている。
 まあ、そりゃそうだよな、とため息をつきつつどうしようかと迷っていると、突然外が「うぉぉぉぉぉん」というサイレン音が響いてきた。
 と同時に外が急に騒がしくなり、続いてバタンと扉が開かれる。
「あら。起きてたの、おはよう」
「……おま……え……?」
 最初に顔を覗かせ、悪びれた様子もなく飄々と挨拶してきたのは、夜伝の少女だった。馬車の中でタカシ達を散々な目に遭わせた、あの女の子だ。
 しかしタカシが一瞬戸惑ったのは、彼女が馬車の時とは違い、薄汚れた作業着を身に纏っていたからだった。
 おまけにあちこちに黒い汚れをくっつけて、邪魔にならないように、髪まで頭上でまとめている。
「あら、なに? 私の顔になにかついてる?」
「あ……いや、その、」
 じっと見つめるタカシに、少女が不審な顔で近付いてきた。
 思わず言葉に詰まって後ずさりすると、まるでそれを合図にしたように、突如少女の後ろから大勢の作業着姿の男達がどやどやと入って来る。
「おい、そいつが“ムネリ”なのか、カナ」
「雲を練るって聞くが、本当か」
「こんな坊主があのムネリだってのか? じゃあ、そっちの小綺麗な坊主は……」
 なにがなにやらさっぱりだ。何しろ大の男達がよってたかってタカシを囲み、野太い声やカン高い声で騒ぎ出したのだから。
 子供は楽しそうにしているものの、タカシは目暈すら覚えて黙り込み、もはやされるがままになっている。
 すると突然、
「ああもう、ちょっと、静かにして頂戴!」
 それまで黙っていた少女が、甲高い声で一喝した。
「この子に構わないで。見てもいいとは言ったけど、話しかけていいなんて言ってないわ。いいこと、この子はアドルスの大切な商品なのよ。私はそれを、責任を持って預かった。あの男がどれだけの金をかけてこの子を手に入れたのか、あんた達に分かる? たかが商人と笑っていたその口が、ひん曲がる程の額なんだから」
「分かってるさ、カナ。あの男の酔狂は今に始まったことじゃない」
「俺達はただ、本当にいるのかどうかも分からないって噂のムネリを、一目見てみたかっただけだ。だろ、皆」
「……だとしたら、もう充分見たでしょう。休憩時間が済む前に、さっさと食事を済ませなさい。でなきゃすぐに業務時間になるからね!」
 鋭い声に厳しい言葉。少女の態度に、タカシも子供もただ黙って状況を見守るばかり。
 何しろ馬車の中で綺麗に着飾っていたお嬢様が、今や自分より二十近くも年上の男達を怒鳴りつけているのだ。その変貌は、タカシと子供が、自分達の置かれた状況を忘れてぽかんとするだけの価値があった。
 やがて男達が不満そうにぞろぞろと工場を出て行くと、少女は腕組みしてタカシに向き直り、険しい表情をころっと変えて微笑んだ。
「びっくりしたでしょう。ここは夜伝の工場なのよ。皆があんまり騒ぐものだから、こっちの廃工場の方に運んでおいたのだけど……貴方ぐっすり眠っていて、つねっても起きなかったわ」
「眠ってって、おまえが俺にっ!」
「ああ、それだけ元気なら大丈夫ね。もし興味があるなら、私たちの工場を案内してあげるけど? もちろん、こんな廃工場じゃなく、きちんと動いている工場の方をね。貴方、夜伝がどう言うものなのか、ずっと知りたがっていたみたいだし……それとも食事が先?」
 こちらが口を挟む隙もない。
 少女の言葉を聞いているうちに、なんだか怒りがすぼんできたような気さえした。なんと言うか……口で勝てる気がしないのだ。
 仕方なく、タカシはため息をつくと、
「夜伝って、工場で働く人間のことだったのか」
 短く呟いた言葉に、少女が自慢げに胸を反らした。
「あら、ただの工場じゃないわよ。そう、貴方にはもう見られちゃったんだわね、あの銃」
「銃」
 呟いた途端、記憶が閃いた。そうだ。あの荷馬車の中にあった銃の山!
