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「鎮魂の社」

<16>
  明かりのついていない本殿の中は、暗い。
 時刻はいつの間にか7時を回り、格子戸の隙間から覗く外の景色は、ゆっくりと茜色に染まりつつあった。
「……何で明かり、つけないの?」
 本殿に閉じこもってから数十分。
 ずっと続いていた沈黙に耐えきれなくなって、僕はとうとう声を出した。
 途端に隆史がこっちを振り返って、
「そうか。悪い、俺達には明かりが必要ないから」
 忘れてたんだ。そう言うと、隆史はすっと手をかざして隅に置いてあった蝋燭の炎を灯した。
 ここまできたら、もう自分の力を隠すつもりはないらしい。
「詠。実は俺……」
「ご免」
 言われる前に、僕は謝った。
 隆史が怪訝な顔になる。
「何だよ、急に」
「僕、あれだけ注意されてたのに、あっさり桐塚さんに騙された。あんな変なもの憑けられて、おまけにそれを水縄神社の中にまで連れてきちゃったんだ」
 隆史が、じっと僕を見つめている。
 鋭い視線に、僕の喉は急にからからになって、言葉がうまく出てこなくなった。
 それでも一生懸命声を出したのは、そうしないと、一生隆史に話しかけられなくなりそうだったからだ。
 ぎゅっと唇を噛むと、僕は必死で言葉を続けた。
「……ほんと、自分が情けないよ。最初に桐塚さんに会った時も、隆史に相談してなかったしさ。でもあの人、変なこと言い出うんだ。隆史が偽物だとか何とかって、」
「変なことじゃない。あいつが言ったことは本当だ」
 覚悟を決めた声に、びくっとした。これはごまかしようがない位……見事な肯定だ。
「言い訳はしない。お前を騙していたことに代わりはないから」
「じゃあ、桐塚さんの言うように、隆史が……お前がフルノミタマ大神って神様だとして。どうして隆史を殺したんだ?」
 ぎゅっと、両手が拳になる。
 力を入れすぎて、掌に指の跡がついた。
「何でっ」
「俺が気付いた時、志沢隆史はもう死んでいた。そのまま放置しても良かったのに、どうしても俺には彼の身体が必要だったんだ」
「ひつ、よう?」
「この身体の中にいれば、光の下に出られる」
 隆史の顔をした神様は、じっと自分の掌を見つめている。
 哀しそうな横顔に、僕の中の非難の気持ちがぐらぐら揺れた。
「……光の下って、外に出られるってこと?」
「そうだ。十種の神宝の形はこの本殿の中にある。だが神宝の本当の力、俺自身の魂は、あの祠の中に在った」
 暗い暗い祠の中で。
 ずっとひそんでいた神は、永遠に近い孤独に耐えきれずに、隆史の身体を乗っ取ってしまった。
 桐塚さんは確か、そんなふうに説明してくれたんだ。
 だけど……だけど、今度はきちんと、隆史の口から聞きたい。
「初めてお前が祠の前に来た時、暖かい光を感じた。閉じられていた筈の入口を突き破って落ちてきたお前が、光さえ差さなかった祠の中に、外の空気を運んでくれたんだ。それは、俺にとって眩しいくらいの光だった」
 目を閉じて、想像してみる。
 誰も居ない真っ暗な穴の中。
 寿命のない神様が、ずっとそんなところでひとりぼっちだった気分って……駄目だ、想像もつかない。
「だって、あんたは神様なんだろ。それなのに自力で外に出たりしてなかったわけ?」
 桐塚さんにだって出来たことだ、隆史に出来ない筈がないって思った。
 それなのにわざわざ隆史の身体を乗っ取って人間の中に紛れ込んだのだとしたら、それは絶対に許せないことだって。
「寂しいとか、孤独とか、そんなふうに言われたら反論出来ないけど。でもそれって隆史の身体を奪い取ってまでしなきゃいけなかったこと!?」
「そうだな」
 深い息をついて、隆史が目を伏せた。
「その通りだ。済まない」
「謝るくらいなら何で」
「待って。フルノミタマ大神は、何も無理にその身体を奪った訳じゃないのよ!」
 不意の声に僕はぎょっとした。
 それまで気配も感じられなかった高石さんが、表情を堅くして声を上げたんだ。
「祠に落ちた時、志沢隆史の魂は、既にその身体から離れていた。何より一緒に落ちてしまった貴方が、」
「美那子、よせ!」
 隆史の声に、びくっと高石さんが口を閉じる。
「……俺は、詠から志沢隆史を永遠に奪った。そして今もこの身体に宿り続けている……それが真実だ。それだけが」
「だけど、フルノミタマ大神がいなくなれば、隆史の魂は戻ってこれるんじゃないの?」
「あいつがそう言ったのか?」
 再び怪訝な表情で言った隆史に、僕は恐る恐る頷いた。
 やがて、隆史は静かに肩を落とすと、
「残念だが、志沢隆史の魂は既にこの世にない。いくら神の所業とは言え、一度祖霊にかえった魂を完全に身体に戻すことは出来ないだろう」
