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「落ちてゆく夢の終わり」

壺毒の病I
 ……黒い渦へと下って行くルーベの後ろ姿に、タカシは深呼吸して力こぶを作った。
 ルーベの言う通りだ。怖いのはタカシだけじゃない、今、森の都にいる人間全員が同じ立場にいるのだから。
 歩き出したタカシは、森の都の螺旋の道を進みながら、辺りの様子を目で探った。
 しばらくの間、人影は現れず、まるで無人の街のようになったその空気に震えていると、ようやく前方に家の玄関の掃除をしているおばさんが見えた。
 ほっとしてそちらに駆け寄り、ひとまずタカシは森の都の門が壊れていた事情を尋ねてみる。
「はあ? 門が壊れた理由? あんた、数日前から黒い渦の連中が上に来てるのを知らないのかい。あれはそいつらの仕業だよ」
「黒い渦の連中?」
「湖の国の戦争の火の粉が、こっちにまで飛んでくるって息巻いてる連中さ。どこから持ち出したのか、見たこともない武器片手に兵隊みたいな格好でうろつき回っているんだよ。都を挙げて武装すべきだって騒ぎながらね。
 勿論戦争なんて誰も信じちゃいないけどさ、警備兵だってあんな武器を突きつけられちゃ、何も言えなくなっちまうからねえ」
 森の都の警備兵制は、空のまちの有志を募って作られたものだ。屈強で勇敢な若者が揃ってはいるが、武器を持った人間が相手となれば、また話は別だろう。
 何故、黒い渦の連中は進軍のことを知っていたのか。
 武器を作るために以前から夜伝の協力を仰いでいたのは、今回の進軍を想定していたからなのか。
 しかし、遠い国での戦争が一段落したことを知り、すぐさま進軍の可能性を考えたと言うのは、あまりにも話が早すぎた。
 何しろ戦争に一段落がついたのは、つい3日ほど前のことなのだから。
 掃除途中のおばさんに礼を言うと、タカシは頂上の塔に向かって駆け出した。
 ルーベに今の話を伝えるべきか迷ったが、ここは与えられた役割を果たす方が先だろう。
 長い長い登り道の途中、久し振りに見た実家の前ですら足を止めずに、タカシは走り続けた。
 途中で知人とすれ違って声を掛けられた気もしたのだが、慌てていたから返事もできなかった……ここで黒い渦の“ごろつき連中”とかち合わなかったのは、運が良かったとしか言いようがない。
 しかし頂上にたどり着く頃には、さすがのタカシも体力の限界だった。
 それ以上走れず、思わず前のめりに草原に倒れ込んだタカシの上を、冷たい山頂の風が吹き抜けて行く。
 懐かしい、気持ちの良い風。森の都の風だ。
 綺麗な空を通過した風だ。深く吸い込めばすがすがしさに胸の中まで透き通るようで、タカシは思わず目を閉じ、灰色の空の色を思った。
 あそこでは風の匂いさえ濁っていた。
 戦争の気配ばかりが強かった。
 もしかしたら、汚れた風と空は、人の心さえも濁らせてしまうのかも知れないと思った。毒々しい空気。もう二度と戻りたくないと思う。
 じっとりと滲む汗が冷たくなる中、ようやく整ってきた息の下で、タカシは薄目を開けた。
 その先には、空が広がっているはずだった。雲を浮かべた、綺麗な青空が。
 だが。

