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「鎮魂の社」

<9>
  四限目の授業が終わると、鬱々と机にはりついていた生徒達が一斉に騒ぎ始める。
 水を得た魚って言うのは、多分こう言うことを言うんだろうなあ……ジャンケンに負けて仲間の分までパンを買いに走る者、早速弁当を広げる者、早弁のお陰で手持ちぶさたになり、友達の弁当を狙う者、中には漫画雑誌を広げてげらげら笑ってる奴までいる。
 そうした連中を横目で眺めながら、僕は年寄り臭く背を丸めて溜息をついた。
 こうしてると、世の中って本当に平和なんだよなあ。何か身体中から力が抜けてく気がする……。
「くぅおらあ詠っ。メシだぞメシっ、ぼーっとしてると時間なくなっちまうぞおっ」
 更に、がたがたと机をずらしながら移動する大乃木に言われて、僕はますます脱力してしまった。
「大乃木って元気だよなあ、いっつもさ」
「当たり前だっ。もーちょっと頑張ったら夏休みだろーがよ、ここでへこたれててどうする!? ってお前、朝から変だったけどさ、今日は」
 握り拳になった大乃木の姿に、僕は相変わらずぐてっとしたまま視線を泳がせた。
 うん、確かに今日は、自分でもどんな半日を過ごしてきたのか記憶がない。
「そう言えば惰性で動いてた気もするなー」
「惰性ってお前……二限目に赤沢がキレかけてたぞ。あいつを正面から無視出来るやつぁ、そうはいないな」
 物理の赤沢と言えば、男とは思えない高音・金切り声のヒステリーを起こす迷惑教師だ。
 そうか、完全に忘れてたけど、言われてみれば確かにそんなこともあったような気がする。
「それで、どうしたんだよ。ここしばらく平穏無事に過ごしてるって聞いてたけど、いよいよ起こったか? 超常現象」
「違うよ。昨日、色々あってさ」
 大乃木の期待の込もった視線にひらひら手を振ると、僕はようやく身体を起こして教科書を片付け始めた。
 霊感のない人間の呑気さとでも言うべきか、どうも大乃木は時々、僕の霊体験話を楽しみにしている節がある。
 そうでなくとも夏は怪談シーズンだから、自然そっち系の話の需要も高まってきて、逆に「最近は何もない」なんて言うとがっかりされちゃうんだよな。
 別に霊現象で困ってる訳じゃないけど、と断ると、案の定、大乃木はつまらなさそうな顔で隣の席に腰を降ろした。
「じゃあ何だよ。お前、今回の期末は追試組じゃなかったよな? かと言って誰かに絡まれたってこともなさそうだし……あ、さてはお前っ」
 一人で納得すると、大乃木は不憫そうな眼差しで僕の頭をなでなでした。
「そうか。高石さんのことだな。お前が彼女になみなみならぬ好意を抱いていたことは知っていたが、しかし敵は親友の志沢隆史っ。友情を差し引いても、勉強もスポーツも顔も全部負けてるって現実が待ってる訳だからな、考えれば考えるほど落ち込むってのも無理はない」
「お前、喧嘩売ってんの?」
 時代がかった調子で言われて、僕は思わず顔をひきつらせた。
 こいつの台詞、何か生々しい上に腹立つぞっ。
 そりゃまあ確かに、高石さんのことでは色々落ち込んださ。
 だけど隆史と彼女が付き合い始めてもう大分たつのに、今更うじうじ思い悩んだりする筈がない。
 僕が鬱々している本当の原因。それは言うまでもなく、昨日の放課後に会った桐塚と言う謎の男だった。
 あいつが言った台詞……隆史が偽物だとか、危険だとか、距離を置けとか。
 そう言うバカバカしい言葉の数々がどうしても引っかかって、結局昨日は隆史の家に寄らずに帰ってしまっていたんだ。
 家についてから電話だけは入れといたけど、隆史、絶対におかしいって思っただろうな。
 生玉事件が起こってからは特に、僕が志沢家に寄らずに帰った日なんて一日もなかったし、ただでさえビビっていた僕は、何かあるごとに「こんなことがあったんだけど、僕、大丈夫だよね!?」なんて隆史に泣きついてたんだから。
 だけど、昨日だけはどうしても隆史と顔を合わせたくなかった。どうしてかは分からないけど。
 ああもう、何がショックって、あんな男の台詞にいちいち動揺している自分が嫌だ。
 だって普通、あんな話をマトモに聞く人間なんている筈がない。もともと妙な現象には慣れてるつもりだけど、だからって隆史が隆史じゃないなんて冗談みたいな話をあっさり受け入れるなんてさ、情けない。
 何で僕は、桐塚の言葉をはっきり否定出来ないんだろう。
 あの、妙な気迫に圧されて反論出来なかったから?
