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「落ちてゆく夢の終わり」

霧練りの少年G
 久し振りに会う彼は、何故だかひどく不機嫌そう。
 けれどタカシの背後に隠れている子供には表情を和らげて、
「珍しいな。連れがいるなんて」
「まあな。……おい、こいつはリウって言って俺の知り合いなんだ。あの塔に登るには、こいつの家で梯子を借りる必要があるからな。とりあえず挨拶しとけよ」
「どうぞ、よろしくおねがいします」
 いつもの「ぼんやりのほほんさ」からは想像できない丁寧な挨拶をして、子供はにっこり微笑んだ。
 驚くほど無邪気な子供の微笑みに、リウも慌てて返事をする。
「初めまして、リウ・ホミネです。タカシがこの場所に誰かを連れて来るなんて初めてなので、驚きました」
「……リウ。えらい態度の違いだぞ」
 呆れ半分で言った途端、タカシはリウに腕を引っ張られてよろめいた。
「な、何だよっ」
「タカシ。この子は男なのかそれとも女か。はたまた湖の国でしばしば見られると言う噂の両性具有者か?」
「りょーせーぐゆー? 何だ、それ」
「男でも女でもない人間と言うことだ。とても美しい容姿をしていると聞いたことがある」
「なに顔赤くしてんだよお前」
 そんなことよりこれ、と、タカシは邪魔くさそうに手に持っていた土産の包みを突きつける。
 リウはうわのそらで受け取ると、すぐに我に返って、おばさんにお礼を、と呟いた。
 ぼんやりしているようでも、こう言う挨拶だけは忘れないのである。
 その後もリウはやつぎばやに子供のことを尋ねてきたが、これにはタカシもひどく閉口した。
 リウには、コーダ夫妻の時のような適当な嘘が使えないからだ。


