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「落ちてゆく夢の終わり」
- 壺毒の病E
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- 眠りの破片が意識と身体にまとわりつく感覚。
全てが重く、気怠い。
寝返りを打とうとして、タカシはようやく瞼を開いた。
「……良かった。気が付いたのね」
身体の軸をばねにして、タカシはその場に跳ね起きた。目を回しそうになったけれど、それよりも深い驚きがタカシの頭をはっきりさせる。
今、魔術師が。そう、確かに魔術師がいたのだ。
それから子供と王妃様とが悲鳴を上げて……。
「あら駄目よ、急に起き上がっては」
すぐそばにいた女性に再び声をかけられ、タカシはぽかんとした。
それから驚いて辺りを見渡し、再び驚く。
そこは土色の煉瓦で築かれた暗い部屋の中だった。綺麗な調度品が沢山あって、壁には窓は一つだけ。けれどカーテンが掛かっているせいで、そこから明かりは入ってこない。
タカシはあぜんとした。
ここはどこなのだろう。つい今しがたまで湖の国のお城にいた筈なのに、何故自分はこんな場所にいるのか。
そもそも……そもそも、この目の前にいる女性は誰なのだ!?
「俺、どうしてこんな場所に……」
「お母様の口添えで、貴方はここに運ばれてきたの。昨夜ついたばかりなのよ、覚えていない? 貴方、お城で突然倒れてしまったそうだけれど」
タカシが横になっているのは、天蓋つきの豪華なベッドの上だった。すぐ側にはタカシよりほんの少し年上らしい、綺麗な少女の姿がある。
ちょこんと首を傾げるその頬に、金色の巻き毛が滑り落ちているのが目に眩しい。
悪戯っぽく輝く青い瞳を見つめ返すうち、タカシはようやく、彼女がとても高価そうなドレスを身にまとっていることに気が付いた。
「ええと……」
「ここは制圧軍と領主軍の交戦地に近い、湖の国の王家の離宮よ。貴方はタカシでしょう。事情はお母様から伺っています。私達に会う必要があったのだとか」
「離宮!?そんな筈ないよ、俺、さっきまで王都の城で、王妃様と一緒にいたんだから!」
「さっきじゃないわ。魔術師に会ってから、貴方は三日も眠り続けていたんだもの。それで魔術師が消えた隙をついて、お母様が貴方を離宮に運ばせたのよ」
そんな、と言いかけてから、タカシは気付いた。少女の小さな顔は確かに、王妃にそっくりだったのだ。
「それじゃあ、貴方が湖の国の王女様?」
「アーニャ、何を話しているの」
呆然とするタカシの呟きを遮るように、不意に部屋の扉が開かれた。顔を上げると、新たに別の女性が、部屋に入って来る。
「……まあ、ムネリの子供が気付いたのね」
「今ちょうど、お姉様達をお呼びしようと思っていたの」
扉口に立つ年上の女性を見て、タカシは確信した。やはり似ている。顕にした額と、寂しそうな瞳の色。王妃にそっくりだ。
静かにこちらを見つめてくるその瞳に、タカシはようやく、どうやら自分が本当に離宮に来ているらしいと納得した。
実際、そうでもなければ話の辻褄が合わない。
しかし……と、タカシは眉を寄せる。
魔術師に会った途端に意識を失い、そのまま3日間も目覚めずに過ごしていたと言う自分。確かに記憶の途切れ具合からして、それは嘘ではないのだろう。
だが、分からないのは王妃の判断だ。
何故タカシを、わざわざこの離宮まで運んでくれたのか。
(直接、眠り病になった王女様に会えって事なのかな。だけど俺、確か魔術師の壺を覗いたんじゃなかったっけ?)
王が変貌した元凶である壺。
示されるままに中を覗き込みながら、タカシはただ倒れて眠っただけだった。
何故それだけで済んだのか、その理由もまた、謎のままだ。
(……魔術師)
タカシはぎゅっと唇を噛む。
あの、ぞっとするほど醜い、干乾びた胎児の姿。
(何もかも、分からないことだらけだ)
「ねえ、ちょっと、貴方。大丈夫?」
「あ……はい。何だか頭がぼーっとして」
慌てて答えると、王女は同情の眼差しでタカシを見つめた。
「無理もないわ。眠っている間に移動したのですものね、訳が分からなくて当然」
「あの、そのことなんですけど。ここに運ばれて来た時、俺と一緒に子供がくっついて来ませんでした?」
尋ねた途端に、二人の王女が気まずそうに顔を見合わせた。
嫌な予感を覚えて、タカシは知らず身を乗り出す。
「な、何か良くないことでもあったんですか?」
「それが……私達もお母様から頂いた手紙で知ったことなのだけれど。貴方のお友達は、魔術師が襲いかかろうとした時に貴方を庇って、そのまま煙のように消えてしまったそうなの。貴方が倒れ込むのと、ほとんど同時だったそうよ」
タカシは知らず言葉を失う。
消えた? 子供が。
タカシを庇って、消えてしまった!
