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「鎮魂の社」

<1>
  僕こと、神崎詠が初めて隆史と会ったのは、最初に水縄神社を訪れた二歳の時だ。
 そもそも僕は生まれた時から身体が弱くて、すぐに体調を崩したり、原因不明の高熱を出したりしていた。
 こうした体調不良は子供のうちには良くあることだと医者は言ったけど、そのうち親戚のおばさんが妙なことを言い出したんだ。
「この子、もしかして霊感があるんじゃないの?」
 このおばさん、どうやら霊能力だの第六感だのがある人だったらしくて、心配して僕の様子を見に来てくれたのはいいものの、僕の体調不良の内容を知った途端に、全ては霊のしわざだ、気を付けろ、なんて断言しちゃったのである。
 驚いたのは霊感のレの字もなかった両親で、最初でこそ半信半疑でおばさんを無視していたものの、そのうち僕の体調不良が酷くなる一方だと気付くと、仕方なく越してきた近所にあった『水縄神社』って所に相談に行くことにした。
 さて。
 このオカルトブーム・陰陽師ブームのさなか、多分説明する必要はないと思うんだけど、霊能力ってのは一種の第六感、人には見えない筈のものが見えたり感じたりする能力のことだ。
 僕の場合はところかまわず幽霊が見えるってことで、時々は直接影響を受けたりするんだけど……僕を見た水縄神社の宮司さんは、すぐに顔色を変えて両親に説明した。
「このままでは、この子は七つまで生きられないでしょう。非常な霊媒体質である上、それより身を守る方法を知らないからです。どうでしょうか、しばらくうちでお子さんを預からせて頂く、と言うのは」
 この宮司さんと言うのが隆史のお父さん、志沢康次郎氏だった訳だ。
 かくして僕は二歳から七歳までの5年間を志沢家で過ごすことになり、その間、両親は毎日のように水縄神社に通ってくれることになった。
 ……しかし。
 普通なら歳を重ねるごとに消えていく筈のこの能力、僕の場合は何故かおさまることなく、順調に強くなっていた。
 こうした例は珍しいものの皆無ではなく、だからおじさんは身長を期して、毎日のように水縄神社に通うことを僕に義務づけた。
 お陰で僕と志沢家との関係は今現在も消えることなく続いている訳なんだ。
 四年前、志沢のおじさんが亡くなってからは隆史が後任となり、僕の面倒を見てくれている。
 この、面倒って言葉もおおざっぱなんだけど……要は、ヘンな霊について来られるのを防いだり、防ぎ切れなくて捕まっちゃった場合のお祓いをして貰ったり、後は志沢のおじさんの言っていたところの「的中率87%、しかも悪夢に限って必ず当たる」と言う僕の夢の内容をよみといて貰ったりしてるわけだ。
 だけど、今の僕には、それが逆に負担になっている。
 隆史が真剣に話を聞いてくれないとか、適当な返事しかしてくれないとか、これじゃ相談の意味があるのかっ! とか……そう言うことじゃなくて、もっと根本的に、隆史と一緒に喋ったり、過ごしたりすることが負担になってるんだと思う。
 いつ頃からかは分からないけど、隆史は変わった。僕との間に、急に距離を置くようになったんだ。
 だからって訳じゃないけど、昔は隆史の考えていたことが簡単に分かったのに、今は全然、何を考えているのか予想もつかない。
 まるで僕との隆史の間に壁が出来たみたいなんだ。
 しめだされた僕は不安で寂しくて、だから僕の霊力は、今のところ隆史との唯一の接点になっていた。
 最近じゃお互いによそよそしくなって、学校ではほとんど言葉も交わさない。義務的に志沢家に通い続けて、その時だけは昔みたいに軽口を叩いたりするけど、それだって自分でも不自然に思うことがある。
