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「鎮魂の社」

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  桐塚さんの車は、水縄神社からかなり離れた場所に停めてあった。
 そこに移動するまでに隆史に見つかったら、一体どう説明すればいいんだろうかって思ってたんだけど……何と桐塚さんは、瞬きする間に車の前まで移動してしまった。
 つまり、説明しにくいんだけど、世に言うテレポーテーションってやつ? をしてしまった訳だ。
 今までの経緯で、この人が普通じゃないって言うのは何となく納得しかけてたけど、これは強烈だった。
 だって本当に一瞬だったんだもんな。
 ……こんなことが現実にあるなんて、もう完璧、僕の理解の範疇を越えてる。
 ほとんど誘導されるように助手席に座った僕に、桐塚さんはすぐ車を発進させた。
 揺れる車内で、だけど僕は目的地も聞かずに呆然とするしかない。
 これって夢なんだろうか。
 だとしたら、いつから?
 桐塚さんが説明を始めた時か、隆史の身体から不思議な光が浮かび上がった時か、それとも祠に遊びに行った小さな頃からだったのか。
「どうしました? すっかり大人しくなりましたね」
 自分の身に何が起こったのか、何をどう信じていいのか、メチャクチャで分からなくて呆然としていたら、桐塚さんがおかしそうに聞いてきた。
 つか、大人しいって……こんな状況下で平常心を保てる人間が居たら、そっちの方が凄いと思う。
「……さっきの話なんだけど」
 とりあえず声を出すと、自分でもびっくりする位、枯れた音が出た。
「さっきの?」
「隆史が神様って話。確かに僕、岩壁の前で隆史が変になったのを見たけど、あれが神様だなんてまだ決まった訳じゃないよね」
「単なる悪霊だったとでも? まあ、貴方にすれば、友達の身体を奪ったカミサマなんて悪霊にも等しいのでしょうが」
 こっちを見もしないで、桐塚さんは小さく笑った。
「言ったでしょう、貴方はまだ、神という存在を誤解していると。そうですね……目的地に着くまでもう少し時間がありますから、今のうちに説明しておきましょうか。どうも貴方は基本的な神道知識に欠けているように思われますので。
 先ほども話しましたが、もともと十種の神宝を人にもたらしたのは、ニギハヤヒ命と言う神でした。彼は高天原から大和に天下り、当時一帯を支配していた土豪・ナガスネヒコと結び、彼の妹であるミカシギヤ姫と娶ることによって彼らを支配したのです。
 しかし、神武天皇が東征してくると、これに反対したナガスネヒコを殺して神武天皇の支配下に入った……この時、彼がもたらした十種の神宝もまた同時に、天皇家に差し出された訳です」
 急に始まった説明に、僕はそれでも一生懸命耳を傾けた。
 神様から直接聞く神様の歴史って考えると何か凄いけど、ややこしくて理解するだけで精一杯だ。
「神様って、結構ひどいことするんだ。だって義理の兄を殺したってことでしょ?」
 とりあえずそれだけコメントすると、桐塚さんはふっと口の端だけで笑った。
「神道史だけではなく、日本史の知識も足りないようですねえ、貴方は。神の歴史とはつまり人の歴史、と言う考えは……まあいいでしょう、この辺りは自分で勉強して下さい。
 それでは、神道に伝わる神は大きく二つに分けることが出来る、と言うのはご存知ですか? 日本の源流たるべき神々と、天孫族の神々」
 天孫族。つまりは今の天皇家の血統の神様ってことだ。
 これくらいなら、さすがに僕でも知ってるぞ。神道ってそもそも天皇家に続く神様(高天原から下った神様)と、もとから地上に居た神様両方が出てくる宗教なんだよな。
 神話として伝わってるのはほとんど天皇家に続く神様のお話の方で(当然、やってることが妙に人間臭かったりする)、それ以外にも日本には、石とか山とか川とか、とにかく自然だとか何だとかすべてに宿る神様が居るんだ。
 ……って、これもおじさんの受け売りだけど。
「つまり、神は人の祖先であると言う考えが神道史の根底には流れている訳ですよ。さて、話が少し外れましたが……ナガスネヒコに代わって大和を治めることになった天皇家は、後にこの十種の神宝を含めた数々の神宝を石上神宮に集めました。そして現在に至る訳ですが、実はこの時奉納された十種の神宝は既に、形だけを残した紛い物だったのです」
「まがい……偽物?」
「そうです。ニギハヤヒ命に殺される直前、ナガスネヒコは呪いを込めて十種の神宝の力を奪いました。その力はやがて形を成し、石上神宮に奉納された形だけの神宝とは対照的に、もとの姿を取り戻したのです。そうして、十種の神宝は別の場所にひそみ、現在の水縄神社の裏に静かに存在し続けた……」
 そして、その神宝が神格化したものがフルノミタマ大神って訳か。
 つまりは(桐塚さんの言葉を信じるなら)隆史を殺して身体を奪った神様だ。
「これが、水縄神社にある筈のない十種の神宝が存在した理由です」
 桐塚さんが話し終えると、車内は一気にしーんとしてしまった。
 もともと僕には会話の意思がないから、この人が黙っちゃうとどう仕様もない。
 それに僕は正直な話、こんなふうに一方的に説明されるんじゃなくて、一人できちんと色んなことを考えたかったんだ。
 ここに居ると桐塚さんの気配みたいなものに根負けして、自分の意思とか思考とかが真っ白になっちゃう気がする。
 ……集中、出来ないんだ。
 実は、僕の中で隆史が隆史じゃないって話は、まだ半信半疑の状態だった。ましてや桐塚さんと隆史が神様って説明には、半信半疑どころかほとんど信用出来ないと思ってる。
 だってさ、人間の身体を乗っ取るなんて(桐塚さんは笑ってたけど)いかにも悪霊クサイじゃないか。
 そもそも桐塚さんのことにしたってそうだ、この人、言動だけ見てるととても神様だとは思えない。
 じゃあ二人とも悪霊ってことなのか?