「お母様は、貴方のことをとても心配していたわ。突然こんなことになってしまって、本当に申し訳ないと。だけど」
アーニャと呼ばれた王女が、更に言葉を続けようとした、その時。
不意にカーテンを突き破るように、一本の火矢が、窓の外から飛び込んできたのだ。
「……火矢よ! 誰か、早く水をっ」
「そんな、今は停戦中の筈じゃないの!?」
タカシは反射的に窓に駆け寄り、火矢に貫かれ、炎に飲み込まれていくカーテンに身を竦ませた。
けれどすぐにそれを片手で払うと、ようやく開けた窓の外を見下ろす。
「嘘……!」
そこは、戦場だった。もうもうと煙る土埃。馬に乗った兵士達が剣を交える音。銃を持った兵士や大砲が幾つも並び、互いを牽制し合っている。火矢は、どうやらその辺りから飛んできたらしい。
直接離宮に被害がないのが不思議なほど、辺りはひどい有り様だった。
森は焼け焦げ、城壁や城門は半ば崩れ落ち、本来なら美しい湖の望める景観地だったであろう離宮の周辺は、もはや荒れ地である。
無数の兵士達がせめぎあっているが、どうやら城を守る兵士側が優位らしい。
それでも傷ついた兵士達の姿は遠目にも生々しく、窓の向こうに広がる戦場の様子、その迫力とに、タカシはすっかり言葉を失っていた。
「軍隊長はどこ? 誰か、現状の報告ができる人間はいないの?」
「お姉様。ルーベなら外よ、外に出ているはず。すぐには戻って来れないわ」
背後の王女達の騒ぎをよそに、タカシの視界を赤い物がよぎる。
風を切ってこちらに向かうのは、敵方の放った新たな火矢だ。
風の抵抗を受けて、火矢は何とか窓の手前で落ちたが、それでも間近まで迫った炎の色と熱さとに、タカシはぞっと身を震わせた。
(このままじゃ、ここも危ない)
さっき、焼けたカーテンを払った手がじんじん痛む。
……いくら石で出来た城でも、これだけの数の火矢がきたのでは無事では済むまい。
そこまで考えると、タカシは自分でも驚くほどの判断力でもって、部屋の外に飛び出した。
「ちょっと、あなた、どうしたの!?」
王女の1人が驚いて声を上げたが、それを無視して辺りを見る。
部屋の外は左右対象の廊下になっていて、石牢のように薄暗いその廊下の両側には、いくつも部屋が並んでいた。一歩廊下に出てしまうと、自分のいた部屋がどこだったのかさえ分からなくなりそうだ。
だが、それでもタカシは駆け出していた。方角も現在位置も分からないのに宮殿内を走り回るなんて無茶苦茶だ、と考えるだけの理性は残っているのに、心の奥底からつきあげるような衝動が、タカシの足を動かしたのだ。
ひたすらに廊下を走り続けるうちに、やがて左手に幅の狭い小さな階段が見えた。
階上に続く長い階段……構わず、タカシはそこを駆け登り始める。
(とにかく高い所に出て、空に近付かなきゃいけない)
戦場でタカシに出来ることなんて、きっとほとんどないに決まっている。
それなのに何なのだろう。この、じっとしていられない、何かをしなければならないのだと言う高揚感は。
何故こんなにも、自分は突き動かされるように走っているのか……。
急な階段は途中で何度も折れ曲がり、駆け登るには少し辛いほど長く、高く続いていた。
それでも森の都の塔の階段に比べれば、全然マシだ。
荒い息を繰り返しながらもひといきに階段を登り切ったタカシは、ようやく見えた屋上への入口に飛び込んだ。
……石で出来た広い屋上には、大きく凸凹を描いた城壁がどこまでも続いていた。緊急の消火用のものか、壁の側には水のたっぷり入った鉄色の瓶が幾つも並んでいる。
(やった、水がある。これなら何とかなるかも知れない!)
