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「落ちてゆく夢の終わり」

壺毒の病A
 城の中に入った途端、タカシは自分の目がちかちかするのを感じた。
 扉をくぐってすぐに目に入ったのは、天井の、首が痛くなるほどの位置にぶら下がる豪華な宝石のシャンデリアだ。
 天窓から入る光を反射させたそれらは、鏡みたいに磨き上げられた床にまで照り返して、あちこち光の洪水を作っている。
 おまけに紫の絨緞を敷いた階段や真鍮の手摺りまでもが、タカシの姿を映すほどにつるりと磨き上げられているのだから、まるでお城の中に自分が10人はいるように見えるのだった。
 はじめて見る「お城」の感想は、まるで世界中の光が集まってるような場所だ、というもの。
 森の都で一番偉い町長の家だって、こんなに滑りそうな床はしていない……何故か急にコーダ夫妻の家の赤煉瓦が懐かしく思えて、タカシは咳払いをした。
 馬車を降りてから案内役になっていた衛兵は、城の玄関口で初老の紳士と交替した後、すぐに車で(タカシはこの時初めて、湖の国で使われる車と言うものを見た)門の方角へと戻ってしまった。
 その鼻先で召使い達に扉を閉められ、仕方なく、タカシはこの光の洪水のような場所で目をしばしばさせていたのだが。
(こんな所で暮らすなんてうんざりするな。もし長居するような羽目になったら、一日で神経がおかしくなっちゃうよ、きっと)
 アドルスが長々とした挨拶の言葉を終わらせると、ようやく一同は奥に続く階段へと案内された。
 落ち着きなく辺りを見回す子供達をアドルスがいさめたが、その実、平静を装う彼の方こそが緊張して落ち着きをなくしていることを、タカシは見抜いた。
 というのも、彼の髭はお城に入ってからずっと、ふるふる微かに震えていたのだから。


