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「落ちてゆく夢の終わり」
- 夜伝の人々I
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- 昼休みが終わると、少女は扉に鍵を掛けて工場に戻って行った。
外に出てから急に具合を悪くした子供と並んで、結局タカシはもといた廃工場で身動きが取れなくなってしまっう。
(ちぇっ。何だよ、あの女。偉そうに)
先程の言い合いを思い出すと、無性に腹が立ってくる。己れの考えを押しつけてきた少女にも、言い返せなかった自分にも。
けれどこの空の色や工場の様子を見ても、確かにヨツテは湖の国に必要とされているのだろうし、ムネリがタカシ1人を残して消えてしまったこともまた、事実なのだ。
振り返ると、子供は相変わらず青い顔をしてソファの上に横になっている。時間が過ぎれば落ち着くだろうと思われたその顔色も、何故だかいっそう酷くなっているようだ。
あの空の色を見てからだ……思い出して、タカシは段々と心配になってきた。
途中で幾種類もの薬や食事が差し入れられたが、結局子供は力なく首を振るばかりで、そのどちらも口にしていない。
無理に口に入れると吐き出してしまいそうだったので、こうなるとタカシにはもう、どう仕様もなかった。
「ここ、まっくら……」
元々白かった子供の顔は、青くなると生きている人間のものとは思えないほど血の気を失くす。
不安になるタカシの横で、子供はソファに横になったまま何度も囁いた。
「タカシ、むねり、できないね」
「そうだな……」
確かに、その通りだ。
もし仮に王が霧練りを見たいと願っても、タカシの力でこの国の黒い雲を練られるとは到底思えない。
第一この国では、お城の一番高い塔でだって、山の上にある森の都ほど高くはないだろう。タカシの技量では、相当な高さがないと、雲は引き寄せられないのに。
霧練りの出来ないタカシがこの国で出来ることとは何だろう。しばらく考えて、何もないな、とタカシは溜息をついた。
こんなことでは王様に話を聞くどころか、認めて貰うことだって難しいだろう。もしかしたら、昔話のムネリのように閉じ込められてしまうかも知れない。
そうなれば、眠り病を完治させた五番目の王女の居所さえ知らぬまま、タカシはこの国で一生を過ごすことになる……いや、仮に眠り病の治療法が分かったとしても、自分は本当に森の都に戻ることが出来るのか。
首が飛ぶ、と言う言葉が改めて生々しく甦った。
(あんな女の話なんか、間に受けるもんか)
首をぶるぶると振ったけど、不安は消えない。
唯一同じ立場である筈の子供は青い顔で横になっているし、ここには相談相手もいないのだ。
何をするともなしに廃工場の壁を睨んでいるタカシの胸に、ふと、懐かしい顔が次から次へと浮かんでは、消えていく。
途端にぎゅうっと胸が重くなり、熱い固まりのようなものがこみあげてきて、しまいには息苦しくなってきた。
(コーダおばさんも、コーダおじさんも、心配してるんだろうなぁ)
それにリウ。機転を利かせて警備兵に知らせてくれたのに、結局はタカシを見つけることが出来なかったと知って、どう思っただろうか。
最後の朝、あんな風に別れたきりだったことを、タカシはひどく後悔した。
ミッジもそうだ。何の説明もせずに名前を借りてしまったが、もう今頃はコーダ夫妻に全てが知られて、皆で一体何がどうなっているのかと不安に額を寄せている頃だろう。
それでもロウジやシンの所に警備兵が行くことはまずないだろうし、タカシがここに連れてこられた証拠が見つかる訳でもない。
仮にリウがロウジの名前を出したとしても、二人が黒い渦にいる限り、警備兵達は何の手も打てないのだから。
何もかも途中で放り出してきてしまった。
奇跡としか思えないナナの目覚め、あの日食事を摂っていた姿が、もしかしたら最後に見る妹の姿だったかも知れないのに……そう思うとひどく切ない。
最後に交わした言葉も思い出せないなんて。
後悔ばかりが胸に込み上げて来て、突然、タカシの目がじんと熱くなった。
「う……」
自分の中の、湖の国に行こうと言う決意がどれ程揺るぎないものか、タカシには自信があったのだ。
けれどこうなって初めて、自分がどれだけの人に甘えて来たのか、どれだけの人に守られて来たのかを理解した。理解、できた。
どんなに辛いことがあっても、どうしても譲れない時には誰かが助けてくれていた。助けてくれなくとも、誰かがタカシのことを心配してくれた。
それがどれだけ自分の生きる上で必要な、大切なことだったのか、与えられていた時に感じ取れなかった自分自身の勝手さが辛かった。
もう一度手に入れば、きっとタカシはそれらのものを、粗雑に扱ったりはしないのに。
ぽたぽたと落ちたものに気付いて、タカシははっとした。何かと思えば、それは涙なのだった。
いつの間にかタカシは泣いていたのだ。おまけに後から後から、情けないくらい続けて涙がこみ上げてくる。
意識してしまうともう駄目だった。
しゃくり上げるたびに新しい大粒の涙がこぼれ落ち、タカシの両手を濡らしていく。
「…………っく」
何度も何度も涙を拭い、それでも間に合わず、タカシは俯いた。
廃工場に反響する嗚咽が隣にまで届けば、ヨツテの連中にどれだけ馬鹿にされるか分からない。
それなのに涙は一向に止まらないのだ。喉の奥は段々と熱くなって、止むどころか、益々ひどく悲しくなってくる。
「タカシ、だいじょうぶだよ」
その時、不意に、優しい温もりがタカシの頭に落ちてきた。
「だいじょうぶだよ。ほらね、ぼく、ここにいるからね」
涙のせいでひりひり痛む目を無理に開けると、そこにはつい今しがたまで青くなり、ソファに横たわっていた筈の子供の顔があった。
大人びた優しい微笑み。その表情を、タカシはいつかどこかで見たことがある……。
少しの間考えて、思い出した。
そう、あれは確か、ナナの目覚めの時に見せた、真剣な横顔。
「ひとりぼっちじゃないよ、ね?」
自分の方がずっと顔色も悪くて怯えている癖に、そう言ってタカシを気遣う子供の声は、やはりひどく真剣なのだった。
それは、子供の持つ、暖かく人を気遣う心が滲んだ声。
きっとこの子供は、見た目よりもずっと大人なのだ。自分が大変な時にも人を気遣えるのは、つまりはそういうことだと思う。
(情けないよな、俺)
すん、と鼻をすすると、タカシは赤くなった。
ここに来てからのタカシときたら、一体何をしていたんだろう。騙されて、悔しがって、寂しがって、強がって、最後には泣き出して……それだけ。
こうしようと考えても少しも行動に移らずに、ただまごまごするばかりだった。
「ご免な。俺、すごくみっともなかった」
こんなんじゃ駄目だ。まだ何も始まってないのに、もう弱音を吐くなんて。
タカシはぎゅっと音がするほど歯を噛みしめると、目尻に残っていた涙を力強くふき取った。
きい、と小さな音が響いたのは、その時だ。
「え……」
振り返ると、廃工場の鍵付きの扉が、わずかに開いていた。
タカシと子供が目を丸くしていると、ひょい、とそこから見慣れぬ男の顔が覗く。
汚れた作業着姿と泥を塗ったようなその顔に、タカシにもすぐに、彼が工場の人間だと知れた。
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