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「鎮魂の社」
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- 「い……やだっっ!」
身体の中で何かが弾けて、それがようやく声になる。
叫んだ途端に呪縛が溶けて、身体が自由になった。
見れば僕の両手にある木箱は、今にも床に叩きつけられそうな状態で振り上げられていた。
あ、あぶなっ。
これって雰囲気からして、御神体が入った箱だよね。
もう少しで壊すところだった。
恐る恐るもとの場所に木箱を置くと、僕は慌てて本殿の外に飛び出した。
どうしてか分からないけど、ぎりぎりで助かったんだ。御神体を壊さずに済んだ!
だけど、神社の外に出た途端、僕はとんでもない光景を見て呆然とした。
真ん中から裂けた参道、倒れる灯篭や狛犬、おまけに絵馬まで飛び散るその中で、折れた木に寄り掛かるように隆史がぐったりと倒れている。
そして僕のすぐそば、賽銭箱の隣に、腕組みして微笑む桐塚さんの姿があったんだ。
「まさか、私の言霊を跳ね返すとはな」
地を這うような声にぞっとする。桐塚さんはじっと僕を見ていた。
つまり、今の言葉は当然ながら、僕に向けられたものなんだ。
直感でここに居ちゃいけないって感じて、僕はほとんど反射的に駆け出していた。
向かう先は勿論、隆史の倒れている大木の下だ。
「この期に及んで、まだフルノミタマ大神を頼るか」
嘲るように言った桐塚さんに呼応するように、その時、不意の突風が荒れた水縄神社を襲った。
僅かに浮かび上がった僕の身体は、直後に参道に叩きつけられ、そのままごろごろと転がってしまう。
そしてその先には……階段!
「うわああっっ!」
回転する視界の隅に、僕の身体を押した風の正体が見えた。
黒い不気味な影。
この光景はいつか見たことがある……隆史に話した、あの夢だ。
やっぱり正夢だったんだ。
何で嫌な夢ほど当たっちゃうんだよ、僕!
「美那子っ!」
隆史の叫ぶ声が聞こえた。
そりゃないよ隆史、この状況で僕じゃない、彼女の名前を呼ぶか普通!?
確かに僕はマヌケで、あれだけ注意されたのに、あっさり桐塚さんの口車に乗っちゃったけどさ……。
なんて思った瞬間、がくっと衝撃がきて、回転が止まった。
「あれ?」
「大丈夫、神崎君」
暖かくて柔らかいものが身体の下にある。
そう思ってまだくらくらしている焦点を合わせると、眩しい位の綺麗な笑顔にぶつかった。
ひ、ひええっ、高石さんっ!?
「怪我はない?」
「ぼっ、僕はぜんぜっ、たか、高石さんはっ」
信じられない。
階段の途中で、高石さんが僕を抱きかかえてくれてたんだ。
これだけ異常事態が続いたら、もう驚くことはないだろうって思ってたけど……これにはさすがにビビったぞ。
何でここに高石さんが……いやそもそも僕の身体を軽々と抱えてるの何でっ!?
「あのね、神崎君。今から上に戻るから、口を閉じててね。舌を噛むといけないから」
そして。
高石さんはそう告げるなり、僕を抱えたまま跳躍した。
そう、跳躍したのである。階段を駆け上がった訳でも、軽くジャンプした訳でもなく。
途中とは言え何百もある階段を、一気に、頂上の鳥居まで。
降り立った先には、ゆっくりと立ち上がる隆史の姿があった。
それから相変わらず余裕の笑みで立っている桐塚さんの姿……隆史が僕を見て、ほっとした顔になる。
「助かった。美那子」
「いえ」
「良い式神を持ったな、フルノミタマ大神」
隆史と高石さんのやりとりを聞いた後で、桐塚さんが短く言った。
その視線は、僕を庇って立つ高石さんにそそがれている。
「忠義なことだ」
「……しきがみ?」
僕は静かに高石さんを見た。
風に揺れる長い髪、それからほっそりした肩のライン。
しきがみって聞いたことあるぞ。確か、術者が使役する「人間じゃないもの」のことだったよな。
おじさんはそう説明してくれたけど……まさか、高石さんが?