 こんな微妙な関係、いつまで続くんだろう。
 なまじ僕に妙な力があるもんだから、普通なら自然に離れていく関係も、ずるずると続けていくしかなくて……段々と共通点がなくなっていく隆史を前に、僕は途方に暮れるばかりだ。
「あれー、お前こんな所でメシ食ってんの?」
 ぼんやりと眼下を見下ろしていた僕は、いきなり頭上からかかった声にびっくりして箸を落とした。
 見上げると、友達の大乃木康志が学食のパンを抱えてにかにか笑っている。
「珍しいな、いっつも教室組かグラウンド組じゃねえ?」
「七月にしては風が涼しいし、たまにはいいかなって思ってさ……うわ、泥ついてる」
「弁当袋で拭けば分かんねえよ。おー美味そうなハンバーグっ」
 確かに階下に洗いに行くのも面倒だ。
 僕は弁当袋でごしごし箸を拭って泥を取った。
 その間に大乃木は僕の隣に「よっこいしょ」と腰掛けると、
「そう言や詠、昨日休んでたよな。何かあった?」
「あったと言えばあったけど、いつものヤツだよ」
 大乃木は小学校の頃からの付き合いだから、僕の霊能力についても良く知っている。
 小さい頃から学校を休みがちだった僕は、ただでさえ「霊感少年」なんて呼ばれて敬遠されてたのに、中には平気で友達付き合いしてくれるヤツもいたんだよな。
 大乃木はそのグループの一人だった。
「お前、この歳になってもまだあんのか? 霊体験」
「僕もなくなってくれたらって思うよ。昨日なんか、妙な夢見て起きたら足下に貞子似の女の人がいて、金縛りだわ首絞められるわで死ぬかと思いながらもようやく逃げ切ったら、今度は顔洗ってる途中に天井からぶら下がる髪の毛を鏡越しで見て、挙げ句大通りで誰かに足引っ張られて車にひかれかけた」
「……相変わらず壮絶な人生だよな……」
 呟く大乃木は、パンを頬張っていた手をいつの間にか止めている。
 そのまま同情の眼差しで僕を見ると、ふと気付いたように眉をひそめた。
「けど、確かアレだよな。お前、霊感はあるけどメチャクチャ怖がりじゃなかったっけか。昔っからいきなり悲鳴上げて逃げ出したりしてたしさ」
「う……うん、まあ、それもまだ、ある」
 そうなんだ。僕の重大な欠点。
 物心ついた時から幽霊を見ている癖に。霊体験なんて軽く百は越しそうな勢いなのに。
 それなのに僕は、滅茶苦茶な怖がり、人の十倍はそっち系の現象が苦手な性格だったのである。
 これは僕の持論なんだけど、多分、世の中には、セットでなきゃ困る物がたくさんある。
 例えばウォークマンとイヤホンコードとか、紙と筆記用具とか、カレーと白い御飯とか、黒板とチョークとか、黒板消しとクリーナーとか、歯ブラシと歯磨き粉とか(あ、これは使えるか)……。
 こう言う物がどちらかひとつでも欠けていると(まあ、中には単独で使える物もなくはないけど)大抵は「困ったなあ、アレ、どこいったかなあ」と、もう片方を探し回るハメになるんだ。
 だけど僕の霊能力は、幽霊を見ても大丈夫、慣れる、なんて状態とはほぼ無縁、つまりは普通セットであるべきの「霊能力と平常心」ってヤツが欠けていた訳だ。
 こんな引き取り不可の不良品のお陰で、僕はいまだに霊に慣れることもなく、「助けてええ」なんて黄色い悲鳴を上げながら隆史に頼り切ってる状態なのである。
 ……我ながら情けない。
「俺、霊感のあるヤツってみんなギボ愛子みたいだと思ってたんだけどさ。お前見て考え変わったよ、マジで」
「悪かったな、霊能力者のイメージ壊して」
「あ。けどウチの学校にはもう一人霊能力者が居たよな。あいつは第二のギボ愛子になれるかも知れん……神社の息子だったっけか」