 そうだとしたら凄く納得出来る気がする。生玉がなくなって、それに惹かれた霊が集まりつつあるって隆史が言ってたけど、隆史自身もその悪霊だったってことで……いや、生玉がある時から隆史は隆史じゃなかったんだから、その説明もちょっとおかしいか。
 そうなんだよね。僕が隆史を、隆史の身体を乗っ取ったって言う「誰か」を憎めないのって、これまで、少なくとも隆史が隆史じゃなくなってからの数年間、彼が僕を守ってくれていたからなんだ。
 桐塚さんの説明だと「それは貴方の力が必要だったからです」ってことになるんだろうけど、正体の分からない何かが、そこまでして僕を守ろうとしたり、親身になってくれる理由ってやっぱり理解出来ない。
 それにもう一つ。
 僕自身が、信じたくないって思ってる。
 隆史がお祓いをしてくれたり、今日は大丈夫だったか? なんて尋ねてくれたり、毎日学校帰りに通っても嫌な顔一つしなかったり……あれが全部嘘だったなんて、そんなのは嫌だ。認めたくない。
 頭の中がぐるぐるして煮立ってきそうだった。
 紙に書いて整理しないとまとまらないよ、こんな訳の分からない状態。
 そう思って溜息をついたら、僕は急に、気がかりなことを思い出した。
 あの時……あの、七歳の時。
 両親と実家に帰る途中で事故に巻き込まれ、一人ぼっちで近くの病院に入っていた僕を、隆史は毎日見舞ってくれた。
 周りの人達は父さんと母さんが死んでしまっていたことを隠していて、だから不安でどうしようもなかった僕を、隆史はずっと慰めてくれたんだ。
 あの時点で、隆史はどうなっていたんだろう。
 もう隆史じゃなくなっていた?
 それともまだ……大丈夫だったのか。
 祠に遊びに行ったのがいつだったのか、正確に思い出せれば何とかなる。
 真剣に考えてから、僕ははっとした。
 違う。
 こんなこと気にしたって、隆史が人間じゃないってことに代わりはないんだ。
 ……おじさんはこのこと、知ってたんだろうか……。
「ねえ、何処行くんだよ」
 ひっついてしまった口を無理矢理動かして尋ねると、桐塚さんがかすかに振り向いて呟いた。
「もうすぐ着きますよ」
「さっきみたいに移動出来るなら、車なんて必要ないんじゃないの?」
「それはまあ、そうなんですがね。私はもともと、人間の生み出した物が嫌いではないのですよ。特に娯楽物に関して、人は何ものをも凌駕する存在なのではないかと、時折思うほどです」
 そんなもんかなあ。この人、やっぱり神様っぽくないと言うか怪しいと言うか。
 胡散臭そうに桐塚さんを眺めた途端、急に車のスピードが早まって、
「貴方に見せたいものがあるのです。もう少し待って下さいね」
 言うと、桐塚さんは僕にちらっと視線を送った。
「すぐに着きますから」
「本当にすぐ? あんまり遅くなるとマズいんだけど」
「叔母さんが心配するから、ですね。安心して下さい、神様は滅多に嘘はつきませんから」
 自分で言う辺りがいかにも怪しい。
 って言うか、僕の家庭環境にまで詳しいんだ、この神様。
 とりあえず逆らえない何かを感じて僕が頷くと、桐塚さんは急にブレーキを踏んだ。
「ぎゃーーっっ」
「ほら。もう着きました」
 ぶ、ブレーキ踏む時にはひと声かけてよっ、舌噛むじゃないかっ。
 ぶつけた頭をさすりさすり見ると、辺りはいつの間にかうっそうとした山道になっていた。
 さっきまで国道を走っていた筈なのに、景色が全然違ってる。
「こ、ここって何処!?」
「降りれば分かりますよ」
 なんて言いながら、桐塚さんはさっさと車を降りてしまった。
 僕も慌てて後に続いたんだけど……う、嘘つきっ。降りても分かんないじゃないかああっ。
「こんな所、近場にあったっけ」
「近場じゃありませんよ。ちょーっと遠いです、奈良ですから」
「な、奈良あっ!?」
 思わず叫んでしまった。
 だって、だって、奈良ってそんな、
「あり得ないよ、そんなのっ。だって車に乗ってから30分もたってないんだよ、水縄神社から奈良って、常識で考えても十時間以上はっ」
