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「鎮魂の社」

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  その日、もやもやする気持ちを抱えたまま、僕は水縄神社を訪れた。
 昼間は追及されずに済んだけど、桐塚さんのこと、隆史に説明すべきかどうか迷ってたんだ。
 昨日の今日だからって寄り道もせずに急いで行って……それなのにっ! 隆史の奴、まだ学校から戻ってなかった。
 運良く姉さん達もみんな不在で(生玉のことで出掛けてるのか、それとも仕事が忙しいのか)唯一留守番をしていたお手伝いさんに居間で待ってるように言われたんだけど、僕はそれも断って、神社の鳥居の前まで戻って来た。
 おじさんが亡くなってから、志沢の家には姉さん達と隆史、それに通いのお手伝いさんしか居なくなった。もともと隆史のお母さんは隆史を生んですぐに亡くなって、それまではおじさんが一人で子供達を育ててたんだ。
 勿論、勤続年数十五年のお手伝いさんの協力もあったとは思うんだけど、僕はそうした事実を知ったとき、そんな状況下で僕を預かるなんて言ったおじさんに、密かに感心してしまった。
 それは多分、おじさん自身霊感が強くて、霊障に苦しめられた経験があったせいだろう……少なくとも、おじさんはそう言っていた。
 今思えば、僕にとっておじさんは、あの頃の唯一の逃げ道だった。
 父さんや母さんは勿論、隆史だってまともに霊を見たことが亡かったから、こう言う話はおじさんにしか出来なかったんだ。
 もし今、ここにおじさんが居たら。
 この胸の中にあるもやもやも全部吐き出して、これからどうすればいいのか、どうするのが一番正しいのかを教えて貰えたんだろうか。
 そう思うと、僕の胸はますますずっしり重くなった。
 ……やっぱり早すぎたよ、おじさんがいなくなっちゃったの。
 段々と暗くなる空を見ながら、僕はぼんやりと昔のことを思い出していた。そうしたら急に、あることが気になり始めたんだ。
 昔、隆史を引っ張って何度か通った神社の奥の祠。
 あれって、今もまだあるんだろうか。
 それまで思い出さなかったのが不思議なくらい、鮮明な記憶が甦ってきた。
 草むらを抜けて進んで行くと、岩壁に穴をあけたような祠が見える。あれは単なる子供の頃の記憶で、本当は祠なんかじゃない、ただの穴だったのかも知れないけど……。
 行ってみよう。
 鳥居から階段を見下ろしても、隆史が現れる気配はないし、じっと待ってるのも退屈だし。
 これ以上暗くなったら逆に恐くて祠までたどり着けないかも知れない、そう思って、僕は急ぎ足で参道を戻り始めた。
 灯篭と絵馬掛け所の横を抜けて、拝殿の裏側に回り込むと、辺りをきょろきょろしながらようやく茂み間の抜け道を探り当てる。
 うわ、向こう側が見えないんだけど、これって大丈夫なのかな。
 子供の時は身体が小さかったし、こんなに苦労して茂みの奥に行く必要もなかったんだけど、さすがに窮屈な思いで抜け道を出ると、そこは神社の裏側の岩壁に続いていた。
 ああ、そうだ。
 確かこの辺りに、祠が……。
 踏み出しかけて、僕は首を傾げた。祠どころか、岩壁には穴ひとつあいていない。
 ところどころ緑の茂った白茶の壁は、ごく自然な岩壁として僕の前に立ちはだかっている。
 どうなってるんだ? 確かにこの辺りだと思ったのに。
 じっくり調べても見つからなくて、僕は段々と焦り始めた。
 あれ、やっぱり記憶違いだったんだろうか。昼寝か何かしてて、夢で見たことを現実だと思ってたとか?