 ……湖の国の名の由来は、国土の実に十分の一に相当する湖の数にあると言われている。真水の海に近い城の裏手には広々とした湖が横たわっており、その大きさときたら、地下室を除いたほとんどの城の窓から青い水面が見えるほどだ。
 森の都で育ったタカシは湖を見たことがなく、海と湖の違いを説明することも出来なかったけれど、ふちを木々の緑に包ませた淡い空色の湖は確かに綺麗だと思う。
 穏やかな水面が風景を映し出す、まるで小さな鏡のようなのだ。アドルスと案内役の男とに挟まれて廊下を進む間にも、窓から入る風がひんやりと心地好い。
 最初はあちこちで見掛けた城の人間や警備兵の姿も、階段を登り、目的の場所に近付くにつれて、次第にまばらになってきた。
 やがて壁沿いに並ぶものの中で一番立派な扉の前にたどり着くと、
「失礼します」
 優雅な物腰で、執事が1人で先に中へと入って行った。
 その後に続こうとしたタカシと子供は、ぐっとアドルスに首根っこを掴まれて引き戻される。
「待て、待て。焦るんじゃない、まだ入室の許可を戴いていないんだぞ」
 ……タカシが内心うんざりしていると、扉がもう一度開いて、執事がひょっこり戻ってきた。
 そのままアドルスに手招きし、ごそごそと何事かを囁いている。
 やがて話が終わったのか、アドルスが苦々しい表情でタカシ達を振り返った。
「陛下は、ムネリだけを部屋に通すよう言われたそうだ。ムネリを連れてきたのは私だと言うのに」
「え……」
 タカシはごくりと生唾を飲み込んだ。
 急に早鐘を打ち始める心臓の音にあわせて、これまでに耳にした、湖の国の王にまつわる数々の噂が甦ってくる。
 娘婿である七人の領主の息子達に、突然、戦争をしかけたという王。
 人の命を奪う兵器を作る夜伝を信頼し、短気で、これまでにも幾人もの人を処刑し……そうして本当は、誰よりも戦を嫌い、平和を愛していたと言う王。
 考えてみれば、タカシは噂でしか湖の国の王様のことを知らないのだった。もちろんそれはごく当然のことではあったのだが、こうしてみると、王様のイメージはひどくバラバラで曖昧だった。
(でも肝心なのは、今の王様がどんな人かってことだ)
 用心深く、タカシは考える。
(眠り病の話をしても、怒りやしないだろうか。霧練りが出来ないって言っても、俺の首を斬ったりしないだろうか。ムネリのことをどう思っているんだろうか……)
 それはひどく予想しにくいことのように思えたし、実際その通りだった。
 そうしている間にもアドルスは渋々廊下を引き返して行き、結局、タカシと子供と執事の三人だけがその場に残された。
 執事はアドルスがすっかり廊下の向こうに消えてしまうのを確認すると、ようやくその扉をしずしずと開く。
 ……瞬間、さあっと広がった青い光に、タカシは目を丸くした。
 扉の奥からほとばしる、冷気にも似た静けさ、そして不思議な部屋の内装。
 そこはまるで、氷で出来たように寒々しく、がらんとしていた。
 だだっ広くて何もない大理石の床に、綺麗な彫り物の入った太い柱が幾本も建つ、蝋燭に照らし出された部屋。
 けれど室内を異質なものに見せているのは、それだけではない。
 燭台の横の壁に開いた穴に並んだ、見たこともない変わった形の彫刻像だった。
(あ……!)
 思わず目を細める。
 扉の正面、ようやく視線を運んだ場所に、王座があったのだ。更にそこには、1人の壮年の男が座っている。
 目ばかりがぎょろりと光り、過去の美丈夫さの面影を残す肩の張りが不自然な程に痩せた身体付き。
 肉をそいだような顔が、じっとこちらを睨んでいる……まるで世界中の苦しみを抱え込んだような、ぞっとする姿だった。
(もしかして……この人が、湖の国の王様?)
 執事が挨拶の言葉を残して出て行くと、王座の間には正真正銘の沈黙が訪れた。
 途端に、自分の胸の鼓動の音が、どくん、どくんと脳裏に響き始める。
 冷や汗が流れるのは、緊張のためばかりではない。王は確かにタカシと子供とを睨んでいるのに、何も喋ろうとしないのだ。
 やがて、その沈黙を破るように、子供が王様へと近付いた。
「こんちには、ムネリです。あいにきましたよ」
(わっ、またこいつはそう言うことを)
 焦るタカシにはまるで頓着せず、子供はにこにこと笑いながら王様に手を伸ばす。
 けれどその返答は、思いがけない場所から聞こえてきた。
「……貴方が、森の都に住むと言うムネリですか」
 王座の左手の、氷のように透明に透き通るカーテンがふわりと揺れて、そこか1人の女性が現れたのだ。
 タカシがぼんやりしていると、その人は階段を下り、ゆっくりとこちらに近付いて来る。
 やがて子供に向かって優しく微笑み、次いでタカシに視線を移した。
 ほっそりした背の高い、とても綺麗な人だった。頭の上の上品な髪飾りで前髪をまとめているので、小造りな顔に整った目鼻立ち、紺に近い青色の優しい瞳がはっきり見える。
 顕になった額が清潔で聡明そうな印象を与える女性で、どことなく寂しそうな印象があるのは、その瞳がわずかに潤んでいる為かもしれんかった。
「あの、貴方は、」
「初めまして。陛下に代わって御挨拶しますね。私は湖の国の王妃です。貴方達は本当に、ムネリなのですか」
「はい。あ、でも、こいつは違うんです。名前だけムネリで、それも本当じゃなくて、海から来たって言ってて……ええと、本物のムネリは俺だけです。タカシって言います……」
 目の前にいるのが王妃であること、それに自分を見つめる瞳があんまり優しいのとで、タカシはひどく焦って何度も舌を噛みそうになった。
 そんなタカシの様子に、王妃は淡く微笑むと、
「かの都では、ムネリの血は既に絶えてしまったのだと聞いていましたが。夢を紡ぐ職人達は、まだ残されていたのですね。森の都に」
「あ、はい」
 かちかちになって答えるタカシに、とうとう王妃はぷっと吹き出してしまう。
「そんなに緊張しなくとも良いのですよ。陛下はまだ、眠っておられるのだから」
「えっ……で、でも」
 タカシは思わず王様を見上げる。
 とても眠っているようには見えなかった。だって確かに目を開いて、こちらを見ているのに。







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