「騒いでないで、ちょっと来て下さい」
 あっさり僕を無視すると、桐塚さんはすたすた目の前にある神社に向かって歩き出した。
 辺りは小高い丘になっていて、結構広い。
 楼門の前まで恐る恐る歩いていくと、立ち止まっていた桐塚さんが、こっちを振り返って僕の肩に手を置いた。
「ここはね、私と彼が祭神とされる石上神社です」
 ぱちん、と。
 その台詞が合図だったように、辺りの景色が急に変わった。と言うより……真っ暗になった。
 一瞬訳が分からなくて固まった僕の前で、辺りは果ての見えない、音さえ吸収されてしまいそうな漆黒の空間に変化している。
 足場がどこなのか、天井がどこなのかも分からない、そんな場所で僕と桐塚さんだけが、ただぼんやりと浮かんでいた。
「あれが私です」
 声が聞こえた。僕のすぐそばから。
 辺りに反響する声に導かれて視界を回転させるうち、僕はようやく、遠くに霞む光を見つけた。
 何か、細長い物が見える。
 細長い……スポットライトを浴びたように、そこだけが光を灯しているもの。
 意識を集中させると、それはいつの間にかすぐ目の前まで近付いていた。
「……これは」
「神剣・布都御魂。神武天皇が大和を平定する際に使ったと言われる剣です」
 誇らしげな桐塚さんの声。
 それは、昔、日本史の教科書のどこかで見たような古びた剣だった。柄から刃まですべて同じ素材で出来たほっそりした剣だ。
 光はどうやら、剣自身が放つものだったらしい。
「分かりますか? 私の持つ強い力が」
「もしかして……この光?」
「そうです。そして、あれが彼」
 桐塚さんが指差した先に、見慣れた風景が闇を透かすようにして浮かび上がった。
 水縄神社だ。
 その本殿の中に、蛍のような九つの光が重なって見える。
 それは、あの岩壁の前で隆史が見せた光に良く似ていた。少し弱い気もするけど……確かに似ている。
「どちらの光が強く見えますか?」
「……剣、かな」
「そう。十種の神宝は力の大半を奪われて衰弱している。それに反して、フルノミタマ大神の力の源を手に入れた私の方は、以前よりも力を増しているのです」
 僕から少し離れた位置に立っていた筈の桐塚さんの姿が、急に間近に感じられる。
 気が付くと、桐塚さんは僕の背後から囁くように、耳に顔を寄せていた。
「貴方は、保護されていたのではない。利用されていたのですよ」
「利用……?」
 ぼんやり呟いてから、僕ははっとした。
「ち、違うよ。隆史は」
「利用していたんですよ。ですが、絶望する必要はありません。今度は私が貴方を守ってあげますからね」
 何だろう。
 凄く柔らかい声。麻酔みたいに頭の芯がくらくらする。
 ゆっくりと背後から桐塚さんが腕を回してきた。
 抱きつかれるような形で、それでも僕は指一本動かせない。
 隆史は……僕を……利用していた……。
 声が響くごとに、僕の身体からは力が失われていく。背中が重くて息ができなくて、桐塚さんの気配に息切れしながらも、僕は耐えられないほどの身体のだるさに目を閉じた。
「今ならフルノミタマ大神を封じられる。貴方と私の力で、彼を封じてしまうことが」
「だけど……そんなことしたら……隆史が」
「彼の身体が心配ですか? ですが私になら、志沢隆史の魂を呼び戻せるかも知れません。肉体が生きている以上、それは不可能ではない筈ですからね」
「呼び戻す……」
 矛盾とか、おかしいとか。
 そんなことを感じる余裕が、僕の中からきれいさっぱり消えていた。
 身体の中が全部、クッションのスポンジになっちゃったみたいだ。
「貴方だって本当の隆史君を取り戻したいでしょう。彼を奪ったフルノミタマ大神が憎い筈だ。だから力を貸してあげますよ……彼の残りの神宝を封じるのです。そうすれば、貴方は全てを取り戻すことが出来ますよ。必ず」





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