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「鎮魂の社」
- <序>
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- 遠くで雷が鳴っている。
暗くなった空の色に、僕は時計を見下ながら駆け足になった。
時刻は午後五時二十七分。向かう先には長い階段と、その上から見下ろす赤い鳥居がある。
空が暗いのはさっきから鳴っている雷のせいだし、今朝の天気予報からして、あと数十分もしないうちに雨が降り出す筈だ。
空気も冷たくなってるし、今日は出来れば早いうちに家に帰りたいと思う。
だけど幼なじみの志沢隆史が寄り道して家に戻ってくるのは午後六時ジャスト、アイツ、妙なところできっちりしてるから、絶対に遅刻しない代わりに早めに来ることもないんだよな。
両側を茂みに囲まれた階段を登り切ると、鳥居の向こうに古い神社が見えた。
その本殿を前に参道の脇道に入ると、奥に『志沢』の表札の付いた建物が現れる……一般家庭からするとかなり大きい、日本家屋だ。
ブザーを鳴らそうとして、僕は躊躇う。
どうしてかは分からないけど、背筋がぞくっとするような嫌な感じがしたからだ。
普通なら無視するんだけど、僕の場合はこれが出来ない。何しろ僕には妙な癖があって……。
ざわ、と周囲の木々がざわめいた気がした。
風が強い。空には雨雲が広がり、いつ降り出してもおかしくないように見えた。
結局何もせずに道を引き返したのは、嫌な感じが、志沢の家から漂っている気がしたからだった。
僕は後ろも見ずにさっさと本殿に戻ると、鳥居のそばで隆史を待つことにする。
……だけど。
ひときわ強い風が吹いて、誰かの手が僕の背中をとん、と押した。一瞬、足が地面から離れるくらい強い風だった。
バランスを崩して、僕は階段から転がり落ちる。そして最後に見えたのは……赤い鳥居の上に止まった鴉の群と、それよりも黒い、小さな……、
「何だ?」
「だから、その先は思い出せないんだよ。朝起きてからずーっと考えてるんだけどさ、時間がたって忘れたって言うより、起きた瞬間から覚えてなかったって感じで」
静かな声に促されて、僕はゆっくりと目を開いた。
ここは都心部から少し離れた水縄神社の一角、神社の管理主・代々宮司を勤める志沢家の一室。
学校帰りにここに通い、幼なじみでもある志沢隆史の部屋に通して貰うのは、物心ついてからの僕の日課になっていた。
僕が特殊な能力を持つことが分かってから……つまりは僕が、両親に連れられて水縄神社を訪れた二歳の頃から、すでに十四年が過ぎしようとしていた。
お陰で志沢家とは家族同然の付き合いだし、水縄神社との縁も相当深い。
四年前におじさん、じゃない隆史のお父さんが亡くなってからもそれは変わらなくて、だからこそ今もこうして、隆史の部屋に居る訳なんだけど。
「お前の記憶力は本当にアテにならないな、詠。せめてその『黒くて小さいもの』が何なのか、少しでも役に立つ説明は出来ないのか?」
「……悪かったね、役に立たなくて」
当たってるだけに腹が立つんだよな、くそっ。
この、僕の目の前で正座をしながら嫌味ったらしい台詞を吐いているのは志沢隆史。
一見とてもそうは思えないけど、その実、僕の幼なじみ兼同級生でもある(つまりは僕と同じ歳の)神道・志沢家の跡取り息子だ。
お互い学校帰りだから制服姿のままなんだけど、きちっと正座したその姿は背筋がのびてすっきりしている。
同性の僕から見ても文句のつけようがない整った横顔、大人びた仕種。
凛としたそれらの要素すべてが、志沢家の古風なお家柄が積み上げてきた徹底的な精神修行や躾のたまものなんだと思うと、僕はつくづく一般家庭に生まれて良かったなあと思わずにはおれない(ごめん、隆史)。
「とにかく、だ」
吐き捨てるように言って、隆史は僕を睨んだ。
「単にうちの神社の階段から落ちる夢を見たと言われても困る。受験は去年で終わったし、今から落第の心配って訳でもなさそうだしな」
「お前、真剣に聞いてくれてる?」
僕がむくれて言うと、隆史はあくまで生真面目な表情で「冗談だ」と呟いた。
「とにかく、ウチの境内から落ちる、と言うのが暗示的だな。しばらくは注意して登り降りしろ」
「あのさ、もっと他にないの? 何かを暗示してるとか、危険が迫ってるとか」
「悪い夢ならそう言ってる。つまり、今回は単なる悪夢だったってことだよ。安心しろ」
相変わらずの仏頂面で言った隆史に、僕は不安半分のまま溜息をついた。
「……正夢だったら化けて出てやるからな〜」
顔だけ見てると真面目だけど、受け答えがどうも不真面目な親友にぼそっと言うと、隆史は嫌味ったらしく笑ってこう言った。
「安心しろ。その時は迷わず黄泉の国に送ってやるよ」
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