 そう考えてみると祠に行った記憶って二度ほどしかないし、曖昧な点も多いから、絶対に現実だって断定が出来ないんだけど。
 子供の頃の記憶なんてアテにならないもんなんだな。
 頭を振って溜息をつくと、僕は仕方なく、今来た道を戻ろうとした。
 がさっと茂みが揺れる音が聞こえたのはその時だ。
 理由は分からない。
 だけど咄嗟に「いけない!」と思って、僕は反対側の茂みに慌てて飛び込んだ。
 こんな何もないところ、普通なら誰もやって来ない筈だ。
 一体、誰が?
 物音は段々と大きくなり、やがてそこからひょっこり人影が現れた。その姿を見て、僕はぎょっとする。
 隆史!?
 間違いない、制服姿のまま鞄まで持った隆史が、そこに立っていた。
 だけど様子がおかしい。
 探るように岩壁を眺めて、ところ構わず手を当てまくっている。
 こいつ、家にも帰らないで何してんだよ。僕が待ってるって分かってるだろうにさ。
 なんて呑気なことを考えていたのは僅かな間だけだった。すぐに僕は、目の前にいる隆史の身体に起こった異変に気付いたんだ。
 それは、例えるなら白いもやのようなもの。
 隆史の身体を覆うように、霧のようなもやが浮かび上がっていた。ぶわぶわと広がって、目を閉じたままの隆史の横顔を霞ませてしまう。
 だけど……不気味って言うより、それは震えが走るほど綺麗で、神聖な光景だった。
 何故だか分からないけど、僕にはそんなふうに感じられたんだ。
 それに、懐かしい……。
 その光と共に、今度は社の方から奇妙な音が聞こえてきた。音、と言うより、音波みたいなものに近い。
 よく動物にしか聞こえない音があるって言うけど、そんなのに似てる気がする。びりびり肌に伝わってくるような振動だ。
 それが、今度は岩壁の向こうから聞こえてきた。
 共鳴している。ふと、そんな言葉が浮かんで、僕は無意識のうちに息を呑んだ。
 そう、共鳴してるんだ。隆史と、神社と、岩壁の向こうにある何かとが。
 光が強くなり、僕の視界も白く染め上げられていく。
 ふわふわする、そう思った瞬間、僕は後ろにあった木に寄り掛かるようにして気を失った……らしい。
 ひんやりした外気を感じて目を開けると、辺りは真っ暗になっていた。慌てて茂みの外を覗いたけど、もう隆史は姿はない。
 いつの間に、と思って時計を見ると、茂みに入ってから三十分近く経過している。
 何、だったんだろう。さっきの。
 僕の見間違いじゃないとすれば、あれは。
 強ばった身体を引きずるようにして岩壁の前に移動すると、僕はすりすりと壁に手を当てて辺りを探った。
 勿論、そこはただの岩壁に過ぎない。
「だけど、隆史はこうやって探ってたよね……」
「貴方には無理ですよ。そこは、彼の為だけに存在する御座所ですから」
 急に後ろから声が掛かって、僕はびくっと飛び上がりそうになった。
 こ、この声は、もしかしてっ。
「桐塚さん!? 何でこんな所にっっ」
 昨日会った時とまったく同じ姿で、そこに桐塚さんが立っていた。
 へたり込んだ僕を面白そうに見下ろしている。
「大丈夫ですか? 腰が抜けたようですが」
「そ、そんなことより、何でここに」
「以前に何度か来たことがあるんですよ。勿論、この奥の御座所が未だ役割を果たしていた頃の話ですがね」
 御座所……神様が宿る場所、そして物のこと。
 この岩壁の向こうに御座所がある? 確信を持って言う桐塚さんに、僕はふと、妙なことに気付いた。
 桐塚さんのスーツ、全然汚れてない。
 ここに来る為には狭い茂みを通り抜けなきゃいけないのに、そんな痕跡が少しも残ってないんだ。
 そう言えば隆史も普通にここに立ってたけど……これって。
「桐塚さんて、一体、」
「言ったでしょう、私は志沢隆史君の知り合いだと」
 眼鏡の奥の瞳を穏やかに細めて、桐塚さんは言った。
「貴方達が、神と呼ぶ者。それが、私です」




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