「もしかして隆史のこと?」
 最後のトマトを口に放り込んでから、僕はうろんげに呟いた。
 途端に大乃木がにやっと笑う。
「こないだの期末、学年トップ取ったらしいぞ。ほんっとに不思議だよな、あんだけ出来るのに何でうちの学校なんか受験したもんだか……部活の勧誘組もいまだにしつこいらしいけど、家業継ぐから、なんて言ってないで籍だけでも置いてやりゃいいのになー」
「宮司の修行って何か大変みたいだよ。おまけに隆史ん所はお父さんがいないから」
 それに、大乃木の認識は少し間違っている。
 隆史の場合は霊能力があるんじゃなくて、その対処法に詳しいってだけの筈だ。
 僕が不機嫌そうに答えると、大乃木はまたもや笑いながらフェンスの向こうに広がるグラウンドを見下ろした。
「おっ、噂をすれば影! 見ろよ詠、下に志沢と噂の彼女」
 僕は思わず反射的に金網にへばり付いてしまった。
 た、確かに、隆史と女子生徒が並んでグラウンドを横切って行くのが見える。間違いない、あれは高校に入ってすぐに隆史と付き合いだした高石美那子さんだ。
「いーよなー、成績優秀で運動部からは引く手あまた、おまけに美人の彼女付きかあ。俺らの理想をことごとくヒットしてるんだよなあ、人生楽しいだろうなあ」
「昔はあんなじゃなかったよ。僕より弱虫だったし、病気ばっかりしてたから野球もサッカーも出来なくてさ」
 思わず言った僕に、大乃木は呆れたように背中を叩いた。
「お前なあ、そう言うのは醜いぞ。人間は変わるもんなんだよ、そいでソレを人は成長と呼ぶのだな。ほれほれ、お前もタカシ君を見習って努力したまい」
「……ううう、美那子さああん……」
 別に焼いてなんかないけどさ。精神的な面だけじゃなく、色んな意味で隆史は変わっちゃったんだ。昔の面影なんか全然ない位に。
 あの頃、弱虫で泣き虫で金魚のフンみたいに僕の後をくっついて来ていた筈の隆史は、今ではすっかり成長して僕より背が高くなり、おまけに誰から見ても立派な優等生、いわゆる「文武両道の好青年」ってヤツになっていた。
 それが余計に僕と隆史の間の壁を高くしているのかも知れないけど……隆史には急いで成長する必要があったんだから、それはそれで仕方ないことなんだよな。
 おじさんが亡くなって、唯一の跡取り息子として水縄神社の将来を預けられて。隆史は普通の人の何倍もの努力を重ねて、今の隆史になった。
 だから……きっとこれは僕の我侭なんだ。昔の隆史の方が、今の隆史よりずーっと好きだったなぁ……なんて。
「にしても、志沢って神社の息子なんだろ。後継ぐんならオンナとか居るのヤバくない?」
「そんなこと言ったら隆史のお父さんはどうなるんだよ。あそこ、隆史の上にまだ6人もお姉さんがいるんだぞ」
「なにいいっ!? それは初耳だぞ、詠! お前ヨケーなことばっか言ってないで、そう言う情報をもっと流せよなっ!」
 怒鳴られて、僕はうっと口ごもった。
「肝心かなあ……」
「だってよ、志沢の姉さんなら全員美人だろ。遺伝子が同じなんだし……なあ、俺年上でも全然オッケーだからさ、紹介してくれよ、詠っ」
「お前はあの姉さん達を知らないからそんなことを」
 それにしてもあの二人、グラウンドなんかで何してるんだろ。西沢高校の美人ランキング1位の彼女連れ出して、他の男子生徒を挑発するなよなーホントに。
 遠い視線の先で表情をほころばせる高石美那子を見下ろしながら、僕はがっくりと肩を落とす。
 フェンス越しに見える隆史の姿は、やっぱり今の僕には手の届かない、遠く隔たれた世界の住人のように見えた。





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