「あれ、お前達が作ったのか?」
「違うわよ。あれは森の都で作られたもの。製造法を伝授したのは私だけれど」
 早口で言うと、少女は綺麗な紫の瞳をきらりと輝かせた。
「ヨツテの本当の意味を貴方は知らない。私達が何故ヨツテと呼ばれるのか、何故ムネリと敵対する立場にあるのか。てっとり早く説明してあげるから、いらっしゃい」
 言ってこちらに背を向け、廃工場の扉を開けた少女に、タカシは渋々立ち上がった。
 ……扉の外は、工場と工場の合間のU字型の空き地になっていた。壁際にはドラム缶が並び、何に使うのか分からない鉄柱の束も大量に積んである。
タカシのいた廃工場側のトタン張りの壁には一面ビニールシートが張られていて、もう一方の工場とは比べ物にならないほど貧相に見えた。
 五段もある階段からひとっ飛びで地面に着地した少女は、タカシ達を振り返りもせずにすたすたと隣の工場の入口へと歩いていく。
 慌ててそれをタカシと子供は、その時、ようやく異変に気付いた。
 空が、暗い。
 中にいた時、高窓から陽光がささなかったので、きっと今は日暮れ時なのだろうと思っていたのだが……違う。これは夜の暗さではない。
 光が雲に遮られているのだ。灰色に染まった、不気味な雲に。
「……なんだよ、この空」
 こんな色が、自然のものであるわけがない。
 思わず息を呑んだ途端に、子供がぎゅっとしがみついてきたが、それさえ分からないほどタカシは衝撃を受けていた。
 だって、タカシは知っていたから。この空の色を……そんな物語が、森の都に伝わっていたことを思い出す。
「今って……夜じゃ、ないよな」
「ええ、正午よ。なのにこの暗さ。私の言いたいことが分かるわね?」
 タカシは頷いた。
 空全体を覆う、ぶ厚い灰色の空。
 太陽の光すら完全に遮る重量感のあるそれは、あの物語と同じだった。湖の国の王に無理矢理連れてこられた霧練りが、結局は霧練りを行えずに亡くなってしまったという、あの伝承と。
 こんな場所では……こんな所では、確かに霧練りなんて出来そうにない。重すぎて、タカシなどには雲を引き寄せることさえ出来ないだろう。
「どうしてこんな色に」
「あの灰色は夜伝の工場から流れているものなの。この『夜伝の街』と呼ばれる工業地帯の真上の空だけに起こっていた現象。それが、これよ。今では湖の国のほとんどがこんなふうになっている……つまり、この国には太陽の光がささない。朝が来ないと言うわけ」
 この工業地帯で働く人間が『ヨツテ』と呼ばれ始めた時、人々はまさか、こんな現象が起きるとは予想だにしていなかったに違いない。
 けれど、これが現実だった。空を灰色に染めた湖の国は、ムネリの伝承の通り、暗い雲の垂れ込める夜の国になってしまった……。
 背中に伝わる温もりに、タカシははっと我に返った。
 かすかに伝わる震え。
 先程しがみついてきた子供が、今になってもまだ、タカシから離れようとしないのだ。
(こいつがこんなに怯えるなんて)
 ロウジ達に瞞され、ここに売られて来る途中でだって、子供は一度も不安がったりしなかったのに。
 ぎゅっとしがみついた子供は、タカシの背に顔を埋めるようにして震え続けている。その温もりに、タカシはようやく、今、自分が口にすべき言葉に気付いた。
「こんなふうになるなら、工場はすぐに閉鎖すべきなんじゃないか?」
「貴方って本当に馬鹿ね」
 けれど、返ってきたのは溜息混じりの少女の声。
「夜伝の街を何だと思っているの。ただのゴミ処理場だとでも?いいこと、ヨツテを必要としているのは私達じゃない、この国なのよ」
「国が?」
「そう。貴方一人を残して消えたムネリと違って、ヨツテは今、世界に必要とされる存在なの」
 その瞬間。
 どうしてだかタカシは、この少女の……ヨツテと呼ばれる人々の正体を、理解した気がした。それはほとんど確信と言っても良いひらめきだった。
 はじかれたように顔を上げて、タカシは新しい煉瓦作りの工場の方へと駆け寄って行く。
 背中にしがみついていた子供がその場ですてんとしりもちをついたが、それさえ気付かず、必死になって工場の扉を開き……中にあったもう一つ頑丈な扉も強引にこじ開けると、タカシはいよいよ、自分の予感が正しかったことを知った。
(武器工場……)
 目の前に広がる光景。
 そこには、銃や大砲、それこそタカシが名前も知らないような沢山の武器が、仰々しい機械の横にずらりと並んでいたのである。








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