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「落ちてゆく夢の終わり」

霧練りの少年A
「遅いぞ、ムネリ。早く来いよ」
「……ムネリじゃなくて、タカシ!」
 叫び返して、二階の突き出し床の影になったテーブルに駆け寄ると、タカシは、おや、と首を傾げた。
 テーブルの席の一つに、見慣れない子供が座っている。
淡い栗色の髪をしたその子供は、すぐにタカシに気付いてきょとん、と首を傾げた。
 透き通るような白い肌にほっそりとした輪郭。何の戸惑いもなくタカシに向けられた瞳は柔らかい青緑をしている。
 上からすっぽりと白い布を被っただけ、みたいな服を着ていて、一目見ただけでは男か女かさえ分からない。
「ロウジ、誰だよこいつ」
「その辺で拾って来た子供さ。まあ、そんな事はいいからそこに座れよ」
「……いいけどさ。らしくないよ、ロウジ。こんな奴連れて来るなんてさ。もうすぐしたら出発なのに、シンが怒るぜ」
「バカ、お前はホントに頭が悪いなあ」
 走って来たのでまだ息が整わないタカシに言葉を返すと、ロウジはテーブルに肘をついて、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべた。
 ほんの少ししか歳が違わない筈のロウジは、十三になったばかりのタカシに比べて、まるで成人した大人のような容姿をしている。
 背も高くて、隣に並んで歩きながら喋っていると、タカシの首が疲れてしまうほどなのだ。
 その上ほっそりとしている割にはこの辺のごろつきの中で一番腕っぷしがたつから、彼の切れ長の目にじろりと睨まれるだけで、大抵の人間は口をつぐんでしまう。
 猫のように気まぐれで、仲間と決めた相手にしか気軽に喋らない。そんなロウジをタカシは密かに尊敬していた。
 だけどロウジは、いつだってタカシの方が凄いじゃないかと言う。
 それはタカシが、森の都で(恐らく)最後の“ムネリ”だからこその言葉だ。そうでなければロウジはきっと、自分になんか見向きもしなかったに違いない。
 しかしタカシは、もうそんなことでぐずぐず落ち込むのはやめたのだった。利用できるものは何だって利用する。ロウジが自分を特別に扱ってくれるのなら、それで良い。
 そうした考え方こそ“黒い渦”らしいやり方なんだから。
「……もしかしてこの子供を仲間に入れるつもりか? 俺、反対だな」
 空いた椅子に腰掛けてタカシが言うと、ロウジは灰皿の上の吸いかけのタバコを、手早く口に挟み直した。
「お前さあ、こいつを見て、何も思わない? 何かが違うだろ。小綺麗だし、アクがないし……多分こいつは湖の国の奴だよ」
 タカシは驚いて、再び隣の子供を眺めた。
 自分の曽祖父の時代ならいざ知らず、今や大陸の言語は統一されている。
 だから言葉が通じないなんてことはまず有り得ない筈なのに、二人の物騒な言葉にも、子供は相変わらず無邪気に笑っているばかり。
「隣の国の内乱もどんどん惨くなってるらしいし、逃げ出して来る途中で家族と離れたのか、それともたまたまここに一人で流れ着いたのか。の、どっちかだな」
「そうなのか?」
 尋ねると、子供は不思議そうに首をかしげた。
 大きな青緑の瞳にタカシの顔が映っていて、その潤んだ色を見つめるうち、タカシはそれを以前にもどこかで見たような錯覚を覚える。
 微妙な瞳の色合い。
 確かに、どこかで…。
 こほんと咳払いをされて、タカシはようやく我に返った。
 ロウジがにやにやしながらこっちを眺めている。
 それでようやく、自分が間抜けな顔で子供をじいっと見つめていたことに気付いて、タカシは真っ赤になった。
「なあって、聞いてるだろ!」
「タカシ。無駄だよ、そいつ全然分かってないんだ。ここに来るまで一言も喋らなかったし、話しかけても一度も返事をしなくてさ。でもこれだけの綺麗どころなら、他に幾らでも手はある筈だろ?」
 ロウジの言わんとしていることに気付いて、タカシは見る間に表情を暗くする。
 人身売買。
 それは空のまちならいざ知らず、黒い渦では珍しくとも何ともない言葉だ。
「保護の為に、連れてきてやったんじゃ……」
「あれ? 反対なのかよ、タカシ。湖の国に行くには金が要るし、そいつを調達するには時間が掛かるんだぜ」
 ぐ、とタカシは唇を噛んだ。
「俺はさあ、お前の妹を思う気持ちに感動してるんだよ、あんな厄介な病気になってもまだ見捨てないでやっててさ。出来ればお前に協力してやりたい。分かるだろ?」
 ロウジの瞳が優しく細められる。
 だけどタカシには、それが計算ずくの優しさであることが分かっていた。以前、酔っ払いから財布を取り上げる時に見せた彼の笑顔の中にも、同じ類の優しさが覗いていたからだ。
 それでも嫌われたくなくて、タカシは無理に意地を張る。
「反対なんかしないけど……そんなことになって、ここを出る時に面倒にならないよな」
「そんなドジ踏むかよ。とにかく森の都の人間相手じゃカネにならないから、俺達の出発に合わせてこいつも連れて行くことにしよう。湖の国の商人なら大金出すさ。算段は俺がつけるから、それまでこいつの面倒はお前が見ろよな」
「へ? そ、そんなこと出来ないよっ。ロウジの家に連れて行ってやれば良いじゃないか!」
「お前、ウチに来てみる? こんなガキ連れて帰って、無事にもう一度ここに引っ張ってくる自信なんか俺にはないぞ」
 ロウジの詳しい家庭の事情は知らないが、率直に言われてタカシは思わず首を横に振った。
 そんな所、タカシだって行きたくない。
 子供は何も知らずにタカシとロウジを交互に眺め、時折物珍しそうに机や椅子や店の中を見渡しては、嬉しそうに微笑んでいる。
 黒い渦にこれ程似合わない子供は他にいないよな、とタカシは溜息をついた。
「そんな暗い顔するなって。この辺りをうろついて、俺達に見つけて貰えただけでもコイツはついてるんだからな。だろ?」
「……分かってる」
 渋々頷きながらも、できればその商談にけりがつく前に、子供が何か思い出してくれればいいのにとタカシは思った。
 そうしたら、きっとロウジだって、人身売買なんて諦めるだろう。
「あ、そうだ。シンが馬番の調達に成功したらしいから、例の旅行のアシは馬車に決まった。合流時間もまだ未定だけど、先にこれだけ渡しとく。ほら、家を抜ける時の手筈だ」
 とん、丸めた茶色い紙を押しつけられて、タカシは仰天した。
 ロウジが既に立ち上がり、店を出ようとしていたからだ。
「ど、どこに行くんだよ!」
「どこって、仕事に決まってるだろ。カネになりそうな話が急に入ってさ、シンが先に行ってるんだ。俺らはこうしてケンジツに金集めてるんだから、お前も頑張ってそいつを見張ってろよ」
きっぱり言い放つと、後は返事も待たずに店から出て行ってしまう。
 タカシは反論も出来ずにその後ろ姿を見送った。
 特に指定がない場合の次の集合は翌々日、というのがロウジ達との取り決めだ。
 つまりタカシは最低でも今日と明日の二日、この子供を預からなければならなくなったのだ。
 振り返った先には、ひどく熱心にこちらを見つめてくる子供の視線。
 その無邪気な様子に、タカシはこの日何度目になるか知れない溜息を一つ、こぼした。





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