「そ……なの?」
 何となく高石さんを見上げてしまった。
 問われた彼女は、視線に気付いてこくんと頷く。
 ショックだった。
 うっすら分かってはいたけど、完全に否定されるとやっぱり痛い。
 もしかしたらもとの隆史に会えるんじゃないかなんて……馬鹿みたいに、心のどこかで信じてたんだ。僕は。
「何なんだよこれ……隆史も高石さんも、桐塚って奴まで、みんな……僕を騙したんだろ?今更誰を信じればいいのか、僕、もう分かんない……」
「詠、」
 隆史の腕が伸びてくる。
 いつもみたいに、安心させるように肩に手を置く仕種を、だけど僕はびくっと震えて避けてしまった。
 意識してやったことじゃない。身体が反射的に、隆史から逃げてたんだ。
 ……だけど。
 隆史の顔が、暗がりにもひどく辛そうに歪んだのが見えた。
 狡いよ、その顔は。
 僕は罪悪感を覚えて隆史の顔から目を反らす。
 これじゃ、僕が悪いみたいじゃないか。隆史を殺して身体を奪って、ずっと正体を偽ってきた癖にさ。
「詠。お前が俺を避けるのは当然だと思う。しかし、ここから出て桐塚を撃退する為には、俺だけの力じゃ無理なんだ。向こうは生玉を持っている、だからお前の力を貸して欲しい」
「僕には力なんてないよ。神様同士で喧嘩するなら、よそでやれば?」
「……ここから出られないと、お前も困るんじゃないのか? 遅くなれば叔母さんに心配をかけることになるし、下手にあいつに捕まれば、どんな目に遭うか分からない」
「き、脅迫してんのっ!?」
「事実を言ったんだよ。自覚がなくとも、お前が俺達の力を強める存在であることに代わりはない。理由は分からないが、だからこそこの身体を借りてお前のそばに居る間に、俺の力は強まったんだ。フツノミタマ大神……桐塚、と言うあの男の言う通り、以前なら身を隠し通せた筈の俺の存在を知られたのも、その為だからな。まさかあいつに生玉を奪われることになるとは思いもしなかったが」
「じゃあ、その為に、」
 その為に、僕のそばにくっついてたのか?
 そう聞きたいのに、恐くて言葉に出来ない。
 代わりに、僕は別のことを尋ねた。
「桐塚さんって、一体何なの? 僕に近付いてあんたのこと教えたり、今回みたいなことしてさ。あんたに恨みでもあるみたいだけど」
「あいつはもともと俺と同じ神社の祭神の筈だった。そして同時に、他宗教の氾濫と時流に紛れて力を失いつつある存在でもあったんだ。それなのに、同じ立場にある筈の俺だけが力を増して行くのが、恐らくは許せなかったんだろうな」
「それだけのことで!?」
「気が遠くなるほど生きていると、つまらない理由で暴れたくなるものなのさ」
 そら恐ろしいことを言って、隆史はちょっと笑った。
「協力して貰えないか? そばにいて、さっきみたいに力を貸してくれるだけでいい」
「それで、桐塚さんを追い出して、どうするの?」
 自分でも驚くほど冷ややかな声で、僕は言った。
「結局はあんたがここに残るんだろ。それなら同じじゃないか。僕にとって、あんたも桐塚さんも違いなんてない、僕を騙してたカミサマなんだからな」
「神崎君!」
 ショックを受けたような声で叫んだのは、高石さんだった。
 隆史じゃなくて。
 隆史は、黙ったまま僕を見てた。
 そこには桐塚さんの顔に浮かんでいた濁った感情は感じられない、ただ真っ直ぐ、綺麗に澄んだ眼で僕を見ている。
「分かった」
 やがて、小さく言うと、隆史は静かに立ち上がった。
「そろそろ時間切れだな。詠、俺が合図するまで、何があっても絶対に本殿の外に出るな。ここにいる限りは結界にはじかれて、フツノミタマ大神も入って来れない」
「どうするの!?」
「約束を果たす」
 高石さんが、隆史にあわせてゆっくりと御扉に近寄る。
 咄嗟に怯えて声を出した僕に、隆史はちょっとだけ笑って頷いた。
「お前を絶対に守るって、約束したからな。神様は約束を違えない」
「フルノミタマ大神、」
「お前はここに残れ」
 高石さんに短く言うと、隆史が御扉に手をかける。
 僕は腰を浮かして息を呑んだ。
 何か、大切なことを忘れている気がした。
 こいつは隆史なんかじゃない、だけど……本当にこのまま行かせて良いんだろうか。このまま、一人で?
 その時、まるで隆史の動きを見計らっていたように、本殿の御扉ががたがた震え始めた。
 冷たくて重い空気、これはあいつの気配だ……すぐ近くに桐塚さんが居る!
 だけど、僕がそれを口にしようとした瞬間、隆史は薄く開いた御扉の隙間から、するりと外に飛び出してしまったんだ。






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