空はやはり暗かったが、それでも王都で見たほどには汚れていない。恐らく夜伝の町が離れているので、被害も少ないのだろう。
平地にある離宮のてっぺんでは高さが全然足りないが、それでもタカシはついていた。
何故なら、霧のような雲が空を覆っていたからだ。
(層雲、それも波状雲になってる!)
灰白色の霧に似たこの雲は、地上すれすれから少なくとも上空二千メートル以内と言う、とても低い場所に現れる。
霧状だから引き寄せにくく固めにくいが、タカシのような半人前のムネリにとっては、格好の「練習雲」なのだ。それに波の形をした波状雲は、うねりの部分がひとかたまりになっていることが多く、やはり練りやすい。
城壁に駆け寄ると、タカシは真下を覗き込んだ。戦場の合間から火矢がひゅるひゅると音を立てて飛び交い、そのうちの幾本かは城壁の隙間に突き刺さっている。さすがにここまでは届かないが、それでものんびりはしていられないだろう。
タカシは水の入った壺を引き寄せると、城壁の上によじ登り、両手を大きく広げて前方に差し出した。
(落ち着け、俺。父さんが教えてくれた通りにすれば良いんだ)
雲を引き寄せるのに力は要らない。ただ、心の奥底にイメージするだけでいい。
引き寄せられる雲。冷たい、柔らかい、瑞々しい白い塊。
そのイメージこそが、雲を招く力を生み出すのだと、父は笑いながら教えてくれた。
……やがてタカシの手に、じわりと冷たい水蒸気が触れる。
それが両手に余るほど集まったと感じたら、次の作業は簡単だ。固めにくい霧状の雲を胸元に集めて、慎重に、根気良く丸めていく。
水蒸気の集まりは、タカシが練れば練るほど濃い塊となり、ようやく粘土細工のような『基の形』が出来上がった。
その時、タカシは霧練りに没頭していた。だから背後から誰かが叫んでいることにも、全く気付かなかったのだ。
「おい、君、何をしている。そこから降りるんだ、危ないぞ!」
声は何度かタカシに注意を促し、それでも城壁の上の姿が動かないと知ると、痺れを切らして強引に肩を掴んだ。
けれどタカシが身をよじった途端、ふわり、と霧練りの雲が揺れて、声の主がはっと息を呑む。
「君、それは、まさか」
「今すごく大切なところなんだ。邪魔しないで!」
雲はほど良いかたさになりつつあった。
慌てて城壁から滑り降りると、タカシは水の入った瓶の前に移動して、手にしていた雲をその表面に浮かばせる。
やがて水を吸った雲は薄くなり、ぎりぎりまで我慢してすくい上げると、濃度の薄くなった雲の残りが指の間からこぼれ落ちた。
運の良いことに、本来なら薄く灰色に染まっている筈の雲が、この作業を経て浄化された。
こぼれおちてゆく真っ白な雲……久しぶりに見る「まともな雲」を何とかかき集めると、タカシは再び、それらを練り始めた。
いつのまにか、タカシの背後には数人の男達が集まりつつあった。
だが彼らのいずれもが、タカシを無理に捕まえようとはせず、その手から生まれる奇跡のような白いかたまりを見守っている。
奇跡。
タカシの霧練りは、確かに、彼らの目にそう映ったのだ。何よりこの技術の意味するところを、男達は十分に理解していた。
やがて風に乗せられる位までしっかり雲状になった霧が、タカシの手を通ってそろそろと空に流れ始めた。
霧は雲へ。
雲は塊へ。
柔らかくまとまった雲の塊を引き伸ばし引き伸ばし流して行くと、それは巨大な雨雲になっていく。
時間を掛けて少しずつ空に広がった雨雲は、やがて数分もしないうちに、その身体から大粒の雨を落とし始めた。
「……これが、森の都に住むムネリの技……」
感嘆の声が耳に届いて、タカシはようやく我に返る。
振り返ると、そこには鎧を着た数人の兵士の姿。
「あっ、あの、俺っ」
焦って何か言おうとしたタカシに、1人の青年が歩み寄った。
タカシは知らなかったが、彼は最初にタカシに声をかけた人物で、さらに集まった兵士達の中でも、一番身分の高い人物だった。
「はじめて見せて貰った。今の技が、霧練りというのだね。君の機転には感謝するよ、この雨雲で戦況はいくらか好転した筈だ。
ところで、君、雨に濡れる前に一緒に中に入らないか。異存なければ、だが」
勿論、タカシに異存などある筈がなかった。
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