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「落ちてゆく夢の終わり」

壺毒の病C
 王妃は困惑顔でタカシを眺めた。
 何度か瞬きを繰り返し、それでようやく口を開く。
「眠り病の、何を聞きたいのですか」
「この国の五番目の王女様が、一度眠り病になったのに、治ったって」
「そのことでしたら、残念ながら私に答えられることは何もありません。お帰りなさい、故郷に。陛下が武人達に戦地の指揮を任せきりになさり、城に残った文人の多くも処刑してしまったから、ここは随分と静かだけれど……戦況は刻一刻と悪化しているのです。今では陛下をないがしろにする者まで現れ、戦況報告の為に城を訪れる軍師までもが、横柄な態度を示すようになってしまった。このままでは、すぐに私の力の及ばぬ時が訪れるでしょう。そうなる前に、早く」
「駄目だよ。妹は死にそうなんだ。戦争がなくても死ぬかも知れない。治療法があるなら教えて下さい。どうして秘密にするんですか!」
「諦めなさい。タカシ、残念だけれど……」
「じゃあ俺、その王女様達のいる離宮に行きます。行って、直接聞きます。王女様は全員その離宮にいるんでしょう?それなら」
「眠り病の治療法など、ないのです!」
 たまりかねたように、王妃は叫んだ。悲痛な声だった。
「ないのですよ、タカシ。王女は今でも、眠ったままなのです」
「嘘だ。だって噂が」
「嘘ではありません。考えてもご覧なさい、治療法が分かったのであれば、すぐにでも眠り病患者はこの地から消えている筈でしょう。噂は、噂に過ぎないのです」
「じゃあどうしてあんな噂が出回ってるんですか? 俺は信じない!」
 叫びながらも、タカシの胸には「やはり」と言う思いと、眠り病の専門病院で感じたあの気持ちが甦っていた。
 もしかしたら、眠り病の治療法なんて、存在しないのではないか……と。
 けれど、それを認めることはナナが死んでしまうことであり、タカシがここに来た意味を奪うことでもあった。
 だからタカシは、簡単に納得する訳にいかなかったのだ。
「俺、やっぱり帰れません。王妃様はちっとも本当のことを教えてくれない、魔術師のことだって教えてくれないんだから。そんなことじゃ俺、何が本当なのか全然分からない!」
「……貴方の身にまで呪いがふりかかるかも知れないのですよ。魔術師は、貴方が思う以上に危険な存在です。いつでも私達を監視しているのですから」
「いつでも? それ、どう言う意味ですか。魔術師が悪い奴なら、追い出せば良いじゃないですか」
「静かに」
 王妃の指が、そっとタカシの口に添えられた。
「いつでも見ている、と言うのは、例え話などではないのですよ。貴方をはぐらかす為のごまかしでさえない。直接その姿を見たのは一度きりですが、それ以降も魔術師は、声を操って我々を監視しているのです」
「どうして、そんなこと……」
「全てを悪い方向に運ぶ為に。或いは、多くの人間が不幸になることを願って」
 すっと背筋を伝う冷や汗に、タカシは身震いした。
 見たこともない魔術師の黒い影が、脳裏をよぎって消えて行くような気がした。
「何なんですか、それ……お願いですから教えて下さい。俺、絶対に誰にも言いません。魔術師って誰ですか、壺って何ですか。眠り病の治療法がないってどう言うことですか?」
「…………」
 王妃は、じっとタカシを見つめた。それからそっと吐息すると、
「……分かりました、話しましょう。けれど一つだけですよ。
 魔術師の壺と言うのは、魔術師が占いに使った道具のことです。珍しい物が大好きだった陛下は、ある日高名な魔術師の噂を聞いて、城に招き寄せました。魔術師は直接陛下と話したいと願い出たので、異例のことですが、陛下は魔術師の身体を調べさせたあと、私だけをその場に残して近衛兵や大臣達を退出させたのです。その時魔術師が言いました。この壺の中に、貴方の未来が見えますよ……と」
