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「落ちてゆく夢の終わり」

壺毒の病G
*****

「どうして……」
「眠り病の治療法など、なかったのです、タカシ。お母様は意地悪で教えなかったのではないわ。最初から、眠り病を克服した人間などいなかったの。
 大陸に増え続けるこの病は、不治のものとして人々を脅かしていた。その頃のお父様はまだお優しくて、国民の絶望を緩和させる方法を、何とか見つけようと躍起になっていらしたのよ……今のお姿からはとても信じられないかも知れないけれど。
 我々には、皆に希望を与える義務があったのです。眠り病は決して不治の病ではない、と言う希望が」
 静かな、王女の声。けれどタカシは弱々しく首を振るしかない。
 そんな話は、とても信じられなかった。
「勿論、私達も希望を捨てた訳ではなく、妹の為にあらゆる手を尽くしました。けれど駄目だったの、ラシュは一度も目覚めずに今日まで」
「それじゃあナナは、妹はどうなるんだよ。俺、何の為にこの国に来たんだよっ!」
「貴方のように眠り病の治療法を知りたがった人間は、これまでにも大勢いたわ。けれど、その誰一人として真実を知ることなく城を去ったのです。これは外に洩れてはならない秘密だから……人々の中にある希望が消えてしまわぬように」
 しかし、希望は消えてしまった。タカシの希望は。
 知らないままでいたのなら、もしかしたら……と思えただろう。王や王妃が願った通り、大切な家族を絶望の眼差しで見つめることもなかった筈だ。もし、知らずにいたのなら。
 だけど。
 と、タカシは両手を拳にする。
(だけど、俺)
「お姉様!お姉様、ルーベが来たわ!」
 その時、辺りを包み込む思い沈黙を破るように、金の巻毛の王女が部屋に飛び込んで来た。
 その後ろから先程別れたばかりの年若い軍隊長の姿が続き、煤で汚れたその姿が、離宮の外の戦況を物語っていた。
「第一王女。抵抗していた最後の二領国が、王都制圧軍に降伏したとの報告が入りました」
「何ですって!」
 現れたルーベの顔色は青く、そうして、報告を聞いた王女達の顔色はそれよりももっと青くなった。
 しかし、それも無理はないだろう。
 何しろ今の報告が意味するのは、国王がこの無益な争いに勝利し、湖の国全土を支配下に置いた、と言うことなのだから。
「王都制圧軍は一時退却し、離宮への攻撃を取りやめました。恐らく新たに体制を整え、今度は森の都制圧に向かう心積もりでしょう」
「森の都!?」
 ルーベの口から飛び出した故郷の名に、タカシはぎょっとした。
 制圧。
 今、確かにそう言った。
 湖の国の軍隊が、森の都制圧の為に動き出すのだと。
 そんな話は嘘だ、と思う気持ちは、けれどすぐに消えていた。タカシは思い出していたのだ。以前に聞いた、夜伝のカナの話を。
『森の都さえも、いよいよ戦争に向けて動き始めている』
 あの話がとうとう現実になる……遠い場所でくすぶっていたはずの炎が、気付けば自分の周りを取り囲み、全てを焼き付くそうとしているのだ。
 タカシは知らず震えていた。
「お、俺……急いで森の都に帰らなきゃ。誰も進軍のことなんか知らない、想像もしてないんだ。だから……!」
「駄目よ! 今戻れば貴方は確実に巻き込まれてしまう。ここに残りなさい、軍が退却した今では、この離宮が一番安全なのですから」
「森の都には家族がいるんだ!ナナも、コーダのおじさんもおばさんも、リウも、ミッジも、みんないる! 危ないなら余計に戻らなきゃいけないんだよっ!」
 あいつ、一体どこに行っちゃったんだよ。
 そう思って、タカシは泣きたくなった。
 こんな時、あの子供ならきっと理解してくれたのに。この気持ちに同調して、一緒に森の都に戻って、不安がるタカシにおかしなことを言ったり呑気に構えたりして、気を紛らわせてくれるのに。
 一人なんだ。
 ぽっかり開いた穴を自分の心に見つけて、タカシは呻いた。
 一人。ここには俺、一人きりなんだ。
「……それでは、私が馬を出しましょう。この子供を連れて森の都に向かいます」
 その時、不意に頭をぐりぐりされて、タカシは顔を上げた。
ルーベだった。
 タカシを安心させる為に、煤で汚れたままの顔をほころばせながら、頷いてくれている。
「家族を思う彼の心をむげには出来ません。私はこの戦争で親兄弟を失いましたから、せめてこれ以上の犠牲は何とかして避けたい。そう思うのです。
 王女、どうか私を解任して下さい。私は森の都が制圧されるのを、黙って見てはおれません」
 王女は、今や倒れそうなほど白い顔をして、ルーベとタカシとを見比べていた。背後に控える他の王女達も、黙ったままじっと唇を噛みしめている。
 誰もがその重い沈黙を背負って震える中、やがて第一王女の深い溜息が、その空気を破った。
「分かりました。それでは行きなさい。森の都まで、どの馬よりも早く駆け続ける丈夫な駿馬を連れて……全てが失われる前に、貴方達は森の都に危機を知らせるのです」

*****

 ルーベは名ばかりの軍隊長ではなかった。
 馬の扱いもさることながら、途中で出会った敵の目をごまかし、時には戦闘も交えながらタカシを守って進んでいくその様子は、まさに姫君達の信頼を一心に負う『軍隊長』にふさわしい勇姿だったのだ。
 進軍が予想されたその日のうちに出発したお陰で、2人はおおむね順調に森を進むことが出来たと言って良い。
 一度だけ、森の入口で野営をしていた駐留軍に見つかってしまったのだが……その時だって、ルーベのお陰で何とか切り抜けたのだ。
 ルーベは敵からの護衛ばかりではなく、様々な面でタカシを助けてくれた。
 たとえば、生まれて初めての野宿。
 行きは荷馬車の中にいたお陰で気付かなかったが、夜の森での野宿を強いられるこの旅は、タカシを精神的に疲労させた。
 お陰で夜になるたびに、何度も進軍の音らしき幻聴を聞いては怯え、もう間に合わないかも知れない、そうなれば何もかもが終わりなのだと嘆くハメになった。このところ突拍子もないことばかり起こっていたから、きっとタカシは、普通の精神状態ではなかったのだと思う。
 けれどルーベはいつでも辛抱強く、進軍する為に必要な時間と、身軽な自分達の方が早く森の都にたどり着けるのだと言う話を、タカシのために繰り返してくれた。
 それは形こそ違えど、いつもそばにいてくれた子供が、タカシに与えてくれる安心感に少し似ていた。





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