『一体ここで、何をするつもりだ、ムネリの少年よ』

 ……タカシの目に映ったのは、ここに存在する筈のないものだった。
「………っ!」
 黒いマントがはためき、思わずタカシはしゃくりあげるような息をする。
タカシの目の前にいたのは、干乾びた胎児の顔だったのだ。
 魔術師……湖の国で出会い、不可思議な方法で子供と自分とに害を及ぼしたあの魔術師が、寝転がるタカシの真上、僅かな距離を置いたそのすぐ側に、ぽかんと浮かび上がっている。
「……嘘だ……どうしてここに……!」
『無駄な真似はやめておけ、既に結末は決まっているのだからな。一切の破壊、破滅。誰もお前の声などには、耳を傾けまいよ』
「う、うるさいっ」
 叫んで腕を振り回すと、魔術師は小さく笑んで消えてしまった。
 ばねのように半身を起こし、タカシは辺りを見渡した。
 そこには最初にタカシが見た、青く澄んだ空と白い雲、流れ行く草原の景色と塔とがあるばかりだ。
 ごくりと生唾を呑み込んで草を払うと、タカシは何とかその場に立ち上がり、その時になって初めて自分の足が震えていることに気付いた。
(俺の声には、誰も耳を傾けない……)
 頭の中で反響するのは魔術師の声。
 あれは弱い自分の心の声だと、そう思おうとするのに、焦りは少しも消えてくれない。
 疲れが見せた幻かも知れないのに……そんなものにいちいち動じる自分がたまらなく嫌だ。
(これじゃ、俺、最初に湖の国に連れて行かれた時と同じじゃないか)
 息も整わないまま、タカシは小屋と塔のある草原の真ん中に向かって歩き出した。
 足が重く、歩みは鈍い。それが疲れている為ばかりではないことは自覚できたが、立ち止まることはできなかった。
 立ち止まるということは、わずかにでも残った希望が、完全に絶たれてしまうことだから。
(だけど……もし塔に行っても、やっぱり、俺にできることなんて)
「タカシ? おまえ、タカシ、タカシじゃないか!」
 突然の声に、びっくりして顔を上げた途端、タカシは思いきり顔をはたかれて躓きそうになった。
 よろめいて誰かの手に支えられたタカシは、その時になってようやく、目の前にいる友人の顔を正面から見る。
「リウ!」
「リウ、じゃないだろう、この馬鹿!お前は、この僕がどれだけ心配したと思っているんだ!?」
 リウだった。
 茶色の髪と水色の瞳、光る眼鏡の向こうで怒っている顔。
 もう二度と会えないと思っていた姿が、目の前にある。
 懐かしい喧嘩友達の登場に、タカシの緊張は急にゆるんでしまった。思わずその場にへたり込みそうになるのを、けれど興奮気味のリウは許してくれない。
「お前が消えたあの日、僕はコーダ夫妻の家まで行ったんだぞ、ロウジの名を思い出して。だけどその時にはもうお前は行方不明で、警備兵に頼んでもどうにもならなかった」
「そうなんだ! 俺、大変なことになっちゃってて……いや、俺じゃなくて森の都がっ!」
 タカシは懸命にこれまでのいきさつを説明した。
 真面目に話を聞いていたリウの表情は次第にこわばり、最後には青くなる。
「……下の連中が“戦争だ”と騒いでたのも、あながち嘘じゃなかったんだな」
「ああ。何で戦争のことを知っていたのかは謎なんだけど」
 どうしようもないな、とリウが呟いたので、タカシはしみじみと頷いた。けれどすぐにぽかっと頭を殴られる。
「いてっ!」
「馬鹿っ、どうしようもないって言うのはお前のことだ! あんな連中に引っ掛かって……おまけにムネリさんまで巻き込んで!」
 その通りなので反論の言葉もなく俯くと、リウは溜息をついて表情を改め、眼前にそびえたつ塔を指差した。
「あそこに登るつもりでここまで来たんだろう、タカシ。それなら僕も行こう。行って、手伝いを」
「手伝ってどうなるんだ、何の力もない子供が二人で」
 リウが真剣な眼差しで言いかけた時、鞭のような声が草原に響きわたった。
 驚いたタカシとリウがそちらを見ると、草原のはしに、ひとかたまりの青年達の姿がある。
 黒ずくめの服を来て、武器を手にした集団……何よりその先頭に立つ二人の青年の姿に、タカシは目を奪われた。
 ロウジと、シンが、そこにいたのだった。
「あいつら……」
「黒い渦の武装集団だ。最近、塔とウチとを見張り台にするんだってしつこかったんだが」
「内緒話は聞こえないように話せよ。おう、タカシ、久し振りだな」
 リウとタカシが顔を突き合わせている間に、武装集団はずんずんとこちらに近づいてくる。
 やがて長身のロウジが脅すようにタカシの前に立つと、その皮肉げに歪んだ唇から、低い、からかうような声を出した。
「まったく、おまえは思ったより優秀だな。土産話まで持って帰ってくれたんだから……有難うよ。タカシ」
「何だよお前達、その格好。武器なんか持って」
「護身の為さ。夜伝の女が、森の都もいつか必ず戦争に巻き込まれるって話してたんだが、案外本当だったみたいだな。この騒ぎのお陰で慌てて増産した武器が、今じゃほとんど売り切れだ」
「まさか、制圧軍と戦うつもりじゃないよな!? そんなことしても無駄だって分かってるだろ?」
「奴らがここに来れば、戦う。俺達はお前らみたいな意気地なしじゃない」
「へえ、驚いた。無茶な戦いを挑むことが勇敢であることの証なのか。分かりやすいな」
 リウがまぜっ返すと、後ろにいたシンが、青の瞳を暗く輝かせた。
「この状況で、戦う以外に何がある。まさか、そいつが塔に登ってどうにかなるとでも思っているのか?」
「……タカシ。お前、一人で行け」
 素早く耳打ちされて、タカシはえ、と呟いた。
「リウ、なに……」
「こいつらは僕が引き留めておく。だからその間に、塔に登れと言ったんだ。迷っている場合か?」
 すっとリウの身体がタカシを庇うように動く。わずかに躊躇して、タカシは目の前にそびえるものを再び見上げた。
 森の都の頂上の、風になびく草原の中に建つ塔。
 その先端は雲の合間に消え、どこまでも果てしなく続いているように見える。
 練った雲も強い風ですぐに消えてしまう高い塔、熟練したムネリだけが利用したと言うあの場所で、これまでにタカシの霧練りが成功したことなんて一度もなかった。
 それなのに、何故自分は、塔に登って霧練りをしようなんて考えたのか。緊急事態だから成功するなんて、そんな簡単なものじゃないことくらい、分かっていたはずなのに……それなのに、タカシは塔に向かってまっすぐ走ってきた。
 塔に登って、自分の練った雲で、森の都の人間に危険を知らせるつもりだったのだ。
 ……こんな場所で霧練りなんか出来っこないのに。
 湖の国とは違う、澄んだ青空と雲とが目に痛かった。霧練りなどより都の人間一人一人に知らせて回った方が確実だったんじゃないだろうか。
(俺の霧練りは……)
「もう、どう仕様もないんだよ!」
 その時、吐き捨てるように叫んだロウジの声に、タカシははっとした。
「戦うしかないんだ。違うか!?どうせ戦争になるなら、やられる前にやっつけてやる。大人しくやられてたまるかよ!」
(違う)
 そうじゃない。そんなことじゃないはずだ。
 けれどタカシの声は喉の奥にへばりつき、代わりにリウが、塔に向かってタカシを突き飛ばした。
「いいから、行け! 間に合わなくなるぞっ」
「待て! 今更塔に登って何をするつもりだ、この恥さらし!」
 タカシは走った。後ろも見ず、ただ闇雲に走った。
 今まで梯子なしでは上れなかった隠し窓まで、何度もずり落ちながらよじ登ると、煉瓦を外して塔の螺旋階段に転がり込んだ。
 悔し涙が幾筋も、その頬を伝って流れた。






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