僕が視線をそらせずにいると、高石さんは顔だけこっちに向けて、俯いた。
「御免なさい。フルノミタマ大神に頼まれて、貴方をずっと尾行していたの。昨日は強い力に阻まれて貴方を守れなくて、こんなことになってしまった」
「白い鳥、お前も半分気付いていたんだろう」
真っ直ぐ桐塚さんを睨んだままで、隆史が言った。
高石さんが困ったように微笑んでる。
「あれは美那子の変化した姿だ。俺が命じて、お前を守らせていた」
「……マジで?」
「マジです。御免なさい」
しおしおと高石さんに謝られてしまった。
だけど……高石さんが……式神って。
人間じゃない、とか。
そんなことってありなのかあっ!?
「詠。パニック状態のところ悪いが、お前の力を貸してくれないか? 少しでいい、今のままじゃあいつから逃げられない」
「え……え、僕?」
「頼む」
言うなり、隆史が僕の腕を掴んだ。
それから急に引き寄せられて、転び掛けたところを抱きすくめられる。
「うわっ、おっお前、何っ」
「高天原に神留り坐す 皇親神漏岐 神漏美の命以ちて 八百万神等を神集へに集へ賜ひ」
僕の頭に顎を乗せると、隆史は流れるようななめらかな口調で祝詞を奏上し始めた。
大祓祝詞だ。
力強い声は、それだけで力を放っているようだ。
と同時に、僕の身体が暖かい光に包まれた。
穏やかで、柔らかい光。
これって隆史の身体から浮かび上がっていた、あの光みたいなオーラに似てる。
凄く気持ちよくて、熱に浮かされてるような、不思議な高揚感まである。
半端じゃない気持のよさと安堵感。
僕の身体から、警戒心がするするとほどけていく。
「何のつもりだ、フルノミタマ大神。私に祝詞をぶつけてどうする」
正面に見える桐塚さんの顔は、僕達を馬鹿にするように歪んでいた。だけど眼鏡の向こう側の瞳だけは、挑むようにこっちを睨んでいる。
高石さんはというと……すぐ隣に居る筈なのに、気配が全然ない。
ほ、本当に居るのかな、隣に。
『詠。祝詞が終わったら、本殿に向かって走れ』
そして。
祝詞を唱え続けている筈の隆史の声が、急に頭の中に響いてきた。
勿論、隆史の祝詞は途切れたりしてない。心の声ってやつ?
と言うより、密着した身体からじんじん伝わってくるみたいだ。
「……国つ神 八百万神等共に 聞こし食せと白す」
やがて最後の言葉が隆史の口からこぼれて、祝詞が終わった。
と思った瞬間、隆史がいきなり僕の身体をどんと突き飛ばした。
思わずよろめいて足場の悪い参道に飛び出したけど、こんなチャンスを前に、桐塚さんは何もしてこない。
いや、違う、
動けないんだ。桐塚さん、瞬きもしてない!
正面に居る桐塚さんは、まるでそこだけ時間が止まってしまったようにぴくりともしなかった。
だけど確認してるヒマなんてない、僕は隆史の指示通り、桐塚さんの真横を通って本殿に走った。
拝殿を通って祠堂に入ると、続いて高石さんが、最後に隆史が駆け込んで来て、御扉が閉まる。
辺りは、急に真っ暗になった。
「これで、時間が稼げるな」
ずるっと隆史が扉に背をもたせかけながら呟いて、僕を支えるようにして隣に坐った高石さんも、全身で安堵の息をついていた。
未だに状況は掴めてないけど、とりあえず隆史が言うなら、この中は安全なんだろう。
気がつけば桐塚さんから逃げる羽目になっていた僕は、とりあえず隆史と高石さんの姿を視界におさめると、その場にぐったりとしゃがみ込んだ。
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