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「落ちてゆく夢の終わり」

夜伝の人々K
 がくん、と車体が揺れて、タカシ達の隠れている座席の上蓋に重みが加わった。ひゅっと子供が息を呑む気配がしたが、タカシだってそれに負けないくらい緊張している。
 お互いにますます息を殺して身を縮めていると、そのうち馬を鞭打つ音が聞こえて、馬車がゆっくりと動き出した。
 がたん、がた。
 ものすごい振動だった。
 かたい地面の上を、車輪が転がる音と揺れ。
 底板一枚隔てて外へと繋がる座席の空洞の中では、それらがじかに伝わってくるのだ。
 何度か身体をぶつけながらも、暗闇の中でまんじりともせずにいたタカシは、そのうち右手側に小さな穴が空いていることに気付いた。
 そこから丁度外が眺められるのだ。
(うわー。おい、お前もこっち来て見ろよ)
 すぐ側でもぞもぞしていた子供の肩をつついて、タカシは馬車の外の景色を眺めた。
 がらがらと揺れる景色は、最初のうち、倉庫や工場ののっぺらぼうな建物ばかりを映していたものの、大きな門を潜った途端、それらは賑やかすぎるまでの人々の波と、照明を掲げる店舗の群とに変わってしまう。
 どうやら馬車は街に入ったらしい。
「見舞いに行くのは久し振りじゃないかね」
「度々行く必要があって? 死人と同じなのに」
「……ヨツテを止めた人間は、もう人間じゃないと言う訳か。相変わらず手厳しいな」
「最初からあの人はいないのと同じだった。ただそれだけのことよ」
「そうだろうかね? しかし、あいつが無事なら、森の都に武器作りの技術を広めるなんて真似は絶対に許さなかっただろうね。ムネリの住む都だからと言う訳ではないよ、下手をすれば首が飛ぶ、それを心配しての反対だ」
 不意にカナが口をつぐんだ。景色に見とれていたタカシは、唐突に訪れた沈黙にふっと身体を強ばらせる。
「まだ、ムネリが憎いんだね」
「憎い? そんなふうに見える?」
「おや、違うのか」
「……今となっては関係ないわ。貴方のお陰で、ムネリと言うものがどれだけ無意味で馬鹿げた商売なのかが、十分に分かったし。
 それにしてもアドルス、貴方随分と良心的なことを言うけれど、今回の件についてはそちらが提案してきたのよ。首が飛ぶのは私だけかしら?」
「ははは、それを言われると辛いところだ。しかしまあ、ムネリの件では随分と世話になったからね、もとより陛下に注進するつもりなどないよ。あんたがあの二人を運んでくれたお陰で警備兵を出し抜けた……二手に別れる時、私があっさりと子供を渡したのは、それだけあんたのことを信頼していたからなんだがね」
「その信頼が長続きすることを祈ってるわ。貴方の為にも」
 そこで、どうやら話は終わってしまったらしい。
 気がかりな言葉を沢山耳にしてしまったタカシは、しばらくその場で頭を悩ませていたものの、そのうち飽きて子供と交互に眺める外の景色に夢中になった。
 馬車が進んで行くのは、森の都にいれば一生見ることはなさそうな、とにかく広い大きな道だ。その左右に並ぶ高層の建物には、数え切れないほどたくさんの窓や、近隣する建物とに繋がる通路などがくっついている。
 道の左右には明かりを灯して大勢の客を集めている店、大きなランプを掲げた仮店舗、綺麗な横長の筒みたいな乗り物(看板には、移動図書館と書いてあった)などが並んでおり、何よりタカシを驚かせたのは、色とりどりの石を敷き詰めた歩道を行く通行人の数だった。
(森の都とは比べものにならないくらい、人が多いんだ。ここは)
 見慣れない景色、見慣れない人々。
 ぼんやりと眺めているうちに、感じていたわくわく感は次第に不安へとすり変わる。
 ここは森の都とはあまりにも違いすぎて、だから余計に思い出してしまうのだ。森の都を。
 ……そういえば先ほどから目がちかちかするのは、どうやら外の照明がまぶし過ぎる為らしかった。
 むやみやたらとある照明は、それだけ見れば“黒い渦”に似ていなくもない。もちろん、“黒い渦”が人工の明かりを必要としたのは、地下の街だったからで……反してこの街は、地上にあるのに明かりがない。
 灰色の空が、光を奪っているから。
(いつも、夜みたいな街……)
 空のまちは、太陽と共に動き出し、太陽が沈むと眠りにつく。