 あいつが、隆史の家や僕のことなんかを詳しく知っていたからか。
 いいや、違う。僕は、僕自身の中に不信感を抱いてる。記憶の中に埋もれた昔の隆史の姿。それを掘り起こすたびに、胸の奥にある不安が増して、考えれば考えるほど怪しいって思えてしまう。昔と今とを比べながら。
 あ、そう言えば。
「大乃木、小学校時代の隆史のことって覚えてる?」
 隆史も僕も大乃木も、同じ校区に住んでるもんだから、小学校からここまでずーっと腐れ縁が続いてるんだよな。
 とすればこいつにだって、隆史の小学校時代の記憶がある筈だ。
 だけど大乃木は焼きそばパンをかじりながら首を傾げると、
「そんなに親しくなかったからなあ。顔とかは覚えてるけど、細かいことはさっぱり」
「まあ、そんなもんか。普通は」
「俺よりお前の方がよっぽど詳しいんじゃないのか? 何たって一緒に暮らしてた時代もあったんだしさ、お前に分からないことが俺に分かる筈がない」
「……そうなんだけど」
 そう、思うんだけど。
 隆史はいつからあんなふうになったんだろうって考えても、どうしても何かが引っかかって思い出せないんだ。
「おいおい、まさか志沢と喧嘩でもしたか?」
「別にそんなんじゃないよ。覚えてないならいいんだ」
 正面に向き直る。
 弁当食わないのか、って言われたけど、今日は日差しが強くて屋上に行くのも面倒だし、何より食欲がない。
 こうやってぼーっとしてる方が、今の僕には栄養になる気がした。
 あれから全然起こらない霊現象。
 急に現れた謎の男・桐塚。
 そうして、未だに見つからない志沢家の神宝・生玉……。
 問題は山積みになっていて、おまけに隆史に相談するのも悪い気がして(疑ってるって思われるのも嫌だし、絶対に話せない)僕の頭はパンク寸前になっていた。隆史、あれから生玉の有力情報集められたのかな。どうせならこんな事件、さっさと解決しちゃえばいいんのに。
「お、隆史」
 ……なんてことを考えてるうちに肩を引かれて、僕はだるそうに顔を上げた。
 大乃木が顎で教室の入口に立つ隆史の姿を示している。
 咄嗟に立ち上がると、隆史が「こっちに来い」って合図してきた。
「昨日、誰かに会ったか?」
 そうして、一年教室の外れまで移動すると、隆史は切り込むようにそう言った。
 視線がやけに鋭い。
「な、何で?」
「お前の様子がおかしいからだよ。言った筈だな、妙な連中の言葉に耳を貸すなって」
「……生玉の行方は、まだ分からないの?」
 咄嗟に話をごまかすと、隆史は眉根を寄せたものの、一応は答えてくれた。
「残念ながら、まだだ。あれがないお陰で十種の神宝の結界が緩んでいるから、生玉探しと並行して、そっちも注意してなきゃいけないんだよな」
 要は「大変なんだよ」と言いたいらしい。
 見れば確かに、隆史の顔はいつもより疲れているようだった。
「生玉探しの間は、誰かに任せられないの? その、結界の方」
「任せられる相手がいない。俺の他にはな」
「結界が緩むと、具体的にどうなるわけ?」
 付け足して尋ねると、隆史がようやく顔を上げて僕を見た。
「そう言えば、まだ言ってなかったな。うちはもともと十種の神宝を奉った社家だから、十種揃ってひとつの御神体と考える。その御神体が欠けたんだから、水縄神社は神の宿る御霊代を失ったことになるんだ」
 仏教の、いわゆるお寺とは違って、神社(神道)にはそれぞれ神様が宿る為の御神体が存在する。
 つまり、仏像を置いているのと同じように、神様が降臨する為の何か(岩とか木とか、何でもいい)を奉ってるのが普通なんだ。