 リウは自称「森の都の人間なら全員見分けが付く」と話すくらい記憶力が良くて、おまけに都で一番の物知りなのである。
 性格はともかく、同年代の子とは違う大人びた(それはロウジの持つ感じとは全く違う)雰囲気を持つ彼を、実際にはタカシも認めてはいたし、だから昔からリウにだけは嘘がつけなかった。
「それにしても、最近姿を見ないと思ったら、ちゃっかりこんな可愛い彼女を作っていたとはね」
「……は?」
 だが、そんなリウにも勘違いはあるらしい。
 友人の言葉の意味を理解しかねて、タカシは思わず間の抜けた声を上げた。
「なに言ってんだ、おまえ」
「なにって、決まっているじゃないか。タカシがこの塔に誰かを連れて来るなんて、本当に特別なことだろう? ここだと誰にも知られずに雲が練れるし」
「待てよ、誤解だって。こいつは彼女なんかじゃない。 男なんだから、オトコ!」
「男?」
「……多分」
 最初に聞きそびれてからずっと、子供の性別は不明なままだ。
 体格に差の出る年じゃないから、寝巻に着替える時も分からなかったし。
 タカシの曖昧な態度に、リウの表情が途端に曇った。
「へえ。じゃあタカシは、この子の性別もはっきり知らないのか。それって変じゃないか?」
「あ……いや、そんな訳じゃないんだけど……」
 しまった。とタカシは青くなった。
 リウには絶対に事情を話せないのだ。
 だって彼の性格からして、人身売買なんて絶対に許さないだろうし、もともとロウジはリウが一番嫌うタイプの人間だ。
 その彼とつるんでいると分かれば、きっとリウはかんかんになって説教モードに入ってしまう。
 リウはしばらく不審そうな顔でタカシを眺めていたものの、すぐに何か思いついたらしく、今度はタカシがびっくりするほど優しい声で、子供に話しかけた。
「ねえ、僕はまだ、君の名前も知らないんだ。出来れば出身地とあわせて教えて貰えないかな」
「しゅっしんち? きたのはあっちから。なまえはムネリ」
 例の如く子供は堂々と海を指差し、更に「それだけはやめておけ」とあれ程注意した名前を口にした。
 もう駄目だぁ、とタカシはその場に崩折れそうになる。
「……君、ムネリって言う名前なのか?」
「待てよリウ。こいつはさ、ほら、ミッジの知り合いなんだ。湖の国から来たらしいんだけど、事情があって二三日預かって欲しいって言われて……ほら、あいつん家おじさんの病気のことで大変だろ? でもおかしいなぁ、お前、聞いてなかったんだ。急な話だったから、それでかな」
「タカシ」
 リウの声は、いやに低く響いた。
「お前、最近ずっと黒い渦に出入りしているそうじゃないか。下の連中とつるむのは勝手だが、周りの人間の程度が低いからって、自分の程度を下げる理由にはならないんだぞ」
「何だよそれ」
 全部見透かしているようなリウの空色の瞳は、タカシの胸をひどくざわめかせた。
 怖い、と思うのは、多分自分に負い目があるからなのだ。
 そう思いながらも咄嗟に視線を避けてしまったタカシは、場の空気をごまかす為に、慌てて声を張り上げる。
「あ、あのさぁ、そんなことより梯子貸してくれよ。こいつに霧練りを見せてやるって約束なんだ」
「…………」
「た……頼む、よ。ほら、こいつ、ずっと待たせておくのも可哀想、だし……」
「…………」
 しばしの沈黙の後。
 やがてリウは深々と溜め息をつくと、諦めたように頷いた。
「分かった。僕が梯子を取って来るから、お前はあの子とここにいてくれ」
「え? なんで? 俺が行くのに」
「いや……もしあの子が湖の国の人間なら、今、ウチに来るのはまずいんだ」
「どうして」
「どうしてでも」
 リウらしくない、不自然な言葉。
 タカシがぽかんとしていると、その間にもリウはさっさと家に向かって走り出してしまう。
 残されたタカシと子供は、2人並んで、草原の中の脇にある2階建ての家を見つめた。
 森の都の頂上にあるこの塔は、数ある霧練りの塔の中でも、最も大きくて最も高い特別な場所だ。
 だからこそ、この塔には唯一の見張り番がついていた。
 ホミネ一家は、そうして代々この塔を守り続けてきた、最後の「見張り番」なのである。
 見張り番と霧練りとは、昔から切っても切れない関係にあって、だからタカシの一家とリウの一家の付き合いは随分と古い。
 タカシとナナはリウと兄弟のようにして育ち、両親が亡くなった後でも、ホミネ夫妻はタカシをうんと可愛がってくれた。
 タカシが今でも封鎖された筈の塔に入れるのは、ホミネ夫妻が融通してくれるからなのだ。
 ……両親が亡くなった日も、タカシはこの塔の頂上で、夜の冷気に震えながら星を眺めていた。
 そうして夜明け近くに階段を降りて行くと、地上ではリウの父親が静かにタカシを待っていてくれたのだった。
 彼はすぐさまタカシの身体に毛布をかけると、隣にある家に招き入れ、そこで待っていたホミネ夫人が何も言わずに暖かい飲み物を出してくれた。
 あの時。冷え切った身体と心に染み入るようなお茶の味を、タカシは今でも覚えている。
 湯気に目がしばしばして、ずうっと我慢していた涙が自然にこぼれた時も、二人は静かに側にいてくれたのだ。
 一晩中、眠りもせずに。
 ホミネ夫妻は確かにムネリではなかったけれど、コーダ夫妻同様その仕事を愛し、森の都の住人であることを誇りにしている人達である。
 しかし、だからと言って湖の国の人間を嫌う素振りを、今までに見せたことがあったろうか?
(何かあったのかな、ホミネさん家)
 タカシはじっとホミネ一家の家を見つめる。
 不意に生まれた不安が、いつまでも胸の奥でくすぶり続けていた。






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