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「落ちてゆく夢の終わり」

<終>
 草原の中に子供が立っていた。
 吹き抜ける風は優しく、子供の髪をさらさらと流している。
 ふと気付いたようにこちらを振り返ったその顔は、けれどもう、子供のものではなかった。
 幼さを払ったその顔には、大人びた微笑が浮かんでいる。
 声を掛けようとして、世界が溶けた。
 何かに押し出されるようにして、タカシは跳ね起きる。
 蓋の開いたカプセルの外は、けれど既に草原ではない。タカシ同様カプセルから身を起こした人々が、長い眠りの為にくたびれ切った身体をのばして、歓声を上げている……何度も夢に見たあの場所、機械に埋め尽くされた部屋だった。
 タカシは辺りを見渡した。
 今、自分が見たものは何だったのだろう。
 夢? 
 けれどタカシは確かに感じたのだ。
 子供から漂うあの空気、霧練りを諦め掛けていた自分に微笑んだ時の、優しい空気を。
 すぐ隣に眠っていたナナが、嬉しそうにカプセルを乗り越えて自分に飛びついてきた。
 ムネリさんは? 
 と尋ねる声に、タカシはゆっくり首を振る。
 それから二人で周りを見渡したものの、結局子供の姿はどこにも見当たらなかった。
 勿論、いる筈がなかったのだ。
 ようやくにして、タカシはそれを悟る。
 監視者が話していたではないか、異質な存在がタカシの側にあるのだと。
 マスターの作り出した架空世界に現れた、ヒトではない意識の象徴。
 それが子供の正体だった。

『ぼく、みんなをむかえにきたんだよ』

 ここにいないはずの子供の声が、タカシの耳にこだまする。
 そうしてタカシは、脳裏で鮮やかに笑う子供と、その背後に広がる草原とを再び見た。
 太陽の光を受けて蜜色の輝きを放つ草原のもと、青空は限りなく広がり、その真ん中に立つ子供がこちらに向かって大きく両手を振っている。

『だってね。もういちど、みんなにあいたかったんだ』

「タカシさん。どうかなさったんですか?」
 不意に呼ばれて、タカシは顔を上げた。周りで起こる再会の喜びと歓声の中、空になったカプセルの間にちょこんと猫が立っている。
 ロボット達と握手し、自己紹介をする人間達。
 両親と抱き合っているナナ。
 不思議そうに辺りをきょろきょろしているコーダ夫妻。
 元気になった父親を前に目を白黒させているミッジ。
 数え切れない程の『奇跡』が起こしたざわめきに包まれ、猫はおっとりと笑っていた。
「ぼんやりなさってますね、タカシさん。貴方が緑のパネルを……奇跡を、作ったんですよ。実感が湧きませんか?」
「違うよ。俺が作ったんじゃない」
 タカシはすぐにそう答えた。
 そう、自分一人の力ではなかったのだ。子供がいてくれたから……いつでも人間を見守ってくれていた、優しい存在があったから。

(俺達に出来るかな。一度は壊してしまった世界を、今度こそ大切に、生きていくことが出来るかな)

(うん、かならず)

 答える声が聞こえた気がして、タカシは周りを見る。
 みんなが、みんながそこにいた。
 これは終わりではなく、始まりなのだ。
「現実世界では、霧練りは出来ないけど、」
 タカシはようやく笑った。心から。
「でもきっと、もっと沢山のことが出来るよな。もっと……凄いことが」


*****


 優しい風が吹いて、草原を揺らしていく。
 大地に緑が甦ってから、既に数百年の時が流れようとしていた。
 そうしてただ一つ欠けていたものが、今、ようやく地球に戻ってきたのだ。
 カプセルから解放され、笑いながら草原を駆けて行く人間達の姿に、子供と呼ばれた存在はまばゆいばかりの微笑みを浮かべた。
 太陽は強く、若々しく、世界を照らしている。
 時間はたっぷりと残されており、全ては始まったばかりだった。
 やがて『子供』は目を閉じ、安らかな息をつく。吐息は世界を包み、一陣の風となって人々の頬を撫ぜた。




『地球』の優しい微笑みに包まれて、人間達はかけがえのない一歩を踏み出し始める……そうして、尽きることのない長い長い物語は、ここから始まって行くのだ。

【おしまいではなく、始まりのおわり】







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