 人のいなくなった道路はがらんとして、見えるのは区域ごとにいる点燈夫が受け持ちの街燈を回っている姿だけ。
 それが、タカシの知る「夜」だった。
 だけどきっと、この街には、それがない。
 やがて馬車はがらんと静かな通りへと進んで行き、奥に行くにつれてまばらになる建物の中、真っ白な建物のそばでぐるりと弧を描いて停まった。
 振動のなくなった馬車の座席の空洞で息をひそめながら待っていると、やがてがくんと車体が斜めに揺れる。
 慌てて覗き穴を見ると、カナとアドルスが馬車から降り、そのまま遠ざかって行く様子が伺えた。
(……よし、もう良いぞ)
 狭い所に閉じこもっていた為に、身体が強ばって痺れている。
 それをほぐしながら座席の蓋を開けて外に出ると、タカシは大きくのびをした。
 そのまま、欠伸しつつその後に続いた子供に、人差し指を口に当てて注意を促す。
(さて。工場から出られたのは良いけど、まずはここが何処なのかを確認しなくちゃな)
 まだ御者台に残っている男に気付かれないように、2人はそっと、馬車の外にまろび出た。
 外は驚くほど静かな通りで、目の前にある白い建物の他には、まともな家も店もない。平らな敷地は放置されているというよりきちんと整備された「空き地」で、それらの場所が、まるで白い建物を隔離しているようにも見えた。
 このまま逃げるつもりなら、人通りの多い大通りまで引き返した方が良い。
 それなのに子供は何故かタカシの腕を引いて、じっと白い建物を見つめている。
「おい。お前、まさかこの中に入ろうって言うんじゃ……」
「……ん!」
 しばしの沈黙ののち、じっとタカシを見上げて頷く子供。
 おいおい、とタカシは思った。既に馬車からは随分と離れた位置まで移動していたが、それでも用心して小声で怒鳴ってみる。
「あのなあっ。中にはカナ達がいるんだぞ。出くわしたらどうするんだよっ」
「でも、なかでまってるよ」
 脈略のない言葉に、タカシは思わずぽかんとした。
「……は?」
「だから、なかに、タカシをまってるひとがいるの」
「誰だよそれ」
 けれど子供は問いに答えず、強引にタカシの腕を引いて白い建物の入口へと近付いていく。
 ひ弱だとばかり思っていた子供の思いがけない力の強さに、タカシは仰天しながらも、ついには建物の中に引き込まれてしまった。
(ええっ、ちょっと、おい、これってまずいんじゃ……!)
「あら、貴方。ちょっと待って頂戴」
 果たして子供の手を振り払い、自分一人でもいいから逃げるべきか……と迷っていると、案の定鋭い声に呼び止められた。
 慌てて振り向くと、病院受付と書かれた薄いプレートの前に、眼鏡を掛けた年配の女性が座っている。
「貴方達、誰かご家族の人に会いに来たの? それなら受付を済ませて貰わなくちゃ」
「受付?」
「ここは国営の眠り病研究病院です。当然でしょう? それともまさか貴方達、悪戯でこの中に入ろうとして……」
「ち、違います! 中に妹がいるんです、ナナって言う妹が」
 慌てる余り、咄嗟に嘘を付いてしまった。眠り病と聞いてナナの名前が自然に出てしまったのだ。
 女性はまだ不審そうな顔でタカシと子供とを見つめていたものの、すぐに何事か納得した様子で頷くと、
「分かったわ。今調べるから、そこで座って待っていなさい」
 言って、テーブルの影に隠れていた大判の書類を手に繰り出した。
 この展開に慌てたのはタカシである。何しろ幾ら調べても、ナナがこの建物の中にいる筈がないのだから。
 どうしよう、という思いと共に、じんわり汗が背ににじむ。もちろん暑いからではない、冷や汗だ。
 隣では呑気な子供が、まだぐいぐいとタカシの腕をひっぱっている。
 しつこいんだよ、と手を振り払っても諦める様子がない辺り、よほどこの中に何か「気がかり」でもあるのだろう。
 しばし考え、タカシは覚悟を決めた。
 つまり、子供の手を逆に握り返すと、そろりそろりと音を立てずに受付から離れ始め、
 女性が顔を上げた途端、まるで弾かれたように、その場から駆け出したのである。
「貴方達、ちょっと、待ちなさい!」
(待てません、ごめんなさい!)
 追いかけてくる声を無視して、タカシは子供の手を引きながらぐいぐい走った。






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