 王は迷わずに、差し出された壺の中を覗き込んだ。
 そして、隣にいた王妃が異変を察した時にはもう、全てが終わった後だったのだ。
「あの時、魔術師は初めて黒いマントの隙間から顔を伺わせて、私を見たのです。そうして笑った。恐ろしい、あの顔……」
「王様はどうなったんですか」
「分かりません。ただ表情を堅くして、しばらくずっと壺の中を覗いていました。中に何があったのかは謎ですが、ただ魔術師が、あの時悪びれもせずに叫んだ言葉を信じるのであれば、陛下は毒を盛られたのです。“壺毒”の為に病におちた。可哀相な陛下」
「壺毒」
「審判の時が来たのだと、魔術師は言っていました。愚かな人間達に審判が下るのだと。その言葉の意味は今でも謎のままです」
 審判のとき。
 その言葉はひどくタカシの胸をざわつかせた。
 何故だろう。
 そんな話を聞くのは初めての筈なのに、どうにかしなければ、と言う思いが……使命感のようなものが、タカシの中に沸き上がって来たのだ。
「その魔術師は、今、どこに」
『ここにいるよ。最後のムネリ』
 タカシは耳を疑った。ぎりぎりまで高まった緊張の糸、それを弾くように、どこからか聞こえた低い声。
 王妃の顔が驚きにこわばり、その視線を追って背後を返り見たタカシは、目の前に現れたものを理解できずに呆然とした。
 それは、部屋の中央に浮かぶ黒い影だった。黒マントに包まれた身体は見えず、ただ、その布だけが命を持つようにゆらゆらと揺れている。
 顔はなく、フードの奥には空洞だけが広がっていた。
「魔術師!」
 王妃の叫びが風となり、魔術師のマントをたなびかせる。
 途端に露わになる、その奥に隠された『もの』……ああ、それは干乾びた胎児の顔だったのだ。黒いマントの奥で小さな手足を突っぱる、悪夢のようにおぞましい姿。
 悲鳴を上げて王妃が床に崩折れ、タカシもまた、恐怖の余り身体をこわばらせた。
 その様子をあざ笑うかのように、からからの眼窩が、まっすぐにタカシへと向かう。
『まだこんな場所にも希望の芽があったのだな。審判は既に下っていると言うのに』
 ……ああ。
 本当に、これは悪夢だ。こんなものが現実に存在する筈はないのに。
 怯えながらじりじりと後退りするタカシに、魔術師は哄笑している。
 そのまま、まるでタカシの魂ごと摘み取ろうとするように手を伸ばし……、
 ふっと、何かに驚いたように、その動きを止めた。
「え……」
「タカシ!」
 まるで魔術師の隙をつくように、王座の方から声が聞こえた。
 振り返ったタカシと魔術師は、ほとんど同時にこちらに駆け寄ろうとする子供の姿を見る。これまで見たことがないような悲痛な顔で、タカシの名を呼ぶ子供を。
「だめだよ、タカシ、だめ!」
「ああ、貴方達。お願い、逃げて……」
『異分子!あれは私の知るべき存在ではない。これはどう言うことだ!』
 王妃の声と子供の声とが、洪水のようにタカシを襲った。
 そして、それを増長させるような魔術師の叫び声。
『私の定めた法に逆らうのか、あの者達は!』
「タカシっ」
 もう一度叫んで、子供がようやくタカシのもとにたどり着く。
 途端に、魔術師の干乾びた顔が、更なる怒りの色に染められた。
「タカシ、あれをみちゃだめ。ぜったいだめ!」
 魔術師の手には、いつの間にか大きな壺があったのだ。
 ゆっくりとタカシに向けられる壺の口。深淵が覗くその向こうに、タカシは無数の星のきらめきを見た気がした。ああ、あれは、森の都の澄んだ夜空の星々の……………………………………………………………。




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