 唯一絶対の釈迦の像(仏像)を置いているお寺と、神様が直接みんなの前に現れる為の媒介を置く神社とじゃ、意味が全然違ってるらしいんだけど(この辺りはおじさんの受け売り)。
 だから、御神体が消えた神社には神様が降りてこられなくなって、神社の意味そのものがなくなってしまう。祈りをささげても神様がいないんじゃ、仕様がない。
「おまけに、中途半端に他の十種の神宝が残っているから、妙な連中が水縄神社の近辺に引き寄せられている。穢れとして反発するから直接神宝には触れられないものの、お陰でうちの神社の付近は、ドーナツ状の霊地になってるって訳だ」
「た、台風の目か」
 そりゃ凄い……。
「お前の体質を考えると、残った神宝のそばにいるのが一番安全なんだけどな……こればっかりは強要できない。せめてお祓いくらいさせろって言うのに、昨日はサボるし」
「ご、ご免。でも今のところ実害はないよ」
「それは良かった」
 冷ややかに言って、隆史はもう一度僕を正面から見つめた。
「それで? 昨日、誰と会った」
「だ、誰とって、誰にも会ってないよ。その確信に満ちた言い方って何なんだよ?」
「お前と二十代後半位の男とが、並んで喫茶店に入って行ったのを見た奴がいる」
 うっ。もうバレてる。
「そこまで知ってるなら聞くなよ。引っかけなんて卑怯だぞっ」
「別に、プライベートにまで首を突っ込むつもりはないが……」
 言いかけて、隆史は口をつぐんだ。
 そのまま何か考え込むような表情になると、
「まあ、いい。今日は絶対にうちに来いよ」
 呟いて、そのまま自分のクラスに戻って行ってしまった。
 隆史を待っていたらしい高石さんが、弁当片手に慌てて追い掛けて行くのが見えたけど……そうか、一緒に弁当食べるのか。ちょっと羨ましいぞ、隆史……。
「おっ、もういいのか? 志沢の用事」
 むくれながら教室に戻ると、既に三個目のパンにかじりついていた大乃木が、片手を上げながらそう言った。僕が無言で頷くと、
「そう言やさあ、さっき思い出したんだけど」
「え?」
「お前、小学校時代の志沢のこと、何か覚えてないかって言ってただろ? あれ、ひとつだけあったんだよ。確か四年の時かなあ、ジャングルジムで横田が怪我しただろ」
 横田。
 考えてから思い出した。学年に必ず一人はいる、ガキ大将みたいな奴。そいつが横田だった。
 そう言えば良く苛められたんだよなあ、僕も隆史も。
「あの時、俺も近くで見てたんだけどさ。横田がジャングルジムから落ちたのって、お前と志沢をいじめた後だったんだよな。漫画とお菓子取り上げられて、おまけに詠が突き飛ばされて怪我して……それ庇った志沢が横田に蹴飛ばされた、すぐ後」
「怪我したの!?」
 全然覚えてない。
 そんなこと、あったっけ!?
「別に横田が暴れるのなんて珍しくなかったんだけどさ、あれだけは妙に覚えてたよ。横田が怪我した時、志沢がざまーみろって感じで笑ってたんだよな。俺、あれ見て、こいつは怒らせるとヤバイって思うようになった」
 言って、大乃木はパックの牛乳をじゅるると吸い込んだ。
 怪我した友達を笑ってた、か。
 多分、偶然だとは思うけど……大乃木。お前って嫌なタイミングで変な話を持ってくるよな。
 そんなことを考えながら、僕はぼんやりと窓の外に視線を移した。






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